8月23日 3軒目の在宅訪問は、ヴー・ヴァン・カンさんのお宅だった。
カンさんの第4子、フックさんは、22歳。
普段は、ゴザを敷いた板張りの広めのベッドの4平米の 中で過ごす。
これが、彼の空間である。
両親が出かけている間は、ベッドから自由には出られない。
母親のメンさんがいうには、フックさんは、生まれてから自分で頭を上げることが出来なかった。
早速車椅子を贈呈し、新谷さんの指導で、段差のあるところの移動など注意すべき点を説明した。
安全ベルトで足をゆるく結わってあるのは、自分で足の位置を調整できないので、車椅子で移動中の怪我を防ぐためである。
ベトナムの家屋や敷地は、家屋に入るときに段差があったり、家屋から中庭に出るときに、階段3段くらいが必ずあるので、患者さんを抱いて外に出るには、家人がかなりの力を必要とすることだ。
フックさんの場合は、ベッドから乗り移す必要があり、そう言う点も説明した。
快適に感じて貰えたのか、フックさんは大声も出さず、おとなしく近所を車椅子で散歩した。
カンさんは、72年に出征して、クアンチ省のドンハーなどへ。
輸送部隊としてトラック運転手で軍事物資を運搬。中国製のトラックを駆って、ホーチミン・ルートを南部のタイにン省まで行った。 爆撃を受けて逃げたこともたびたび。
木の葉が枯れているのにも気づいた。激戦地が特に枯れていた。
ビン・フック省の現国道14号線のドン・ソアイで、1973年の爆撃を受けた。タイビン省の同じ村の5人は辛うじて幸運にも生き残った。
1975年4月30日のサイゴン陥落時には、ブオン・マ・トゥオットにいた。
「緊張しましたね。家も壊されていたし・・。祝勝気分になったその陥落時の4月でも、酒は飲めなかったですね」
カン・さん夫妻には、4人の子どもがいて、長女は嫁ぎ健常のようである。
しかし、下3人は男性で、いずれも大きな問題を抱えている。長男は心臓病。次男はガン。三男のフックさんは先天性の精神障害。
フックさんは2000年に枯葉剤被害者二にんていされ、現在月額47万ドンを受給しているが、働き手となるはずの男手は、いずれも問題を抱えている。
夫妻に心休まる日は来ない。
戦争の後遺症がこれほどまでながびくことを誰が想像したか。
上は、衣類を贈呈する石井紘子さん。
2007-09-07
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