ジオンさん宅に急ぎました。
ファム・ヴァン・ジオンさんは、1951年の生まれ。今年57歳。1972年に人民軍に入隊しました。ジオンさん21歳の時です。
北部のハイズオン省に駐屯し、南部での従軍はなかったようです。
戦場に行ったのは、奥さんのグエン・ティ・ザウさんでした。1974年2月から、1980年12月31日まで、ザーライ、コントゥムなどの省がある中南部のタイグエン戦場で従軍です。ザウさんは従軍看護婦でした。看護婦不足という逼迫した事態があったのでしょう。担当の病院は、249移動病院。つまり野戦病院です。
ベトナム戦争の末期。戦いは激しく、負傷して入院して来る兵士は多かったようです。そして、マラリアにかかっている兵士も多く、薬剤不足。外国からもらった薬の中には、アメリカ軍の薬も入っていたとか。
二人の間には、5人の子どもができました。
長男ファム・ヴァン・チュンさんは、1983年生まれ。2歳で死亡。
長女ファム・ティ・ルエンさんは、1984年生まれたが、8ヶ月で死亡。
という悲劇が続きました。「二人とも生まれた後も元樹だった。ほんとうに元気な子でした。熱が出て突然亡くなりました(感染症で?)」と、母は涙をぬぐう。
そして、3人目の子が生まれました。
次男ファム・ヴァン・タンさんです。1986年に生まれました。しかし・・・会話は出来ません。7歳になってようやく歩行を始めましたが、脳性麻痺です。
次女のファム・ティ・ガムさんは1987年生まれ。この方も脳性麻痺。現在ハノイ・友好村に入村中です。
三女ファム・ティ・テーさん。1989年生まれ。脳性麻痺。
ジオンさんは、北部にいて枯れ葉剤をあびていません。子ども達がこうなった結果は、ザウさんの体の方に原因があるかもしれません。そのことは、今回聞きませんでしたが、どこかで辛い思いをなさっているのではないでしょうか。
ここのお宅には、子豚が2頭届いていました。とても可愛い子豚でした。「コーちゃん」(弘一郎さん)「ノンちゃん」(暢子さん)と、支援隊にご寄付下さった方の下のお名前から取らせて頂きました。豚の餌については、よくご存じでした。「ホテイ草やバナナの茎も飼料になりますよ」と。ホテイ草、別名をウォーター・ヒヤシンスといいます。生命力があります。豊かさをもたらしてほしい・と祈らずにはいられませんでした。支援農家のキーワードは・・豊作・子豚です。
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