2009-09-16

支援隊ツアー09(11) クアンガイ5

クアンガイ省ドゥクフォー郡の国道1号線を南下。フォータイン村タンジエム集落までくるとほどなく塩田が左手に見え始めます。グエン・チュン・フォンさんの家は、ほとんど塩田に隣接しています。沖の方から潮の香りを運んだ優しい風が頬をなでていきます。

晴天の多い瀬戸内海で昔みた坂出の塩田を思い出します。日本なら、この辺に塩サウナの営業を開始しそうです。フランスの植民地政策の中で奇異でないものは少ないですが、ベトナムにおける「塩」の政策もまた奇妙きてれつでした。が、ここではそれを語る場所ではないので、後日に譲ります
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私たちは、戸外の軒下のテーブルの回りに座りました。ご主人のグエン・チュン・フォンさんは、1954年生まれ。1970年(フォンさん16歳の時)~75年まで、クアンガイ戦場で兵役に服務。地元フォータインで、連絡係を務めました。手紙を運んだり、敵の情報を収集する仕事だったそうです。「最初は怖かった」と話しました。「枯れ葉剤はドゥックフォーでも撒かれましたよ」といいます。
フォンさんは元警察官です。眼光の鋭さは、かつての職業を物語っているようです。顔は日に焼けていましたが、「健康はあまり優れていない」と言いました。おそらく、それは現在、糖尿病Ⅱ型の闘病中だからでしょうか。顔にも生気が感じられません。「糖尿病は重い方です」と、おっしゃいました。
豚の贈呈書を受けたフォンさん夫妻

フォンさんの糖尿病と枯れ葉剤の関連を語る材料は、私にはありません。何で糖尿病が枯れ葉剤と・・と怪訝な顔をされている方もいらっしゃるでしょう。贅沢病では・・・と、仰る前に、ここで、枯れ葉剤と糖尿病との関連を、アメリカはどう見ているかを、少し述べておきましょう。

1991年にアメリカに「エージェント・オレンジ法」が制定されたのにともなって、全米科学アカデミー医学部会は、2年に1回、ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤及び枯れ葉剤に含まれていた化学物質が健康に与えた影響に関する報告書を、議会に報告しています。第1回は1994年で、13回目の報告書として2008年版が先日出ました。

全米科学アカデミー医学部会は、枯れ葉剤と健康障害の関連性を、次の四段階で判定しています。

①「関連性を示す十分な調査研究あり」

②「関連性ありとする限定的または示唆的な調査研究あり」

③「関連性を判断するには調査研究が不適切又は不十分」

④「関連性の欠如を示す限定的又は示唆的な調査研究あり」

疾病がどのカテゴリーに入るかは、単に科学的な評価に留まらず、疾病にかかっている退役軍人に、障害補償手当の支給の可否を判定する判断材料になるので、事は重要です。

今回の2008年版報告書と、前回の2006年版報告書を比べますと、虚血性心疾患とパーキンソン病が③から②に格上げされました。

また、2006年版では、「慢性リンパ性白血病」が全体として①の判定、「白血病(慢性リンパ性白血病を除く)が③でしたが、今回は、「慢性リンパ性白血病(有毛細胞白血病と他の慢性B細胞白血病を含む)」が①、「白血病(慢性リンパ性白血病と有毛細胞白血病を含む全てのB細胞白血病以外の白血病)が③と、より表現が明確にされました。

ミカンの花咲く丘 熱唱の一行

2008年版の判定は次の通りです。

①「関連性の十分な調査研究がある」

軟部肉腫(心臓を含む)、非ホジキンリンパ腫、慢性リンパ性白血病(有毛細胞白血病と他の慢性B細胞白血病を含む)、ホジキン病、塩素ざ瘡(クロロアクネと呼ばれる皮膚障害)

②「関連性の限定的または示唆的な知見がある」

喉頭癌、肺・気管・気管支の癌、前立腺癌、多発性骨髄腫、ALアミロイドーシス、早期発症一過性末梢性神経障害、パーキンソン病、晩発性皮膚ポルフィリン症、高血圧、虚血性心疾患、糖尿病Ⅱ型、曝露された被害者の子供の二分脊椎(スピナビヒダ)

ここに糖尿病Ⅱ型が登場してきます。糖尿病Ⅱ型は、別名、成人型糖尿病とも言われ、「運動不足・過食・肥満が原因になることが多い。食事や運動などの生活改善で治療できることが多い」などと医学書に書かれていますが、そう一概に決め込むのは、ベトナムのフォンさんには辛いことでしょう。いろいろな苦労話があるはずです。

楽団長・金原昇さん
奥さんは、ファム・ティ・サウさんといい、1957年生まれで、元気のようです。1974年からクアンガイ省で軍隊の経験があります。「(軍隊経験する前に)枯れ葉剤を浴びたことがあります」と、経験を話してくれました。

子どもは5人です。
1)長男 2)長女 3)次男
4)次女は大学入学試験には受からず、専門学校に通って経済を勉強しています。生まれた時に口蓋裂で生まれ、10年前に3歳の時に手術を受けたそうです。口元はかなりきれいになっていました。そして元気のようです。
5)三男は学生さんです。
嬉しそうに歌に耳を傾けて下さるご一家
豚贈呈:1頭目は、山本邦子さんのご寄付で買わせて頂きました。山本さんの「山」をベトナム語で「ソン」と読みます。それに「ちゃん」をつけて、「ソンちゃん」にして、北村修治さんからお渡ししました。
2頭目は、澤谷和子さんのご寄付から買わせて頂き、「かずちゃん」として新谷文子さんから贈呈書をお贈りしました。

フォンさんのお宅の子どもさん5人は、上から、男、女、男、女、男の順で生まれています。「豚もそういう風に生ませてください・・」とお願いしたところ、ご主人は、恥ずかしそうに「はい」とか、言っていました。

私たちは、ご一家のご健康を祈りつつ、海風を受けながら「ミカンの花咲く丘」を歌いました。

【余話】1946年8月24日、作曲家の海沼實さんがGHQで詞の検閲を受け、検印を受けるとすぐに伊東行きの列車に乗り、列車の中で作曲して車窓にみかん畑が現れる国府津駅付近でやっと着想し、伊東線の宇佐美駅付近でこの歌を書きあげた、そうです。翌8月25日の放送に間に合わせた、とか。

モデルとなった静岡県伊東市宇佐美の亀石峠には、この「みかんの花咲く丘」の歌碑が建っていますし、地元を走る東海自動車のバスガイドさんは入社するとまず、この歌の指導を受けるといいます。静岡ゆかりの歌です。Posted by Picasa

0 件のコメント: