2010-10-25

ヴィンフック省・枯れ葉剤被害者

ニンビン省のご報告を中断して、出来上がったばかりの翻訳をアップさせてもらいます。この記事は、ヴィンフック省のティンさんから頂戴した記事です。
私たちは、今年ヴィンフック省を訪問しましたが、同じ省の枯れ葉剤被害者を,ある女性記者が書いた記事です。
なお、写真と記事は無関係です。ヴィンフック省の景色と地図を入れてあります。
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8月10日枯れ葉剤被害者の日に寄せて


母の春

(国民としての抗米救国の)義務を果たした後に、体の30%が障害になったグエン・ヴァン・コンさんは、第572青年先鋒隊から故郷に戻りました。その時、体の中に、もう1つ恐ろしい毒物“エージェント・オレンジ”が入っていようなどとは思いもよりませんでした。

アメリカ軍は1972年~1975年(1961年~1971年の間違い)の間にダイオキシン/エージェント・オレンジを南部ベトナムの森に撒いていました。

コンさんは、1989年生まれの5人の子供の末っ子のギア(Nghia)ちゃんが、枯れ葉剤の後遺症を受けていたという事を知りませんでした。末っ子の女の子は、生まれた時から、兄弟と比べて、姿が全然違いました。左足は右足に比べて短く、体は小さくて、曲がっていました。腰も曲がっていました。

コンさんの奥さんズンさんは子供を抱いて、ただ泣くばかりで、何もできませんでした。コンさんも何も言えずに、ただ涙を飲み込むだけでした。
ギアちゃんが住むタム・ズオン郡の景色
枯れ葉剤の影響でギアちゃんがそういう結果になったことを、コンさんが初めて知ったのは、2005年でした。慰めになることはたったひとつ。それはギアちゃんの頭が良さそうだということでした。7歳になって、同い年の子供たちが通学する姿を見て、ギアちゃんは学校に行きたいと、父にせがみました。

奥さんのズンさんは「自力で歩くことすらできないのに、どうやって学校に通うの」と言っていました。しかし、ギアちゃんは小学校進学の希望を諦める様子はありませんでした。ギアちゃんは、「家にいるより学校に行って、友達と遊びたい」と思いました。それから12年間、ギアちゃん、ギアちゃんの一番上のお兄さん、学校の友達が、ギアちゃんを学校に送り迎えしました。

家族、友達、そして先生たちの応援に応えて、ギアちゃんはとても一生懸命勉強しました。12年間連続で「良」以上の成績を修めたのです。そして、ギアちゃんはタム・ズオン(Tam Duong)文学専門高校の生徒になりました。

2007年、社会学・人文科学大学を受験して、17.5点で合格しました。故郷の先生たち、友達、そして近所の人たちは、ギアちゃんとギアちゃんの両親に大学合格のお祝いしました。
ヴィンフックの地図です。
でも、ギアちゃんが大学に合格し喜んだのもつかの間、心配が起きました。ハノイで勉強するには、たくさんのお金がかかります。枯れ葉剤被害者の子供は学費は無料ですが、大学4年間の生活費や病院代などいろいろあります。家族の収入は毎月の傷病兵手当と、不毛な田んぼからの収入だけでした。

しかし、タムヅオンの銀行には、学生支援スキームがありました。家族は節約しながら、ギアちゃんを大学に通わせました。…現在、ギアちゃんは2007年~2011年度のハノイ国家大学/社会科学・人文科学大学の社会学部K52の3年生になりました。大学のC1学寮に行って、ギアちゃんのことを学生に聞けば、皆知っています。

ギアちゃんの人気の理由は、不自由な体で、どこへ行くにも友達の助けが必要だからということではなくて、困難な状況を乗り越えて、苦しみを克服し、自分で生きていこうという気持ちがあるからです。

時には、「枯れ葉剤被害者って大学で勉強できないでしょう」という刺のある言葉をかけられても、ギアちゃんは、「自分の“不自由な両足で立ち上がる”のだ」(ひどい言葉を聞いても、自信を持って、自分で前進していくという気持ちがあるから大丈夫)という確信があります。

そして、もっと。いろいろな科目の成績は良で最初の2年間、大学の奨学金を受けました。大学の諸活動にも参加し、周りの人と仲良く接して、先生たちや、友達からも愛されています。
タムヅオン国立公園の風景
私は、ギアちゃんに質問をしました。

-どんな目的があって、こんな驚くほどの成績を得られたの?


両親と兄たちは私のためにとっても苦労しました。家族、社会の重荷になりたくありません。自分の人生は自分で決める、他の人に任せるものではないと思います。そうでしょ。大学でいろいろな知識を学びました。不自由な人が集まるクラブに参加したとき、私と同じ状況にある人がたくさんいました。傷病兵の『不自由になってもお荷物なんかじゃない』という気持ちに感動し、自信と力をもらって、すべてを乗り越えてきました。私は自分の人生は自分で決める、常に行動し、いつも虚心で生きていきたい…と思います

私(記者)は本当感動しました。
 
-どんな夢を持っていますか?卒業したら何をするつもりですか?
元気でいることです。卒業したらすぐ仕事できるように、現在、社会政策を研究しています。自分の状態に合うように非政府組織に就職したいと思います。英語も勉強しています


-今は?
ギアちゃんニコニコしながら応えました。
エンジン付の・・・電動車椅子がほしいです。動きやすいし、今後の活動にも役に立つものですが、私の家族では…とっても・・・


私はこう言いました。

頑張って勉強してください。周りに心の広い人がたくさんいるはずだと思いますよ

私はギアちゃんと別れましたが、心の中は重苦しかったのです。

アメリカ軍はチュオンソンの森の緑を全滅したかったと思いますが、今は、巨大な緑が広がっています。

「芽」を殺したくても、殺せなかったのだ。「芽」は、また元気で将来の夢に向かって生きている。私の心の底からこの歌が浮かびあがりました。


Em sẽ là mùa xuân của mẹ


Em sẽ là màu nắng của cha


……


Tình nồng thắm như mặt trời xa...


ギアちゃんの夢が実現するように! そして、戦争で被害を受けた兵士の子供の将来のために、支援をしてくださる心広い方々がたくさんいますようにと、心から祈っています。
翻訳:レ・タイン・トゥン 監訳:北村 元
(この記事おわり)Posted by Picasa

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