8月21日:ハノイを早く出て、ハロン湾~ハイフォン(海防)~タイビンまでの長距離移動。
私には本当に久しぶりのハロン湾。ハロン湾上での独り言とでもいきましょうか?
北ベトナム観光局が設立された1960年。いち早く整備が始まった屈指の観光地。とはいえ、戦争中。
大小3000もの奇岩・島々が存在するといいます。一説には、1600と言われます。どうしてこう違うのか。これはやはりベトナムだから、です。数を突き詰めてきくと、「コー・ニョー(たくさんある)」と言います。漢字表記は下龍湾。中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が天から現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったといいます。
現在は無人ですが、約7000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいたといいます。また、数世紀前までは海賊の隠れ家ともなり、また 蒙古軍の侵攻の際には軍事的に利用されたようです。
島々の景観は、太陽の位置で輝きが変化し、雨や霧によってまた味わいのある幽玄な世界を醸し出し出します。 地質学的には北は、中国の桂林から南はニンビン(寧平)までの広大な石灰岩台地の一角を形成しています。
石灰岩台地が沈降を繰り返し、強い雨や風の風化作用で浸食されのが、現在の姿です。地元の人々は、個性的な形をした島や岩に親しみを込めて名前をつけ、故郷の景色を愛してきました。「海の桂林」とも呼んでいます。
ハロン湾は、密輸に暗躍する者、愛国主義者、追放された支配者の侵入・脱出ルートでした。600年前、中国からの侵略と戦ったベトナム兵士は、これらの島々で待ち伏せしていました。1961年、当時ソ越友好協会会長だったソ連の元宇宙飛行士が訪越した際、ホーチミン国家主席は、ある島で彼をもてなしたといいます。その後、党幹部の別荘地となり、ベトナム戦争中、アメリカ軍の爆撃で廃墟となった。
1965年から1972年までのアメリカ軍の爆撃は相当なものでした。B52の空爆、アメリカ第7艦隊からの爆撃と海と空から・・・。戦争中は、このいくつかの島や洞窟が、アメリカ軍からの爆撃の避難場所になっていたそうです。
一帯は、海南島などに向けて国外脱出を図るベトナム人難民の経由地という別の顔もあり、洞窟は難民の隠れ家になっていた。
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