奥さんは、ブイ・ティ・マウ(BuiThiMau)さんで、農業を営んでいます。1944年生まれで、今年64歳。
畠の広さは1080平米。およそ330坪。この畠から、600キロの米の収穫があるそうですが、苗、肥料、殺虫剤など必要な経費を差し引くと、家族が食べる米は120キロしか残りません。ここは二毛作なので、平均すれば年240キロの米が、家族の食い扶持として残ります。親子3人で、なんとか食べいけるくらいの量だそうです。
マウさんには、子どもが4人います。マウさんの家で畑仕事が出来るのは、マウさんだけ。
長男:ブイ・ヴァン・アイン(BuiVanAnh)さん。死亡。
次男:ブイ・ヴァン・マイン(BuiVanManh)さん。耳が聞こえない。現在ホーチミン市のうどん屋さんで働いている。
三男:ブイ・ヴァン・ヴァン(BuiVanVang)さん。知的障害。
長女:ブイ・ティ・グエット(BuiThiNghuet)さん。16歳の時に友好村に行って18ヶ月滞在した。
マウさんのご苦労は大変です。なぜなら、三男、長女とも、先天的な知的障害をもっているからです。突っ込んだ会話が、自分の生んだ子どもと出来ません。親として、この精神的辛さは大変なことだと思いますよ。
「三男ヴァンさん(33歳)の健康の状態はどうですか?」
「健康状態はよくありません。夜は全然寝ません。声を出し続けます。知的障害があるので、話してもすぐ忘れます。何回話してもわかりません。三男は14歳の時に初めて歩けるようになりました」
マウさんは、妊娠中も、出産時も病院には行ったことがないそうです。子ども4人とも、家で出産しました。「子どもに異常があるかどうか、何も分かりませんでした。妊娠してからは、私は痩せてきました」と言いました。
今は、親と一緒にいる二人が枯れ葉剤被害者手当を受給しています。現受給額は一人月額56万ドン(080824現在)。
「お母さんが、今一番心配していることは何ですか?」 と、聞いてみました。
「自分が病気になったら、この子たちの世話が出来なくなります。私も健康ではありません。去年は1ヶ月入院しました。その時は、私の兄の子どもが、この2人の面倒をみてくれました」
「色心不二」という言葉があります。心と体は一体です。わが心に「希望の太陽」が輝いてこそ病魔の闇を打ち払うことができます。薬を生かすのも、根本は人間の生命力です。何があっても敢然と前へ前へ進んでいく「創造的生命力」を、私たちは、マウさんから引き出したい・・と思いました。
「豚に名前をつけたので、覚えてください。1頭はみっちゃん。2頭目はスーちゃん」
「家族と同じように、いい子いい子してあげてくださいね」
「はいはい、もちろんですとも」と。
大釜一男さん「豚の赤ちゃんはどのくらい生まれますか?」
マウさん「一番多い時は、10頭です。少ない時でも8頭は生みます」
北村 「子豚を高く売ってくださいね」
「もちろんですとも」
北村 「売れたら、お酒持ってきますから、乾杯しましょう」
「ありがとう。私はお酒は飲めませんが」
北村 「こうやって乾杯しましょうよ」
「ありがとう、ありがとう」
「お母さん、健康でいてくださいね」と、私が言うと、通訳のアインさんが「ハイ」と。
北村 「あなたお母さんじゃないじゃないか」
そこで又皆が大笑い。
「いろいろなご心配、援助ありがとうございます。皆さんのご厚意に感動しています」と、マウさんは、御礼を言いました。
名古澄代さん「ご家族のご健康、幸せを祈っています」
マウさん「家族にとって、この2頭は大事な物ですので、本当に感謝致します」
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