2007-09-05

グエン・ヴァン・クイさん宅弔問

写真上は、衣類を渡す北村静子さん。

7月9日の夜のベトナム外務省のタインさんからの連絡は、大きなショックでした。”7月7日、グエン・ヴァン・クイさん逝去”・・という内容でした。その日、私は、アメリカでの訴訟で連邦裁判所に出たクイさんのことを、ブログに書いたのです。あまりにも偶然でした。そして、そのブログを読んでくれた大釜芙美子副会長から、「私も、裁判が勝つまで戦う決意です」という力強いメールをもらったのです。なんというタイミングでしょうか。

ハロン湾の帰りの日程を、「クイさん宅に寄りましょう」と言ってくれたのは、宮尾事務局長でした。 まさに妙案でした。次の目的地タイビンへの通り道です。

最初は弔辞を読む予定はありませんでした。しかし、アメリカの方々が弔電を送っているのを知って、私もしっかりとクイさんに語りかけようと決心しました。

誠実な方でした。ガンは肺、肝臓、胃と3つも患いながら、家族のためのみならず、他の被害者のために・・の気持ちをいつも忘れない方でした。痛みもあったろうに、一言も触れませんでした。

弔辞の下書きをしているうちに、涙が止めどもなく流れてきました。本番で、泣かない自信はすっかり無くなりました。

バンコク行きの機内で、私は家内に知られないように、弔辞のリハーサルをしました。だめでした。自然で行こう。気取らないクイさんに、そのままの気持ちをぶつけようと決心したのです。クイさんの家について、流れは決まりました。自然体で・・。涙もいいだろう、と。

上の写真は、クイさんの結婚式の写真を載せたテレビ放送です。英語の文字は、原告第1号のフィフィ先生の話を英訳してあります。つまり「二人が結婚する前に、2番目の奥さんに、彼(クイさん)は、前の結婚で奇形児が生まれたことは話していなかった」という内容です。

前の奥さんとの間に奇形児が生まれたので、クイさんは前夫人から離婚を迫られたのです。何を物語っているかといいますと、奥さんが変わっても、そういう障害児がうまれるということは、男性の遺伝子がやられているということが明白だと言うわけです。

写真:右から長女ガーちゃん、奥さんロアンさん、長男チュン君、故クイさん

ベトナム戦争にも大反対したアメリカの人権指導者、故マーティン・ルーサー・キング博士は、こう話しています。

「死は 人生という 大きな文章を終わらせる 終止符ではなく、人生を さらに高次の 意義あるものに高めるためのコンマ(句読点)である」と。あの高邁なキング博士の生命の本質をついた言葉を解釈すれば、クイさんの死は小休止と考えます。
クイさんの闘志、決意、熱意あふるる責任感は、私たちの心の中に永遠に生き続けます。私たちは、平和の実現のために闘っていくことを誓います。

私たちが世界に伝えようとしていることは、この世から戦争をなくすための、生命の尊厳という普遍の哲理です。人間が人間らしく生きるための人間主義です。

クイさんの戦場であったコントゥム省のポコ川、クアンガイ省、クアンナム省だけでなく、ベトナム全土がダイオキシンのない平和の楽土になるように、微力ですが力を尽くしてまいります。

こういう骨子で述べさせて頂き、最後に参列者全員の名前を御霊前に御報告申し上げました。

私より一回り以上若いクイさんを連れ去ったのは、上の写真のドラム缶の中身です。ドラム缶のオレンジ色の帯が見えますね? エージェント・オレンジとはここからきたのです。
人間が、命よりも他の物に、命以上の価値を置く限り、この世に平和は訪れないと思います。一人ひとりの内面の変革こそ必要です。Posted by Picasa

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