2010-10-13

支援の旅(46)フート省1奨学金

8月19日:いよいよ、我々のツアーのコーディネーションをお願いしているタインさんの故郷、フート省に入りました。漢字で書くと【富壽省】となります。

奨学金贈呈とは無関係ですが、少し、事前の知識を入れておきましょう。【省の人口】は、2008年で、 136万4700人。【人口密度】は 387人/㎢(2008年)となっています。因みに、2008年の静岡県の人口密度は、488.4人/k㎡です。
【富壽省の農村部人口】は、 114万6700人に対して【富壽省都市部人口】は 、21万8000人(2008年)です。農村の省ということになりますね。

ちょっと歴史を見てみましょう。
紀元前1000年の中頃紅河沿いに文郎国(ヴァンラン)というベトナム初の国家があり、その王家が雄王(フンヴゥン)で、首都がフンチャウで18代続きました。いつか、夕食で『フンヴゥン』というフォー屋さんに入りましたが、王の名前を付けたうどん屋さんです。その伝説の王を奉る雄王廟があり、毎年旧暦の3月10日に初の国家建国を祝う盛大な祭礼が行われます。
フートには先史時代の遺跡も残り、紀元前2万年頃の中石器時代のソンビ文化と呼ばれ、その遺構はフートで発掘されています。

2006年1月22日、ベトナム歴史博物館調査チームは、フート省情報文化局と協力、ヤータン村レム集落で6回目の遺跡発掘調査をし、王墓や陶器などの遺跡を発見したと発表。保存状態も極めて完全な状態に近く、王墓内の遺体は、直立で横たわっており、頭部は東方向に向かって置かれていたそうです。

考古学調査チームによりますと、遺体は背丈が150cm程の女性で推定年齢は20~30歳、約3200年~3700年前のものと推測、同年代以後の、レム集落住民の遺体の可能性もあるそうです。この遺跡発掘は、レム集落がベトナム国家形成の成り立ちとされる、伝説のフンヴゥン王時代以前の鉄器時代を研究するにあたり、非常に重要な場所であることを改めて示した結果となる。

 ベトナムの伝説上の王であるフン王(雄王)が祭られているフン寺歴史遺跡地区に建設中の「フン王博物館」は2010年4月に完成しました。
ということで、タインさんは、もしかして、フン王(雄王)の末裔かもしれない・・と思えば、今日の奨学金贈呈式も高尚な雰囲気を湛えそうです。

贈呈式がはじまりましたが、いきなり私のところに挨拶がまわってきました。要旨を書きます。

「皆さん、こんにちは。ベトナム支援隊の北村と申します。今日は、フートの皆さんにお会いできるのを楽しみにしておりました。
本日は、皆さん、奨学金の受領、本当におめでとうございました。


本日、ご協力下さいました、フート省枯れ葉剤被害者協会のニエム会長、ヒエップ副会長、トアイ事務局長他、枯れ葉剤被害者協会の皆様方に厚く厚くお礼を申し上げます。


今日の奨学金には、私たち日本からのお金の他に、このフート省出身のベトナム外務省のタインさんのお金も入っています。その好意に対して,どうか拍手を送ってください。私たちは、長い間支援を続けてきましたが、こうやってベトナム外務省の人が参加してくれたことを大変嬉しく思っています。 私たちは、フート省の若い皆さんに、日本の庶民の皆さんが託してくれたお金を使っていただくことに無上の喜びを感じます。


 41年前の7月に、人類は初めて月に到着しました。(アポロ11号=1969年7月16日)歴史的な足跡をしるしたアームストロング船長はこう言いいました。


 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては巨大な一つの飛躍だ」(『人類が月を歩いた アポロ11号の全記録』毎日新聞社)。


 あまりにも有名な言葉です。


 私たち個人の一歩の歩幅は、1メートルにも満たないものです。


西アジアのアルメニアという国の諺に、こうあります。


 「多くを知るのは、より長く生きた人ではなく、より多く自分の足で歩いた人である」と。


 人生は、歩いた人が勝つ。ニエム会長も、ヒエップ副会長も、戦争中長く歩いた方です。私たちも、遠くから来ました。皆さんにお会いするために。皆さんも歩み続け、学び続けることです。


 「わたしたちは他人の好意にふれるときにこそ、本当に生気溌剌となる」(岩崎英二郎訳)とはゲーテの言葉。 「一対一の触発があってこそ、一人一人の持つ『大きな力』を引き出していくことができます」 今日が、皆さんとそういう出会いになれば、いいなあと願っています。
 最後にフート省の万古長青のご隆盛を心から祈りするとともに、フート省の素晴らしき方々の人生行路に幸多かれと、私たちは祈り続けおります」

では、まず、富田さんから、ドー・ティ・ヒエンさんへの贈呈です。
ヒエンさんは短大3年生です。
蓮の花奨学金証書

 ĐỖ THỊ HIỀNさん

愛のベトナムさわやか支援隊(リンカーン瑞枝)は、

フート省VAVAファム・フイ・ニエム会長のご推薦に

より、真心をこめてヒエンさんに、1年分の奨学金

180万VNDを贈呈し、学生生活を応援します。

20万人以上の戦争犠牲者を出した日本の沖縄。そ

こに、小那覇舞天(おなはぶーてん)という生きる希

望と勇気を与えた一人の人物がいました。彼は、楽

器を片手に戦争収容者を訪ね、即興のユーモラス

な歌を歌い踊りました。

舞天(ぶーてん)は、「生き残った者が生き残った命

のお祝いをして元気を取り戻さないと、亡くなった人

たちも悲しむし、沖縄も復興できないのではないか」

と。人々は、ついに一緒に踊り、笑顔を取り戻し、元

気になっていきました。

戦争後のベトナムの歴史を、世界に輝く未来へと転

換していくために――生きる喜びにあふれ、

希望と勇気の種をまいて、堅固な平和の砦を築いて下さい。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人  富 田  英 司  Eiji Tomita
贈呈を見守るフート省枯れ葉剤被害者協会のファム・フイ・ニエム会長↑(赤ネクタイの方)とファム・ハ・ヴァン・ヒエップ副会長(軍服の方=戦場が長かった方です)

そして、当日の通訳のマイ・アインさん↓です。ザンさんの教え子です。いまは、ハノイの日系IT企業に勤務しています。この日、休みを取ってザンさんの穴を埋めてくれました。
枯れ葉剤被害者協会の幹部を前に通訳のマイ・アインさんも緊張していました。幹部の方々も、奨学金証書に書かれていることに、興味をもって聞いていました。
(つづく)Posted by Picasa

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