8月28日午前9時。私たちは、最後の公式行事であるベトナム全国枯れ葉剤被害者協会(VAVA)を訪問した。副会長のグエン・チョン・ニャン博士とは、1年ぶりの再会だった。
博士は、日本訪問を10回も果たしている。「ヒロシマ、ナガサキ、名古屋 福岡へ行きました。1988年には、車で5合目まで登り、富士山を近くでみました。その後東京に行きました」と、楽しそうに話を切り出され、懇談的な話し合いになった。
以下は、ニャン博士の発言要旨である。
資料をもとに話をするニャン副会長 ▼亡くなったダン・ヴー・ヒエップ会長の後は、新会長に、ドー・スアン・ジエン(Do Xuan Dien)さんという人がなりました。やはり、枯れ葉剤の被害者です。チュオンソン山脈で枯れ葉剤を浴びました。余り健康はよくありません。
▼現在枯れ葉剤の被害者の数は、300万人と思ってください。来年、詳しく検査します。アメリカが1961年から撒き始めてから、たくさんの人が死んでいきました。そして、戦後は新しい被害者も出てきました。枯れ葉剤被害者は増えています。
▼ベトナムは経済優先で進んでいるので、枯れ葉剤の被害者をなかなか確定できないでいます。被害者の病気は、不治の病です。
▼赤十字、労働新聞、青年新聞などのメディアの他、子どもを守る団体もスポンサーになっています。各種団体が一緒になって、行動していますが、何も貰えない被害者もいます。
そこで、いま、各種団体を統一して、一つの計画を立ち上げたいと考えています。(註1)
支援隊から金一封を寄付する大釜会長(当時) ▼戦争中行方不明になったアメリカ軍の遺骨を探したのは、ベトナム人の広い心です。アメリカが応えないために、2004年にアメリカで裁判を起こしました。アメリカの裁判所は、ベトナムの訴えを棄却していますが、私たちは訴え続けています。
▼アメリカの裁判所は、却下の理由をいろいろ挙げていますが、全部間違っています。
例えば、ベトナムで撒いた枯れ葉剤の毒性は少ない・・と言うものです。あれは、葉を枯らすだけのもので、人体への影響は無い・・と言っています。しかし、現実をみていません。
▼アメリカでは、国家、詰まり政府が裁判所に圧力をかけたと思います。理由は、ベトナムが勝ったら、アメリカは賠償しなくてはならないという考えです。国際法では、枯れ葉剤、化学兵器を使用してはならないという規定があります。
▼二つ目の理由は、この裁判で、ベトナムが勝つと、アメリカ政府は人権に違反している人権の国になるからです。アメリカは、ベトナムに人権を守れと言ってきましたが、人権に違反しているのはアメリカです。
▼2008年10月にアメリカで会議があります。私も、文書で参加しようと思っています。この発言のタイトルは、「枯れ葉剤とアメリカの心」にしようと決めています。結論は、アメリカで心ある人は誰ですか? です。
以上が、ニャン博士の発言の概要です。
停電で、外でニャン博士と記念写真
一義的にも国際的にも、アメリカが誠意ある姿勢を見せることが肝要だと思う。そういう国際環境を作る国際的な連帯が必要である。
その一方で、国内的には、ニャン副会長が話されたように、国内での被害者支援の意識向上をはかることが大事だ。それは、昔の貧乏を分かち合う共産主義の清い精神に立ち返ることであり、ひいては苦しむ人たちと同苦するより高い精神運動を遍満させることである。
その点で、ニャン博士の発言と関連して、私たちの通訳を務めてくれたマイ・アインさんが、名古姉妹に話した内容(註1)は、一市民としての意識として大事であるので、ここに紹介しておきたい。
「今まで、貧乏な人がいることや枯れ葉剤被害者は知っていた。でも今回、実際家庭訪問をして、自分の目で見て、現実がわかった。彼らは手当てを貰っていても僅か。例え私たちが一ヶ月生活できるお金を彼らに渡しても、貧乏の悪循環は崩れない。こうした状況があっても、今もなお続くのは私たちの責任でもある。私たちも自分に何が出来るか考えていかなければならない。」(マイ・アインさん)
22歳のタイン・ニエン(ベトナム語=若者)のこの考えには、重なるところが多くあるのではないか。
支援隊にVAVAから送られた感謝状 ここの訪問を終えて、今ツアーでの私の役目はほぼ終了した。示唆に富んだ支援ツアーだった。
「自然は、人間に一枚の舌と二つの耳を与えた。ゆえに話すことの二倍だけ聞け」という、古代ギリシャの哲学者ゼノンの言葉が伝えられている。人の話に真剣に耳を傾けることの大切さを強調したものだ。かと思うと、聞く耳をもたず、意地悪いことを話す「耳が一つで、2枚舌」の人間もいる。
数多くの方々に会えて話に耳を傾けたことは、間違いなく有意義だった。賢明に言葉を紡ぎ、全力で対話に傾注したつもりであるが、私の力及ばずのところがあった。私たちは「聞き上手」でありたい。豊かな「同苦の心」を持って合わせたい。相手の思いを知らなければ、どんな激励の言葉も空回りになる。「聴く力」あって、初めて「語る力」が生かされることを常に心に留めておきたい。
タイビン省のVAVAからは、ちょっと違った角度での指摘もあった。支援の量を増やしてほしいという怒りにも近い声を聞いた。私たちが会ったのは、ほんの一握りの被害者でしかない。私たちは、毎年毎年、微力の限りを尽くしているが、被害者救済にはほど遠い。
反面、現在、日本の平和教育で問題となっていることに、戦争体験の風化がある。平和の心を後世に伝え、広げることは、容易ではない。しかし、黙っていては伝わらない。乗り越える一つの方途は、「戦争体験」をさまざまな機会を通して伝え、訴えることだ。
このベトナムでは、今でも戦争を追体験できる。忘れない、忘れさせないための努力を永遠に続けていく義務も、私たちにはある。この地道な訴えこそ、平和への第一歩と心得る。
いま、私たちが行っている、聞き取りと支援活動という両面作戦は、私たちの心の中に戦争風化の防波堤を築きながら、同時に被害者の中に少しでも負けない心を育てていく隠れた作業だと自負している。
支援隊といっても、物をあげるだけではない。不幸な犠牲者の人生の応援団であり続けようと、少なくとも私は務めている。その点では、支援を数よこせというタイビン省のVAVAの主張と私たちの考えには隔たりがある。
そして、忘れてならないのは、「自分たちが励ます側にいることが、どんなにすばらしいことか」である。つまらないことでもめている場合ではない。
来年も、再来年も、戦争風化を止め、支援と交流に一層力を入れていきたいと決意を新たにした今年である。“どげんかせんといかん”のではないか。
一つ一つに全力を注いできたつもりであるが、至らないところが多々あったと思う。「一人の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成ずる事なし」と、箴言にある。その時々の問題に集中し、情熱を込め、全力を出し切っていくことが、今後とも必要だと思う。
皆さん方のお考えを聞かせて頂きたい、と願っている。