ご主人のフイン・スーさんは、1942年生まれで、温厚な方のようです。
1962年入隊 1975年除隊。戦争中は、クアンナム、クアンガイで戦ったそうです。
「枯れ葉剤散布をみたことがあります。浴びたこともありますよ。色は白かったです」
と、話してくれました。怒りはないのかの如く、おっとりと話します。
奥さんのグエン・ティ・トアさんも、ご主人と同じ1942年生まれです。
ご主人とは、北部で出会ったそうです。奥さんは、タイビン省の出身だそうです。
ロマンスは、また後日聞かせていただくことにしました。
子供は3人でしたが、一人亡くなっています。
1)長男 5歳で死亡。歩けなかったそうです。
2)長女 フイン・ティ・フエ・さん。1977年生まれ。32歳です。病気は早く出てきました。2歳のころから手も足も不自由になったそうです。右半身に軽い麻痺がでている、と、スーさんが言います。
神経障害ももっているようです。学校へは行ったことがありません。「家の仕事はできますけど、あまり重いものは持てません」と母親のトアさんが言いました。痛いところはないようです。
下見の日、長女のフエさんの姿をみませんでした。両親も、「どこに行ったかわかりません」と、口を揃えていいました。いつも、どこかに出ていくようです。「お腹がすけば帰ってくるんです」と、二人ともさほど心配し邸内様子でした。「どんなに遅くても、夜10時には帰ってきます」と、スーさんはいいました。そして、支援隊訪問の日、長女は在宅でした。
3)次男 3年前に結婚して、子供が2歳。
家には主人の母親が同居していました。手を骨折していました。下見の日、奥でがたっという音がすると、ご主人のスーさんは飛んで中に入っていきました。それで、おばあちゃんのソンがわかりました。
国からの手当ては、長女に38万ドンが出ていますが、枯れ葉剤手当てではないようにみえます。少し額が少ないような気がします。
スーさんの仕事は農業ですが、自分の農地を持っていません。ですから、人の農地を手伝って収入を得ています。もしかしたら、人の良さから、土地をもらいはぐれたのでしょうか。旧皆ベトナム政府軍の人でないことは確かです。それにしても、変ですね。
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