この写真は、今年5月のもの。
贈呈した車椅子の使用方法を説明する外務省のタインさん。
右は、父親のヒューさん。真ん中は息子のお嫁さん、グエン・ティ・ティンさん。
このお宅には、車椅子の贈呈のほか、井戸を掘る援助をした。
左は、衣類を贈呈する河口ふみさん。奥さんのダオ・ティ・スアンさん(右)。”スアン”は、”春”という意味だ。
ご家庭の事情を少々ご紹介しておこう。
ヒューさんは、農業大学に合格したが、大学を棒に振って救国闘争に志願し、1965年に入隊。
コントゥム省で、工兵隊の偵察部隊として従軍。敵の奥深くまで入ることもあり、いつも危険な思いをしていた。
危険なことは数え切れないほどある。その後、ラオス領にもはいり、ザーライ省でも従軍。
「枯れ葉剤撒布に3回やられました。66年、67年、68年と。最初は衣服の上から浴びました。その後吐き気やくしゃみの症状が出ました。67年から70年頃まで、症状としてはふらふらして目眩がした。その後背骨が痛くなりました」と、話してくれました。
ヒューさんは、1959年結婚。奥さんは現在高血圧で、余り仕事は出来ない。
子どもは、入隊前に生まれたお嬢さんが2人で、2人とも健常者だ。
3人目は戦後で、流産。
4人目が、この写真のグエン・ティ・クエンさん。
1974年に生まれ。現在33歳。
重い精神障害で、自分が自分を分からない。色白の美系の顔立ちだ。
出産時は体重2キロ。「最初の3年間は弱々しく、成長は遅いように見えました」と、母親。
6歳の時、通学時に目を頻繁に閉じたり、手のひらも閉じたりするので、皆からからかわれていた。普通の人とは違う不規則な動きが目立ったから。
12歳までは普通に育った。13歳の7年生頃に、精神異常が発病した。夕食の時に、お盆の前に座っても、箸を投げたり、ご飯の入ったお茶碗を投げたりし始めた。そして、現在に至る。
ヒューさんの現在の症状:背骨がちくちく痛む。上に向いてまっすぐに寝ると背骨が痛む。右側を下にして寝ると楽。左半身が麻痺状態だ。目は白内障。半身が痛む。熟睡の時間は毎日わずか2時間くらい。 こういう方に、水くみはしんどい。井戸掘りとポンプの設置に本当に感謝してくれた。
井戸は見事に完成していて、大変に感謝された。300ドルで、本当に水道のようにでる。体が楽な分けが分かった。
「井戸は100メートル掘りました。綺麗な水が出ます。給水設備はとっても役立っています。戴いた車椅子で、娘を村のあちこちに連れて行きました」 と、ヒューさんは、御礼を言った。
もう、バケツで水を運ばなくて済む。
上は、取り付けた新しいポンプだ。大釜会長に聞くと、カスケード・ポンプといって、安定して水を汲み上げるポンプだそうだ。地下100メートルの綺麗な水をすいあげてくれる。高齢化した家庭には、朗報だ。
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