タップさんは漁師で、漁船で2週間漁に行っているため、留守宅を守るのは奥さんのクアック・ティ・ドゥックさん(1967年生まれ)です。前回の下見の時にも、タップさんとはあえませんでした。
「うちは貧乏なので、自分の船など持てません」と、ドゥックさんは言いました。雇われて人の船に乗り込み、2隻で一組となり、網をかけるのだそうです。
子どもは4人です。
1)長男のフイン・ヴァン・ディ君は、1991年生まれ。
右半身マヒ。話ができません。
2)長女のフイン・ティ・キム・ホアさんは、1992年生まれ。ホアさんも、話が出来ません。2人とも、第3世代の被害者と、枯れ葉剤被害者協会から聞きました。
以上2人には、15万ドンずつの手当が支給されていますが、これは枯れ葉剤被害者手当ではなさそうです。2人とも、生まれてからこの方、学校には行っていません。親の言うことは半分くらいはわかるそうですが、かといって。家事の手伝いは出来ないそうです。
3)次男。16歳。家計を助けるために学校を止めました。本当は、こういう少年に学業成就の奨学金を贈りたいですが、学校に行っても家計に役立つ収入が増えるわけでもなく、親は、子どもに働いて貰いたいのだろうと考えます。次男の少年に会って、話を聞きたかったところです。いまは、父親と同じように、船に乗って働いているそうです。この日も、父親にも次男にも会えませんでした。でも次男は元気そうなので、大黒柱として、両親の期待は大きいのです。
4)三男は中学1年生で、元気そうです。この日、学校を休んで、家に残っていてくれたのでしょうか。それとも2部授業で午後の登校だったのでしょうか。そこまで聞く時間はありませんでした。 3枚目写真で、黄色いシャツの少年です。衣類を贈呈する金原理絵子さん
おじいさん、おばあさんはクアンガイ省の出身です。「海の近くの山で枯れ葉剤の影響を受けました。そこで、水も飲んだようです」と、妻のドゥックさんは言っていますが、もっと詳しい話を聞きたいと思いました。
ドゥックさんは健康ですが、腰痛を訴えています。
漁師の家庭ですが、ほんとうに貧しそうで、「一家は毎日近所から魚をもらって食べている」と、枯れ葉剤被害者協会から聞きました。
このお宅は、この日の前2軒と比べると格段に貧困でした。上の2人が神経障害ということで、ご両親には相当重い負担がかかっていると思います。こういう家庭に、私たちがしてあげられることは本当に少なく歯がゆい思いをします。
その歯がゆい思いを忘れないようにしなくてはなりません。
2年ほど前になりますか、東京新聞の「筆洗」に載っていた作詞家の故・川内康範さんのお母さん話は、どこか本質をついています。「自分たちも貪しいのに食べ物をホームレスの人たちに渡す母に一度だけ不満を言うと、『虐げられた人の力になってくれるなら、お母さんはうれしいよ』」と。
尊敬するわが恩師がこう指摘されたことがあります。「『人ごととは思えません』この心の中に『21世紀』があると、私は信ずる」と。
この恩師の一言を、私はすぐ書き留めました。私にはどんなに力を与えられた一言でしょうか。
こういう支援というのは、相手の負けない心を育て鍛え上げる作業なんです。支援隊といっても、不幸な犠牲者の人生の応援団であり続けたい・・と心に誓っています。もう一度訪問して、ゆっくりとお話を聞きたい家庭でありました。
静岡県の三島から運んできた衣類は、代表して金原理絵子さんから贈呈して貰いました。
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