タムさんは、559部隊出身で、現在59歳。
奥さんは、18歳で青年突撃隊に入隊。
「自分の希望で入隊したのです。志願しました」と。
奥さんの任務は、道路造成工事、爆弾投下後のクレーターを埋める道路補修など。「昔は、30キロから50キロも爆弾を運びました。昔は元気でしたから」と、奥さん。
奥さんは、13年前から左手が不自由になった。麻痺状態だ。
ご主人のディン・ドゥック・フンさんとタムさんは、戦場で知り合った。
「タムの白い手首に、私の名前を書きました。タムはその名前の上にハンカチを乗せて隠して、大切にしていました」
奥さんは、1971年か1973年ごろ、クアンビン省の1号線で爆弾の破片が頭に入った。そして、現場から20キロ離れた同省のドンホイにある41号軍病院に入院した。
フンさんは言った。「私は見舞いにいきました」「怪我をした辺りは、木が枯れていました。当時、枯れ葉剤の影響を受けたなどとは思いもしませんでした」
タムさんの家には、奥さんをイメージしたチュオンソン山脈で道路工事をする559部隊を描いた大きな画が飾られていた。
「この画は、1968年の一番戦争が激しかった頃の青年突撃隊をイメージして書きました」
画の左下に、不発弾ありの”注意書き”も見られる。チュオンソン山脈の東側のホーチミンルートで、道路工事に携わる乙女達の姿がリアルに描かれている。
「二人が1968年に青年突撃隊に入隊したのですが、その入隊を思い出に残そうと描いたものです。アメリカとの激しい戦争の思い出を記憶に留めておきたいと、画にしました。18歳で、救国の気持ちに燃えて、戦場に行ったわけですから」
2006年のベトナム美術協会中央展覧会で入賞した作品。ご主人は、戦争が終わって美術大学に入学した。2年前に文化省に勤務した。
(下は、衣類を贈呈する角倉洋子さん)
タムさんには、子どもが4人。
長女:1973年生まれ。生まれた時は普通の子どもだったと思う。10歳までは体は健康だった。6歳の時に通学したが、勉強はできなかった。
「学校に行ってもふらふら町に出かけてしまったようで、それを友達が教えてくれてわかりました」
精神障害を持っていたのかもしれない。10歳頃から話せなくなった。「時々話し掛けてみますが、あまりわからないようです。長女はさっきまでここにいたのですが、皆が来たので出ていってしまいました」 虚弱な長男を除けば、次男、三男は健康。
今の願いは?と、質問してみた。
「昔の元気を取り戻したいです。そして長女の精神障害が直ったら、何よりですが」
車椅子の乗り心地が気になった。
「気分がいいですね。乗り心地はいいです」「昔健康な時は、戦友とよく歌いに行きましたが、健康を害してからは行っていません。これからは車椅子を頂いたので、旧友と歌いにいけそうです」 やはり外にでたかったのだ。奥さんの行動空間が広がればうれしい。
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