2009-09-16

支援隊ツアー09(10) クアンガイ4

8月18日の在宅訪問は、グエン・チ・ティエンさん宅から始まりました。1日5軒の在宅訪問。結構な距離があって、強行軍です。
国道1号線沿いのドックフォー郡フォーカイン村のガソリンスタンドにバスを駐車させて頂きました。日本では、いきなりは嫌がられますが、こちらは鷹揚です。1号線から100メートルほど入ったところにありました。家は、南北縦貫鉄道のすぐ線路脇に建っていますので、列車が通る時は、話を中断しなくてはなりません。
3女・4女とお父さんのティエンさん

ご主人のグエン・チ・ティエンさんは1952年生まれで、今年57歳です。奥さんのグエン・ティ・タイン・トゥンさんは、1953年生まれの56歳。

ご主人のティエンさんは、1972年~85年まで兵役に服しました。
1979年~81年まで、カンボジアのシムレアプに駐屯。アンコールワット・アンコールトムのある所です。カンボジア領内にも枯れ葉剤が撒布されていますし、また奥さんのタイン・トゥンさんのこともゆっくり伺う時間がなくて、短時間のお話では、枯れ葉剤との接点はみつかりませんでした。

ティエンさんは、84年にカンボジアから戻ってからマラリアを発症。カンボジアに駐屯した多くのベトナム兵が、マラリアでやられています。

現在は、「背骨が痛む。あまり長くは歩けない。重い物ももてない」と話しています。

3女イエン・ニーさんの目を検診する名古先生

所有の畑は3000平米で、「夫婦2人で耕している」と話していました。収穫は1年で1トン。

私がこれまで在宅訪問した家で、1トンの収穫のある家は初めてでした。北部、中部中心の在宅訪問による聞き取り調査で、南部はほんのちょっとですが、やはり南は米が豊富に獲れるのだと、単純に思ったものです。かつて北部の米倉と言われたタイビン省でも、「お粥の生産地」と揶揄されたことを考えれば、天地雲泥の差ではないでしょうか。

ご一家には5人の子どもがいます。 
長女は、教師。長男はホーチミン市で大学に通い、次女もホーチミン市で、専門学校に通学しているそうです。米1トンの威力でしょうか。四女のニー・ナーさんは1993年生まれ。枯れ葉剤被害者と聞きましたが、表面上は何もでていません。現在高校2年。文学が得意で、将来は警察官をめざしています。

ご両親の悩みは、三女のグエン・ティ・イエン・ニーさんです。1989年生まれです。枯れ葉剤被害者とクアンガイ省の枯れ葉剤被害者協会からきいています。

「故郷」の合唱
ご両親の話をまとめますと、「生まれた時から異常があった。精神障害をもつ。右目がよく見えない。精神安定剤は毎日服用している。服を着せたり、シャワーを浴びる時は、4女のナーさんが手伝う。家族の話は聞き分けられるが、聞いても直ぐ忘れる」とのことです。

枯れ葉剤の手当は、父親のティエンさんは、月71万7000ドン、3女のイエン・ニーさんには月68万5000ドンが支給されています。

ここで、名古先生に、ご主人と3女の目の状態を診て頂きました。「お父さんは角膜に傷があるように思います。右目は白内障です」「イエン・ニーさんは、中枢神経障害によるもので回復は難しいのではないでしょうか」が、名古先生の初見のご判断でした。

が、さっきも書きましたように、両親のどちらかが、或いは両方とも? どこで枯れ葉剤に曝露したのか、お話の中ではわかりませんでした。3女、4女につながる枯れ葉剤曝露の系譜を知りたく思いました。
ご一家と記念撮影
今の一番の心配は何ですか? 暫く、母親は考えていました。
「将来自分たちが死んだら、3女はどうやって生きていくのか」
母親ならずとも抱く大きな心配です。米が何トン獲れようが、解決しない問題です。

奥から、母親のファム・ティ・トゥエットさんが、姿を現しました。ご健在のようです。80歳とか。ベトナム語で「トゥエット」は、「雪」。日本風にするなら、さしずめ、雪子さんか、雪江さんでしょうか。綺麗なお名前ですね。

豚贈呈 1頭目は金原 理絵子さんから「りえちゃん」という名前で。また2頭目は、西山 房子さんからのご寄付で「たい(ベトナム語で西)ちゃん」として、北村登喜子から、それぞれご家族に贈呈書をお渡ししました。

ご一家の前で、私たちは、「故郷」を元気いっぱい歌って、次へ向かいました。
Posted by Picasa

0 件のコメント: