2009-09-11

支援隊ツアー09(8) クアンガイ2

クアンガイ市の少しはずれ。トゥギア郡ギア・チャイン村にあるチャン・ティ・ビックさんのお宅へ下見に伺った日、私の目が点になりました。
子どもの頃見慣れた蝿帳が、縁台のような物の上に置かれていたからです。昔、母が食事を作って、蝿帳をかぶせていたずっと昔の光景が直ぐ脳裏に浮かんできました。しかし・・・
蝿帳の中のトゥイーちゃん14歳

しかし・・・です。蝿帳の中にあるのは、食事ではありませんでした。痩せ細った子どもが中にいたのです。どうして、こんなに小さい蝿帳の中に収まってしまうのか??? しばし、思考が停止しました。

蝿帳の中から、私をじっとみていたのは、ファム・ティ・トゥ・トゥイちゃんです。女の子です。今年14歳と聞ききました。第三世代の被害者ということです。

「嘘でしょう、ほんとに14歳なんですか?」
母親のチャン・ティ・ビックさんが、蝿帳をとりました。全身が縮まってしまったようなトゥ・トゥイちゃんです。

そばに、7歳の弟(長男)がやってきました。健康そうです。なんという体格の違いでしょう。

横なっているという表現は正確ではありません。それは、他の姿勢をとることもできるが、今は横になっている・・というならそういういい方もできます。一目見て、自力で動ける子ではないことは直ぐ分かります。

そばで首を振らない扇風機が付けっぱなしになっていました。ずっと当たっていると体が冷えるのではないか・・・一旦は切ってもらいました。

筋肉は縮まっていく・・

軒先の庭だったであろう所には屋根代わりにビニールが張られ、母屋の延長になっていました。作業場を思わせる軒先の延長部分も、大事な生活の場であることは一目瞭然でした。

トゥ・トゥイちゃんの横には、袋に詰めた小振りのトウモロコシのかすが、山のように積まれていました。

あれはなんですか?
「燃料としてよく燃えます。雨が続く時など燃料がなくなりますので。あちこち行って、拾って集めてくるのです」  

これは、大変な作業です。障害のある子どもを持たなくても、これだけ拾い集めてくる事は相当な重労働です。まして、寝たきりの子どもをかかえていては、義母がいても家を離れることもそうままならないでしょう。

細い手足のトゥイーちゃんとご一家

母親のビックさんは、1971年生まれ。終戦時が4歳では、戦後の生活苦の思い出はあるにしても、激しかったベトナム戦争そのものにはあまり記憶がないはずです。

夫のファム・キー・コイさんは、体は健康だが精神障害があると聞きました。「結婚する時、両方の耳が難聴でした」と、妻は言いました。結婚する時に、すでにそういう障害を持っている人と結婚するのも相当な勇気がいったのではないでしょうか。ベトナムの田舎にはよくある結婚の例です。

ご主人は自宅にいないのか、会わせたくないのか、姿は見えませんでした。

夫婦の間には、子どもは2人。上の子ファム・ティ・トゥ・トゥイちゃんは、14歳=第3世代ということになります。「生まれた時は正常で、2.6キロありました。今は4キロちょっとです」と、母親のビックさんは言います。抱けないくらいに子どもの成長の重さを楽しみたいはずなのに・・・・。

「歩いたことはありません。6歳頃から状態がひどくなりました。痙攣をおこすので、1日に3~4回(朝と夜)とクスリを飲ませています。クスリを飲むと、痙攣は1日1回で収まります」
笑うことはありますか?
「笑うことはあります。私(母親)が仕事から戻ってくると、笑います」

子どもに月24万ドン支給されている国からの手当(枯れ葉剤被害の手当かどうか聞きませんでした)は、枯れ葉剤被害者の手当ではないはずです。ベトナムは第3世代に手当をだすほど、まだ余裕は無いからです。薬代は、国の施策で無料です。

ビックさんを囲んで・・
義母のグエン・ティ・シンさんは、今年82歳。 1945年~54年まで抗仏戦争に、1963~75年までは抗米戦争に参加しました。「クアンガイ省で連絡員をしていた」と言いました。
「撒布は見たことがないが、撒布したところで、水を飲みましたよ」 水は飲んだかもしれませんが、義母は健在のようです。

義父は87歳で死亡。ベトナム人の寿命からみたら、天寿を全うしたかにみえます。
 
シンさんが生んだ子どもは6人。全員が男の子で、ビックさんのご主人を除けば、シンさんの息子さん5人は全員元気だという。

辛い毎日が続くビックさんは、まだまだ若さ溢れる38歳のヤングミセスです。

「涙を必死でこらえていました。お母さんが私を抱きしめたのです」と金原理絵子ちゃんは言いました。彼女は、私たちが訪問してから、何を想い続けていたのか・・その気持ちを文章に綴っていました。これは、最終日に近い日の夕食時に、理絵子ちゃんが皆の前で披露することになりました。

12歳で、ハンセン病が発症した詩人・搭 和子さんの詩にこういう一節があります。

ああ何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人

私たちは、関わっていくのです。本支援隊は、一義的には、物を贈呈することが本義ではありません。「支援」とは、言い換えれば「励まし」です。

恩師は、こう書いていらっしゃいます。

「励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である」と。
会わなければ励ましは出来ません。理絵子ちゃんの文章は、また後日のブログでご紹介したいと思います。

豚支援御報告

幅 匡子(はば きょうこ)さからのご寄付をビックさんの豚支援に使わせて頂きました。豚の名前は、1頭目は匡子さんからとって、「きよちゃん」にしました。2頭目は、本ツアー2度目の参加者、若竹愛さんの名前で、「あいちゃん」と名付けて贈呈しました。
贈呈した豚が、少しでも、この家庭に経済的余裕をもたらしてほしい・・・頼むよ・・・「きよちゃん」「愛ちゃん」と、祈らざるを得ませんでした。Posted by Picasa

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