二人は、ドゥックフォーで知り合いました。フォーニン村とフォー・ヴァン?村で、仕事が一緒だったそうです。
アメリカ軍の散布は1971年に終わっています。しかし、旧南ベトナム政府軍も散布を終えたというわけではありません。アメリカ軍は、自分で撒かない代わりに、南ベトナム政府軍に撒かせています。
その後79年から1984年まで、奥さんはラオスに派遣されました。婦人にとってはかなり長期間です。アメリカ軍が枯れ葉剤を撒かなくなったといっても、ダイオキシンまでが活動を停止したわけではありません。
タムさんは妊娠したけど、1回流産したそうです。1989年のこと。
「流産した赤ちゃんは、ほんとうに小さかったです。本当に悲しいです」
「以後何回も病院で検査しましたが、お医者さんからは、『子供はできない』と言われました」 彼女の目に、涙がにじみ出ました。
チュオンソンなどの山に入っていった女性は、多くの人が子どもを産めない体で戻ってきています。母になれる夢が、あの戦争によって壊された可能性は非常に高いです。戦争が終わったら、皆自分の幸せをつかもうと考えていたわけですから。
子どもが産めなくなったご夫婦は、今、養子をとっています。名前は、レ・ティ・トゥー・チャンさん、12歳。
「彼女が生まれてすぐ養子にしました。娘は、父親と母親を知りません」と、タムさんは小声でいいました。お嬢さんは健康のようです。下見の日、養女のチャンさんが奥から出てきて、驚きました。
奥さんは、「あまり健康に自信がありません。骨が痛い。かかとの部分が痛い。毎日痛いので、遠くまで歩けません」と言いました。
そこで、三田村さんが整体施術をしました。
「お腹の硬さがきになりますね。便秘気味ではないですか? 血便がでませんか」などと、次々と質問を発しました。「大腸は昔から痛かった。薬飲んでも直らなかった」と、タムさんは言いいました。
が、名古先生も気になって触診しました。「腹部の触診では、圧痛、筋性防御(きんせいぼうぎょ)、ブルンベルグ徴候などは無く、肝腫大、子宮筋腫も確認できませんでした。大丈夫ではないかと思います」と。とりあえずは、一安心。
誇り高き使命を帯びて、人間群に飛び込んで、社会の荒波を見据えてきたベテラン医師の信頼の一言は、千鈞の重みをみせるものです。
年間で収穫は平均1トン。奥さんには、月71万7000ドンの手当てがあります。
唱歌を歌いました。喜んで下さいました。
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