2008-10-18

支援隊ツアー08(20)4年目の「母」

8月25日夜:ニンビン省旧兵士連絡会との交流会だ。今年で7回目となる。これは、私たちのツアーの息抜きでは断じてない。取材の過程で知り合ったチャン・ティ・ビンさんという旧兵士連絡会幹事長を中心とする元女性兵士の方々を励ます交流会として、私が考えたものなのだ。しかし、同行のメンバーに音楽に長けている人がなかなかいなくて、流れはいつも歌の上手なビンさん側から励ましを貰っている感じだった。
恩師が、「“歌”を歌える民衆は、あと一歩で幸福を勝ち得るのだ」と、ブラジルの著名な音楽家ヴィラ=ロボスの言葉を紹介した。
そうだ。その気概でいこう。去年から流れは変わってきた。去年は、中村洋子さんというソプラノ歌手が参加してくださって、ソロでも歌声を披露してくれた。
 ハーモニカ(大釜一男)ギター(金原 昇)と日本の少年?少女?合唱団

では、今年は? 上の写真に見られるように、大釜一男さんのハーモニカ、金原 昇さんのギターが加わった。楽器が加わると、勢いが増す。

そして、「」という歌を歌い始めて、今年で4年目になった。ベトナム語に訳しても、なかなかうまくいかなかった「母」だが、添削に添削を重ね手来た。2年前は、「とてもいい歌ですね」と、家に持って帰った女性兵士がいた。その後も添削を続けて、今年は通訳のアインさんが、また手を入れてくれて、歌いやすいようにしてくれた。だから、その場に居合わせた人が、全員口ずさめるようになった。

一緒に歌う元女性兵士達

ビンさんという方は、戦争が終わった後、生きて帰ってきた559部隊の元女性兵士の450軒ほどの家を、時間をかけて丹念に回った方だ。「なぜ?」「多難な問題を抱えて激励して回ったんです」

ビンさんは、看護婦として野戦病院で勤務。手術でも薬の無いときは、軍歌を歌って、負傷兵を励まし続けた。

その一言を聞いて、私は、沖縄の小那覇舞天(おなは ぶーてん)さんを思い出した。

終戦直後、廃虚の沖縄で人々は失意に明け暮れていた。

終戦直後の石川市。米軍が造った避難民収容所とその周囲には、戦火に追われた三万の人々。「いつまでも不幸な顔をして戦争で犠牲になった人達の年を数え泣き暮らしていいのか?生き残った者たちが、生き残った命のお祝いをして元気を取り戻さないと亡くなった人たちも浮かばれない。沖縄の復興もおぼつかない。」と舞天は、弟子の照屋林助さんと三味線片手に家々や、村々を巡って芸を演じた。

彼の生業は、歯科医である。

うっすらと涙を浮かべるビンさんとギターの金原さん

師匠と弟子がともに訪問したあるお屋敷。家の中の位牌の前で、家の主が涙を流していた。「こんな悲しいときにどうして歌えるのか」。

問われたブーテンさんは答えた。

「亡くなった人たちのためにも生き残った者が元気を出して、沖縄をしっかりつくっていかないと。はい、スージ(祝い)しましょう」。

彼の言葉に家主の表情が変わった。弟子の林助さんはそのとき、芸能の力と、その魅力を引き出すブーテン師匠の天賦の才能を感じた。 エンドレスで「母」を歌うビンさん

沖縄戦という極限状況の後、すべてを失ってもなお、私たちには「命」という最高の財宝がある。そのことを舞天さんはいいたかったのである。
                          
「小那覇舞天という人は、自分が有名になるとか、偉くなるとかいうことには全く興味を持たない、ただ、どうしたらひとを楽しませることができるのか?という事ばかり考えている人でした」と、弟子の林助さんは言う。
                           
人を喜ばす、人に喜んでもらう事が自分にとっての一番の喜びだったのです。従軍看護婦としてのビンさんも、まさにそこに徹し抜いた。
                           
私たちは、「月の砂漠」「故郷」そして「母」などを歌った。その輪の中に溶け込んできた元女性兵たち・・・。10回も15回も、納得するまで「母」の歌を歌うビンさん。歌の意味を理解して、ビンさんは目に涙を浮かべた。
  「音の哀楽を以て国の盛衰を知る」と言う言葉があるが、歌を見る限り、ベトナムの人は元気だ。                         
「母」(山本伸一作詞 作曲:松原 真美・松本真理子)は今回で4年目。大分、元女性兵士の励ましになったと確信した。
「歌声は人びとの感情と意志をたちまち一つに融け合わせ、行動に転化させ得る」(小野忍・丸山昇訳)。中国の文豪・郭沫若氏の自信に満ちた確信である。
                        
拙著『アメリカの化学戦争犯罪』(梨の木舎刊)を著すに当たって、ニンビン省での元女性兵士の取材に時間を多く割いた。
                            
人と会わなければ、縁は広がらない。
人と語らなければ、縁は深まらない。
                         
恩師の深遠な言葉が実感できたと言える。Posted by Picasa

0 件のコメント: