2009-09-25

支援隊ツアー09(18) クアンガイ9

暑い昼下がり、8月18日最後の在宅訪問は、グエン・ティ・ホアさんのお宅です。気温が少し下がりましたが、それとて、スズメの涙ほど。ばっちり、一日汗をかきました。
豚の贈呈書を受けるスーさん夫妻と長女

ご主人のフイン・スーさんは、1942年生まれで、温厚な方のようです。
1962年入隊 1975年除隊。戦争中は、クアンナム、クアンガイで戦ったそうです。
「枯れ葉剤散布をみたことがあります。浴びたこともありますよ。色は白かったです」
と、話してくれました。怒りはないのかの如く、おっとりと話します。

奥さんのグエン・ティ・トアさんも、ご主人と同じ1942年生まれです。
ご主人とは、北部で出会ったそうです。奥さんは、タイビン省の出身だそうです。
ロマンスは、また後日聞かせていただくことにしました。

子供は3人でしたが、一人亡くなっています。

1)長男 5歳で死亡。歩けなかったそうです。

2)長女 フイン・ティ・フエ・さん。1977年生まれ。32歳です。病気は早く出てきました。2歳のころから手も足も不自由になったそうです。右半身に軽い麻痺がでている、と、スーさんが言います。

神経障害ももっているようです。学校へは行ったことがありません。「家の仕事はできますけど、あまり重いものは持てません」と母親のトアさんが言いました。痛いところはないようです。

下見の日、長女のフエさんの姿をみませんでした。両親も、「どこに行ったかわかりません」と、口を揃えていいました。いつも、どこかに出ていくようです。「お腹がすけば帰ってくるんです」と、二人ともさほど心配し邸内様子でした。「どんなに遅くても、夜10時には帰ってきます」と、スーさんはいいました。そして、支援隊訪問の日、長女は在宅でした。

3)次男 3年前に結婚して、子供が2歳。

歌を歌う支援隊

家には主人の母親が同居していました。手を骨折していました。下見の日、奥でがたっという音がすると、ご主人のスーさんは飛んで中に入っていきました。それで、おばあちゃんのソンがわかりました。

国からの手当ては、長女に38万ドンが出ていますが、枯れ葉剤手当てではないようにみえます。少し額が少ないような気がします。

スーさんの仕事は農業ですが、自分の農地を持っていません。ですから、人の農地を手伝って収入を得ています。もしかしたら、人の良さから、土地をもらいはぐれたのでしょうか。旧皆ベトナム政府軍の人でないことは確かです。それにしても、変ですね。

麻痺という右手をみる三田村真希さん

豚支援は、川津康代さんからの寄付で、豚を買いました。川津さんの「川」をとって、「せんちゃん」にして、贈呈書を桜井恵美子さんからお贈りしました。もう1頭は、鷹嘴多恵子さんのご寄付で、多恵子さんのお名前から「たえちゃん」にしました。大釜一男事務局長から贈呈書をお渡ししました。ご支援ありがとうございました。Posted by Picasa

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