奨学生からの手紙が続きましたので、角度を変えて、ベトナム文化に触れておきましょう。
19世紀の初めにサイゴンを訪れたアメリカ人のジョン・ホワイトは、若いベトナム人貴族女性のなりを、こう表現しました。
『眼に見える飾りは、違った色の4着のローブからなっている。履物は、中国風のスリッパ。頭には、黄色のシルクのターバンを巻いている。お付きの一人はカンドンという帽子を持ち、二人目はキンマを入れた飾り箱を持ち、3人目は大きな団扇を扇ぎ、4人目は紙の傘をさしていた。彼女の腕には二つの金のブレスレットをつけ、指には宝石のついた金の指輪をいくつかはめている』
ハノイで、地元の婦人がつけていた宝飾品が、フランス人のホーカルド医師の目に止まりました。ホーカルド医師は、1892年に自分の印象をこう綴っています。
『婦人たちは、イアリングと指輪をしていた。そのイアリングは、ボタンに似ているものだ。普通の女の子は、色のついたガラスのイアリングをし、裕福な婦人は金と銀のイアリングをしている。指輪は、金製だった。上流階級の人の中には、金と銀の鎖をつけ、翡翠のビーズを持っている。それを首の周りに幾重にも巻いているのだ』
ベトナムには、婚約指輪とか結婚指輪の習慣はないのですが、 ベトナム女性は昔から指輪をはめていたそうです。
これらは、カウ(Khau)という簡素なバンドか、宝石が付いた指輪かもしれません。サファイアは、特に目立つ存在です。女性は、また、金や銀の腕輪を昔からはめていたそうです。しかし、中でもとびきり嘱望されるのは翡翠を繰り抜いた腕輪です。
翡翠は、女性の健康を守り、幸福を表すものと信じられていました。もしその女性の商売が繁盛すれば。その人の翡翠のブレスレットは深い緑色に輝くとも言われていました。女性が亡くなると、翡翠のブレスレットは遺体と一緒に埋葬されました。3年後、遺骨が掘り起こされ、再び埋葬されますが、その時に翡翠は墓からとり出されます。
もし、翡翠に赤の1点でも混じっていれば、値がつかないほど高価なものと考えられていました。
ベトナム女性は、かつて襟のない服か襟の低い服を着ていました。細い首を強調するために、翡翠か黒玉のビーズの鎖をアクセサリーとして使ったそうです。
貴族の婦人は、首の周りに長いビーズの紐を巻いていました。インゲン豆より小さいビーズは、翡翠か金製です。20世紀の半ばまで存在したグエン王朝の最後の帝の南芳皇后(ナム・フォン)は、あの時代ですら、公務の時には長いビーズのネックレスをしていました。
南部ベトナムでは、女性は長い髪を高い巻き髪にしていました。それを銀かべっ甲のヘアピンで止めていたのです。北部の女性は、ターバンの中に髪を巻き、べっ甲の櫛で止めていた。
キンマの入った小型の箱がぶら下がった銀のベルトも、また北部の女性のもう一つのアクセサリーでした。
彼女らが歩くたびに、ベルトがじゃらじゃらと音をたてました。
フエの王宮の貴族は、妻に、しばしば、石の円盤を記念品として贈ったそうです。これらの石は、鎖でつないだり、首にかけたり、ポケットの中にしまったりしました。帝は、時々、これらの石を銅鑼の形に彫って奉公する人の褒章に使ったりしたそうです。
ベトナム人は、銀のアクセサリーも好きです。それは銀が、身につけている人の不健康な風から守り、頭痛や風邪の予防になると思われてきたからです。翡翠と同じように、銀は、身につけている人の健康を映すと言われました。例えば、もし誰かが病になれば、それを着けていた人の銀は黒色になると人々は信じていたのです。子どもたちにもまた、健康の守り神として銀のブレスレットとか足首の鎖が贈られています。
さて、この10年、多くの新しい宝飾品が輸入され、ベトナムでも手に入るようになりました。女性たちの化粧が変わったように、それぞれの服や気分に合わせて、彼女らはアクセサリーを変えてきたとも言えます。
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