2008-10-10

支援隊ツアー08(15)豚支援Ⅳ

このブログへの最近のアクセス状況を調べてみました。
国別のアクセス数のトップ10をご紹介します。1)日本 2)ベトナム 3)豪州(小生が住んでいるせいもあります) 4)アメリカ 5)スペイン 6)ブラジル 7)カナダ 8)中国 9)インド 10)イギリス という順です。
7位以下はビューの時間は少ないですが、もう少し英語をいれると違って来るような気もしますね。Thank you for viewing our web-site.です。お知らせまで。
さて、昼食後、私たちは、次の家庭訪問ために移動しました。
私たちは、ティエン・ハイ郡タイ・ルオン村のファム・ヴァン・
ジオンさん宅に急ぎました。
ベトナムでは、よくある例ですが、ジオンさん夫妻は、土地を持っている兄の敷地の中に住まわせて貰っていました。写真は、ずいぶんお金持ちの家のように見えますが、下の写真はお兄さんの家です。
本当は、ジオンさんの家でお話を伺おうと思っていたのですが、あまりに狭いのと真っ暗なので、お兄さんの家の居間をお借りしました。
ジオンさん・ザウさんご夫妻

ファム・ヴァン・ジオンさんは、1951年の生まれ。今年57歳。1972年に人民軍に入隊しました。ジオンさん21歳の時です。
北部のハイズオン省に駐屯し、南部での従軍はなかったようです。

戦場に行ったのは、奥さんのグエン・ティ・ザウさんでした。1974年2月から、1980年12月31日まで、ザーライ、コントゥムなどの省がある中南部のタイグエン戦場で従軍です。ザウさんは従軍看護婦でした。看護婦不足という逼迫した事態があったのでしょう。担当の病院は、249移動病院。つまり野戦病院です。

ベトナム戦争の末期。戦いは激しく、負傷して入院して来る兵士は多かったようです。そして、マラリアにかかっている兵士も多く、薬剤不足。外国からもらった薬の中には、アメリカ軍の薬も入っていたとか。

「子ども3人とも脳性マヒです」ザウさん

二人の間には、5人の子どもができました。
長男ファム・ヴァン・チュンさんは、1983年生まれ。2歳で死亡。
長女ファム・ティ・ルエンさんは、1984年生まれたが、8ヶ月で死亡。

という悲劇が続きました。「二人とも生まれた後も元樹だった。ほんとうに元気な子でした。熱が出て突然亡くなりました(感染症で?)」と、母は涙をぬぐう。

そして、3人目の子が生まれました。
次男ファム・ヴァン・タンさんです。1986年に生まれました。しかし・・・会話は出来ません。7歳になってようやく歩行を始めましたが、脳性麻痺です。
次女のファム・ティ・ガムさんは1987年生まれ。この方も脳性麻痺。現在ハノイ・友好村に入村中です。
三女ファム・ティ・テーさん。1989年生まれ。脳性麻痺。

ジオンさんは、北部にいて枯れ葉剤をあびていません。子ども達がこうなった結果は、ザウさんの体の方に原因があるかもしれません。そのことは、今回聞きませんでしたが、どこかで辛い思いをなさっているのではないでしょうか。

新家族「コーちゃん」に「ノンちゃん」
ここのお宅には、子豚が2頭届いていました。とても可愛い子豚でした。「コーちゃん」(弘一郎さん)「ノンちゃん」(暢子さん)と、支援隊にご寄付下さった方の下のお名前から取らせて頂きました。

豚の餌については、よくご存じでした。「ホテイ草やバナナの茎も飼料になりますよ」と。ホテイ草、別名をウォーター・ヒヤシンスといいます。生命力があります。豊かさをもたらしてほしい・と祈らずにはいられませんでした。支援農家のキーワードは・・豊作・子豚です。
寄付された衣類を贈呈する名古医師
ベトナム女性は、猛烈な働き者です。奥さんのザウさんも例外ではありません。朝4時か5時には畑に行き、夜の9時~10時まで働きます。働き詰めのザウさんの健康も、余り良くありません。

夫婦の一番の心配は、御多分に漏れず、子ども達の将来のことです。「二人が死んだ後の子どものことが心配だ」といいます。
「今は、出来るだけ頑張ります。子どもは政府にお願いしたいです」と言いました。
Posted by Picasa

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