8月19日:2軒目のブイ・ヴァン・クアンさんのお宅を訪問しました。残念ながらクアンさんは不在でした。奥様にお会いしました。
クアンさん(1957年生まれ。今年53歳)は、たまたま私たちが訪問した3日前に入院してしまっていました。
「主人は、いつも神経が不安定なので薬を常用していますが、3日前に重くなってきたので、入院しました」
1年に何回も入院なさるんですか?
「はい、1年に2~3回は入院します」
奥様の表情からも、困った様子が覗えます。
名古医師から奥様へ「ヤスちゃん」 ご主人のクアンさんは、戦争中タイニン省に派遣されました。タイニン省は南部の激戦地の一つでもありますし、枯れ葉剤の被害者の多い省でもあります。クアンさんは、軍では、偵察の任務を受けて活動していました。
このことから推察すると、脳神経障害というのは、戦争中に神経がやられた、何かが発生してトラウマ状態が起きているとも考えられます。仮に15歳で従軍したとすると1972年戦場入り・・・17歳で派遣されたとすると1974年戦場入りです。戦争終結まで3年とか2年未満となります。
その頃のベトナム戦争というのは、現在のクアンチ省当たりから解放され、それが南下していったわけですから、サイゴンの西隣のタイニン省は最後まで戦闘が続いていたと想像できます。
奥さんは、「主人は4年ほどタイニンにいた」と言いましたが、結婚前のことで、これ以上詳しくはわかりません。また、この場の趣旨でもないし、興味もない人がいるので、これ以上ほじくるのは止めました。
結婚されたのは、1979年。「結婚する時も神経が不安定でしたよ」精神不安定になると、ご主人はどういう行動をとりますか?
「外で大きな音がするだけで頭痛が起き、驚く素振りをみせ、怒ります。そういう時は、物を投げたりもしますし、子供に暴力を振るったりします」
外に一人で出かけることはありませんか?
「普通の時は、牛を外に連れだして面倒をみることはできます」
食事はちゃんと取っていますか?
「取っていますが、睡眠が十分にとれていません」
ご主人は、枯れ葉剤被害者に認定されています。
ここの収入は、枯れ葉剤被害の手当以外になにかありますか?
「牛,豚の売却、米の収穫です」
お米は年間にどのくらいとれますか?
「米は、1年間で5穀含めて1000キロほどとれます」
(現代においては、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多く、いずれも代表的な人間の主食ですが、ここでは5種類が何であるか、諸事情で聞きませんでした。
奥さんはお元気ですか?
「はい、元気にしています。今53歳です」
クアンさんのお宅は、お子さんは4人です。長女、長男、次男、次女です。
「次女は、ちょっと醜いですが、神経などは正常です」と奥さんは言いました。どういうことをあらわしているのか、詳しく聞きませんでした。「全般的にみれば、ちょっと醜いです」
クアンさん宅には2頭贈呈することになっており、すでに1頭は、われわれが着く前に到着し、後で1頭がくることになっていると、枯れ葉剤被害者協会からの説明がありました。
ここには、川津康代さんからの支援で贈られました。1頭目は、康代さんのお名前から「ヤスちゃん」 2頭目は「ティンちゃん」と名づけました。 ティンはベトナム語で、丸っこい・・という意味で、発音する時は、日本語風に発音すると語尾が下がりますが、「~」こういう風に波形で発音し語尾を上げてください。日本人の苦手な発音です。いいですか?
「2頭お贈りしますが、名前を付けました。名前で呼んでください」と申し上げると、奥さんはちょっと驚いていました。
名古医師から贈られた「ヤスちゃん」の証書には、2回ともきれいに発音してくれて、拍手が起きました。
富田さんからは、「ティンちゃん」の証書が贈られました。ティンちゃんは、ベトナム語なので上手でした。
それにしても、ご主人が入院したせいで、奥さんには元気がありませんでした。
「豚の子どもが生まれたら、枯れ葉剤被害者協会に連絡してください。目標は10頭お願いしますね」と私が言うと、なんとか笑顔が
拝見できました。
宮尾会長から、日本から持参の衣類がぎっしり詰まった袋も贈呈しました。
新谷さんがハンドロール・ピアノで伴奏をつけてくれました。もっとも,私たちは伴奏がなければ歌えない素人集団ですが、私も一所懸命歌ったので、新谷さんの姿を撮れませんでした。次の在宅訪問で撮ります。反省!「激励のために、日本の歌を1曲歌わせてください」と言うと、ベトナム人全員が立ち上がりました。体を壊しちゃいけないと、逃げの態勢・・・かと思いましたよ。新谷さんの選曲で、「富士山」になりました。
歌い終わったところで、タインさんが奥さんに何かいいました。
何と言ったのかを聞きましたら、「歌は上手だったか」と聞いたそうです。
そしたら、奥さんが、「上手だ」と言ったようです。タインさんが、日本語にしてくれました。「おいしいって」と日本語で。その場合は、「うまい・・と訳してくれなくちゃ困るよ」と私。
一同吹き出しました。「富士山の歌はおいしかった」・・・
全員で記念撮影して終わりました。
(つづく)
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