2007-12-30

2007年 寄贈者リスト

平成19年9月以降のご寄付リストです。
本年もたくさんのご支援に感謝致します。少しでも多くの人が波浪を乗り切るために、浄財は大変に役立っております。

                      寄付金の部
               

9月1日 沢谷 和子さま 沼津市
9月1日 西山 房子さま 沼津市
9月1日 後藤 昌子さま 沼津市
10月20日 井原 春子さま 函南町肥田
10月17日 若月 孝子さま 文京区小石川
10月22日 古瀬壬生子さま 三島市
11月19日 西村克彦さま さいたま市(*日本大学文理学部英文科38年同期会+野々村新教授)
12月11日 西村克彦さま さいたま市(*日本大学文理学部英文科38年同期会)

暗い闇の中におかれた被害者にとって、皆様のご支援は一条の光です。暖かいお気持ちの入った衣類で包まれる時、越日の民衆レベルの友好は太さを増して行くと思います。
衣類の部
10月1日 安田 秀美 さま 三田市
10月1日 大柴 あきこさま 大和市
10月21日 臼井 素子 さま  調布市
11月16日 芦沢 恵子 さま 三島市
12月1日 高橋 和枝 さま 三島市
12月22日 阿部 清美 さま 函南町
12月24日 今矢 恭子 さま シドニー              
ご支援ありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。
愛のベトナムさわやか支援隊 会長 大釜 一男Posted by Picasa

2007-12-13

旅の感想(8)

トアイさんと対話する新谷さん(左)

最終回 感動とショック 北村 元

《感動》長い人生の中で、生活に彩りを与えるのは、なんといっても感動をおいて他にないだろう。感動は、天座を彩る星にも値する。

ベトナムで数知れず感動してきた私のような者でも、今年の支援ツアーで受けた感動はまた、ひと味違ったものだった。それがまた、来年も自ら求めてベトナムに行ってしまう不思議な心の作用なのである。

老化防止によく言われる「かきくけこ人生」なるものがある。「か」感動する。き」興味を持つ。く」工夫する。け」健康。心身ともの健康である。こ」恋をする。この中でも、感動は大事な要素である。しかし、感動することはそれほど簡単ではない。

「がぎぐげご人生」というのもある。「頑固」「欺瞞」「愚痴」下品」「傲慢」これは、世の中のためにならない。

衣類を贈呈する河口さん。後列一番左はショックを受けた伊藤啓太君。

私たちの支援ツアーでは、多くの家庭を在宅訪問するが、「ここは、こういうご苦労のあるお宅です。ご主人は、南部戦線でこういう戦いをされた方です、はい感動してください」と呼び掛けたところで、人はそう簡単には感動するものではない。そこに対話がなければならないし、相手からの反応がなくてはならない。あるいは、そこに、自分の目でみた相手の表情や現実の姿がなくてはならないと思う。

ここ10年近く、日本では、特に「無感動・無関心」の人が増えてきたという指摘がされてきた。今の日本で、感動することはそれほど簡単ことではない。物質的に満ち足りたことが、心の感性を失う結果になってしまった。少なくとも、「感動」するには、多少なりとも心の余裕がなくてはならない。余裕のない「心」は、はっと感動する入り口に立っても、そこで終わってその次を断ち切ってしまう。「き」の興味に繋がらないのである。

ベトナム支援ツアーの場合、感動の入り口はいっぱいある。生まれた子が全員障害をもち、よくご夫婦で育ててきたと、ご夫婦に感動する。耳は難聴だけど、そういう子どもに良く礼儀をしつけたと親の偉大さに感動する。体の弱くなった親に、この若さでよく家事をお手伝いしていると子どもの姿に感動する、私たちが差し上げた車椅子に乗って、本当に暫く振りで外出した表情を見せる元兵士に感動したとか、年を取っても親は親、年を取っても子はやはり子、日本で薄くなった親子の絆に感動する・・などなど、私たちが支援先のどこへ行っても見られる風景である。

上崎理会子さんとファム・ティ・ハンちゃん

話を聞けば聞くほど、その感動は「深まって」いく。この目に見えない「感動」の気持ちが、自分の日常生活に少しずつ力になってくるように思う。

過酷な条件の中で、必死に耐えている人たちがいるのだから、自分も毎日の生活に負けないようにしよう。来年は、ベトナムでもっと笑顔の数を増やしてあげよう。あの子を大学に進ませてあげよう。あの子に栄養をつけさせてあげよう・・などとなっていく。いやそうなっていくのが普通である。

「感動」は、「興味」につなげる心の中の余裕を徐々に広げていく役目があると確信する。

《ショック》ベトナム支援ツアーでショックを受ける人が毎年いる。今回もはっきりと表に出た人が3人いた。

一人は、伊藤啓太君である。タイビン省のグエン・ヴァン・ヒューさん宅に着いた時だった。お嬢さんのグエン・ティ・クエンさんが、自室で大小を排泄したままで、異常な臭気を、伊藤君が感じたからであった。ここが生活の場所なのか?と。(だからこそ、私たちは、井戸水による水道施設を贈呈したのだが)

二人目は、上崎理会子ちゃんだった。彼女は、多くを語らないが、ベトナム滞在中、食が心配するほど細かった。それは、自分の年齢に近い人たちが、このような生活を送っているのを初めてみて、やはり心に衝撃を受けて箸が進まなかったのだ。(第7回 旅の感想参照)

三人目は、主婦の河口ふみさんだった。快活で、元気に話をされる方だった。何か質問はありませんか?と皆に聞くと、彼女は手を挙げた。それまで、元気に聞こえていた声が、その瞬間から出なくなってしまった。

これは、ロンドン大学のシンガー博士が発見した、脳の中の「同情ニューロン」が働いたからだと考える。他人が苦しんでいるのをみて「痛いだろうなあ」と感じる痛覚を生かす神経である。                   

これは、この3人が幸せであることの裏返しだと、私は思う。自分との比較の中で、どこかに想像を絶するものがあって、さぞ大変に違いないと感じる神経が正常に働いたことを示していると思う。                
         
ユニセフの発表によれば、孤独を感じると答えた日本の15歳の割合は、29.8%で、先進国中、最も高かった。その日本の二人の高校生が積極的にベトナム支援ツーに参加して痛みを感じたことは素晴らしいことだと思う。

北ベトナム軍が撃ち落としたB52の前で(ヒュー・ティエップ湖で)
私は、この「感動」「ショック」を、自分の行動に結びつけていくことが大事だと考える。自分の心の中で常にケーススタディができる、相手のことをより一層考える思考法を生む手段になると言えるのではないか。              
そういう点では、手前味噌になるが、ベトナム支援ツアーは最適な条件を備えていると思う。           
来年もまた、ベトナムの被害者に、私たち支援隊一人ひとりの夢を託して行きたいと考えている。それが、この支援の最大の楽しみである。人が少しでも、幸福へ向かって動き出すのをみることは、嬉しいことである。                    
                                   
人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬えば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし・・・の精神を大いに生かしていきたい。            
       
少ない支援ではあるが、少ない支援からより大きな結果を生み出すことを、私たちは恥とはしない。ベトナムに「こ」恋しているからだ。              
           
人が歩かないと、そこに道は出来ない。私たちは、人を集めて、物を贈呈することをよしとしない。一軒一軒足を運ぶ。少しでも「生の声」を聞き、対話をするために。
私たちの行動で 砂漠と化した 人間の心の大地を耕していきたい。

来年、あなたも参加しませんか?

Let's go to Vietnam to learn and experience something different
next year
!(旅の感想=最終回)
Posted by Picasa

旅の感想(7)

最大のニューフロンティアに 私も挑戦    上崎 理会子

2学期に入り、私は情熱の日(体育祭)の梯団執行部として活動させて頂き、また今は委員会の長として活動させてもらっていますが、片時もベトナムで出会った方々のことを忘れたことはありません。

施設や家庭訪問で出会った子どもたち(私もまだまだ子どもですが)の笑顔は、私の脳裏から離れることをしりません。

ベトナムで見たこと、聞いたことは、私の全く知らない世界でした。戦争の後遺症に苦しむ人々、貧困問題や衛生面など本当に様々な壁がある国だと思いました。

友好村での音楽療法 笑顔そして笑顔
自由競争が許されている世の中なので、多少の弱肉強食はまぬかれません。しかし、ベトナムは違いました。弱者は、ほんとうに大変な生活を強いられ、政府からの援助も十分ではない現状でした。

衣服も食糧も満足になく、今晩、目の前にならべられる数々の料理で、一体何人の人が満足に食べることが出来るのだろうと考えると、ご飯が喉を通らなくなりました。

そして何より、子どもたちの笑顔です。彼らは、ほんとうに素直な心の持ち主でした。枯れ葉剤の被害が彼らの体に及ぼしている障害をも吹き飛ばしてしまうような笑顔の持ち主でした。そんな子どもたちの笑顔を、私は守らなければいけません。そう強く感じました。
目が輝くベトナム・ニンビン省の子ら
ベトナム・スタディー・ツアーに参加した一つの理由として、私の進路が定まらないと言うことがありました。しかし、今、私には自分の将来のビジョンが見えてきています。

発展途上国の子どもを守れるような仕事に就くために、大学でも平和学や国際学を専攻しようと思っています。
黄色いシャツの女性が筆者
今回の支援ツアーで、私は、ほんとうに様々なことを考える機会を頂き、たくさんのことを学ばせて頂きました。ツアーに参加させてくれた両親への感謝の思いと、ツアー中優しくしてくださった方々への御礼をこめて、手紙を終わります。
 
“「精神の世界」「生命の世界」こそ、いよいよ本格的に人類が挑むべき、最大のニューフロンティアである”
 しっかりがんばってまいります。(了)
Posted by Picasa