2008-10-27

支援隊ツアー08(番外)今年のツアーを終えて

今年のベトナム支援ツアーは、最大時18人で回りました。私たちは、幸運にも、バクザン、タイビン、ナムディン、ニンビンの田舎を、回ることが出来ました。
これらの地方では過疎化が進んでいるという言い方が必ずしも当たっているわけではありませんが、枯れ葉剤被害者の家庭ではやはり老夫婦で生活する世帯が多いようです。障害ゆえに一家は子どもの時代に移行出来ず、いつまでたっても第1世代の夫婦を中心とした世帯をどう支えていくかが、今後のベトナム社会の地域の大きな問題になるのではないかと思います。高齢化する夫婦をどう支えていくか、大きな困難を伴いそうです。
そして、その問題がもうそこまで来ているように思うのです。
妻は死亡。男親が2人の障害児の面倒をみる(クアンガイ省)

今回の家庭訪問で強く感じたことは、そういう世帯では高齢化しつつある夫婦や、家庭の中心者が健康であることがとても、重要な条件になってくるということです。そして、本来なら生き甲斐であるはずだった子ども達の面倒を、自分たちが生きている限りみていかなくてはならないということを焦点に当てると、ではどうやったら、夫婦や中心者が精神面でも強壮な健康を保っていけるか・・・も、問題になってくるでしょう。

隣同士支え合っているんでしょうか? とある所で質問しました。役人からは嘲笑の表情が、私に向けられました。「あんた、そんなこともしらないんですか、助け合っていますとも・・・私たちは・」と、その笑いと表情は物語っていた。

だが、それは、表向きの、きれい事の発言でしょう。すでに、田舎の助け合いは、金銭関係 物々関係に変貌をとげつつあるように思うのです。聞き取りをした農家の多くが、そういう返答をするのです。私の質問は、勿論、無償の関係がまだ崩れていないのですか・・と問うたわけですから。それは、彼らも承知のはずです。本質に近かったから不快感をみせたのでしょう。

ベトナムの田舎は村社会です。濃密な人間関係で成り立っていました。それは理解している積もりです。しかし、そういうベトナムの田舎社会でも、大きな時代の変化が襲来していると言わざるを得ません。

枯れ葉剤の被害者のみならず、病人や高齢者を、村社会がどのように受け入れていくかです。

上のアインさん宅の台所

そこで、とりあえず今中心的役割をはたしている役人たちによる家庭訪問は大事です。いろいろな悪条件があって、なかなかそれが実現出来ていないことは理解できます。

だから、私たちが車椅子を贈呈するその直前まで、車椅子の受領予定者がとっくに死亡しているのが分からなかった現状に、出くわすのです。 3年前のことです。

家庭訪問は、大変意義のあることです。向こうから来てもらうのではないのです。その行為は、被害者や高齢者に、安心と喜びを与えます。これからは、役人のみならず、地域住民が、「顔を見に行く」家庭訪問が、大きな役割を果たして行くと思うのです。

今回、もっと効率の良い支援をしてくれないか、と暗に量的支援の拡大を、鋭く、且つ感情的に表明した省がありました。家を建ててくれという声も、別のところで聞きました。そういう声も貴重な声ではあります。物質的応援は、確かにあるレベルまでは大事です。生活経済の向上無くして、生活弱者に余裕もゆとりも生まれないからです。

第2世代第3世代に頼れないティ・イエンさん(左)クアンガイ省

しかし、それを完遂したところで、なおかつ超えられない物があります。立派な家を建ててあげても、解決できない問題は必ず残ります。いずれの時点でも、そういう弱者の「心」と役人や私たちの「心」とがどこかでつながっているかどうかがもっとも大切なことは論を待ちません。

 「精神的価値は結局において物質的価値に優るものである」(大道弘雄訳『我等の行く道』朝日新聞社)というルーズベルト大統領の言葉は、大きな意味をもってきます。

有名な箴言があります。「今の世間を見るに人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけるなり」

今の世間を見るならば、人を立派にしていくものは、味方よりも、むしろ強い敵であるとの言葉だ。確かに、困難があり敵がいるから、成長していく・・・しかと熟考してみようと思います。

今回、豚を贈呈したのは、わずか5世帯でした。この3月に、そのうちの1軒を、私は事前訪問しました。そこの女性が、「我が家はとても貧しいです。どうか、世界からも関心を寄せていただければ・・・」と、涙ながらに話しました。もちろん全世界から・・と彼女が言っているのではないことは、分かっていただけると思います。そしてまた、何かを具体的にほしいというのでもありませんでした。

レ・ティ・スエンさん宅の軒先(ニンビン省)
「両親は他界し、枯れ葉剤に侵された2人の妹、弟を面倒見なければならない・・状態に関心をもっていただきたい・・・」と言いました。その場の雰囲気と彼女の気持ちをそのまま素直に解釈するならば、「それで私たちも少しは元気がでると思うのです」ということだったと確信します。

今年の支援活動である程度やったな・・とこつんと当たった感触を得られるかどうかは、ひとえに下見にかかっています。

どうすれば、被害者や高齢化夫婦から元気をひきだせるか・・・それは贈呈する物の量に比例するものではありません。私たちが相手の心とどう繋げられるか・・にかかっています。それを見つけることが、下見の使命です。
さて、このツアーにご参加の皆様。今、わが胸に、何人の友の「顔」が浮かんできますか。きょうを真摯に生きるのは、単に自分のためだけではありません。胸に浮かんだ友の笑顔のためでもあります。そこに、己心の力も限りなく湧いてくるのではないでしょうか。 (北村 元:記)Posted by Picasa

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