訪問したのは、ドー・ティ・トゥオイさんだ。戦争中は工兵だった。
いやたくさんの戦友が集まっていた。居間は、まるで、戦友会のようだった。
トゥオイさんは、1956年生まれ。戦争末期の1973年8月にラオス南部に派遣された。そこは、もう既に戦闘はなかった、という。
トゥオイさんは、1976年にマラリアにかかって、除隊。
ご主人は、現在58歳だが、戦争中南部のカントー省にて従軍。偵察任務を負っていた。今は、耳が聞こえなくなり、また視力を失うくらいに衰えた。「結婚した時は、げんきだったんですよ」と、奥さんのトゥオイさんは、喋りにくそうに一語一語ゆっくりと話した。
トゥオイさんの体は、枯れ葉剤に徐々に浸食されてきた。2年半前から左半身マヒになった。左半身は、完全に感覚を失っている。身の回りのことも、自分で出来なくなった。シャワーも子どもがやってくれる。話すことも食べることも、困難になってきた。そのうえ、高血圧。220←→120の数値は高すぎて危険。ご飯も、1回に1杯だけ。
助産師・名古澄代さん、新谷文子さんが中心になって、車椅子の実習訓練に入った。
車椅子の利用に怪我があってはならない。扱う人がそこを心得なくてはならない。
心強かったのは、長女のトゥイさんがきてくれたことだ。「いつも遊びにきてくれる」と、母親のトゥオイさんは、嬉しそうだ。
名古さん、新谷さんが、通訳を通して、注意事項を分かりやすく伝えていく。長女は若いから飲み込みも早かった。贈呈にあたっては、誰が押して乗せてくれるのか、道路はいいか、常に贈呈側としては、最大に気がかりな部分だ。
トゥオイさんは、久しぶりに門をくぐって外に出た。
暑い日差しだったが、気分は良さそうだった。
母親の気持ちが分かってくれる娘さんが、車椅子の面倒をみてくれれば、こんなありがたい事はない。家の前の道を一往復して戻ってきた。「嬉しかった」と、一言。
「何もできません。子ども達の手伝いが必要なんで、とてもこの先心配です」と。
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