8月19日。この3軒の豚支援の在宅訪問を含めて合計11軒の在宅訪問を終えた私たちは、ドゥクフォーのトゥイーチャム病院に勤務するタ・ティ・ニンさんのお宅へと向かいました。
実は、昨年の3月、家内と私でドゥックフォーに行った時に、「こんどは我が家でご飯をご馳走しますので来てください。トゥイーチャムが入った防空壕も残っていますよ」と、ニンさんが誘ってくださったので、今年お言葉に甘えさせて頂きました。ということで、今日の昼食は、ニンさん家で・・・ということになりました。
この日、私たちの支援隊に今年初めて参加してくれた、シドニーのボンダイ・ジャンクションにある「和」という日本レストランの若きオーナーシェフ、奥井 悟さんが、腕を振るってくるくれることになったのでした。支援が始まってから初めてのプロのシェフの参加です。
田舎周りをしていると、食は大事です。食が楽しみになります。食で明日の元気が創りだせます。準備編として、2回にわたって、ベトナムの台所に集まった越日の主婦の表情をみてみましょう。
るるるるるるるるるるるる~るんるんるんるる~~~
「あれは何かしら・・?」 奥井さんが運んでくれた食材は大変な量でした。悠に20キロ以上はあったでしょう。
実は、心配したことがありました。ハノイのホテルで、冷凍庫にしまってくれていたはずの食材の箱が、2泊の間、ベトナムの常温の中に置かれていたことでした。やはりベトナムだ・・と私は思いました。1泊の夜行列車で運び、クアンガイのシェラトンホテル?に着いた時に、奥井さんは自分の部屋に入ることよりも先に、すぐ冷凍庫に入れてもらいました。
「相当しっかり包装してきましたので、たぶん大丈夫だと思いますが、祈る気持ちです」と、奥井さん。
食材は、大丈夫でした。万歳! やったね。
この日の朝、ホテルを出る前から、奥井さんは仕込みをしてくれていました。
すでに、ホテルのキッチンを借りて、稲荷ずしを40個ほどを完成。なおかつ、ざるそばもベトナム人に食べさせてあげたいという奥井さんは、手際よく大きな鍋でそばをゆで、水を通してかなりの準備が進んでいました。「後は、食べる前にミネラルウォーターをかけて仕上げましょう」と。
発砲スチロールの箱から海草が・・ 「うなぎは向こうで切って、そして海草サラダもその後作ればいいと思います」と。
大きなお皿とボールをホテルから借りて、バスの中に積み込みました。
ニンさんの家のそばにバスが着くと、「食材優先だよ、はい、道空けてね」と、声が飛びます。すでに近所のご婦人が10人近くも集まっていました。ご婦人連中が、奥井さんの包丁捌きをみています。ベトナムのご婦人が台所に集まると、にぎやかですね。奥井さんが出してくる食材に、興味津々です。ああでもない、こうでもないといろいろ言っています。料理評論家のように。
奥井さん、すばやく袋を切って、さすがに手際よく、うなぎを切っていきます。
思わずにっこりの金原さん。タオルの人 金原楽団長が、台所に飛び込んできました。うなぎをみて、「お~」と、雄たけびをあげました。
すでに、ベトナム式のおにぎりもできあがっていました。それにしても、すごいですね、ベトナム式のおにぎりは。丸太のような・・・ロケット弾のような・・・どうやって食べるのか・・ですが、これに、ピーナッツを潰した粉(少し塩が入っています)をまぶして・・おはぎのようにして食べます。ピーナッツの粉もいっぱい作ってくれてありました。このピーナッツの粉が自慢何です。自分の家でとれたピーナッツで作った粉だからです。おいしいのは、皆わかっているんです。だから、残ったピーナッツの粉を、某ベトナム外務省職員は、喜んでもって帰りました。
ベトナム式おにぎり 奥井さんは、切ってほしいといわれて、輪切りにしていました。秋田にきりたんぽというのがありますね。ご飯を串に巻きつけて焼きます。そうしたら、もっとおいしいかもしれませんね。
秋田のは、細長い形が稽古用の槍短穂槍に似ていたのと、2つ3つと切って食べたので「きりたんぽ」になったといわれます。もともとは、きこりやマタギの携行食品だったようです。ベトナムのももしかしたら、戦争中の携行食糧から発展したのでしょうか。でも、こんな大きなおにぎりを戦争中に持っていくはずがないですよね。
面白い話があります。
ご飯を炊き上げ、すり鉢に移して杵で丹念に突いて半殺しにします。半殺しとは、お米の粒を、半分残すことです。全部潰すことを全殺しといいます。お客さんがきて、台所から声が聞こえてきました。「今日は半殺しにすべぇか、全殺しにすべぇか」
お客さんは、怖くなって逃げ出したといいます。 (つづく)