きょうから、何回かにわたって、旧南ベトナム最北端の地、クアンチ省ヴィンリン郡のシェルターの話をしましょう。
シェルター、と言ってもつまりトンネルです。この世に生を受けた以上、誰人とも生きる権利があります。それは、すべての権利の一番最初のものです。その権利は、何も人間だけのものではありません。自然界の中の動植物すべてに存在します。
近年、世界のあちこちで、美しい声と言葉で、人権が叫ばれるようになりました。生存の権利、存在する権利は、すべての人間の権利の中で基本的にして最初の権利であることを忘れてしまっている人がいるように思えます。
ベトナム国、そしてクアンチ省の長い歴史のなかで、なかんずく好むと好まざるとにかかわらず非武装地帯となった17度線上に位置したヴィンリンの人々、草木、自然には、存在する権利すらもっていませんでした。
“この土地を石器時代に戻してやる“と言ったのは、アメリカ軍のお偉いさんでした。破壊的な戦争が、その目的のために遂行されました。その目的とは、「アメリカの国境を17度線に」でした。
800平方キロの狭い地域に50万トンの爆弾がすだれの如く落とされたことを、皆さんはご存じでしょうか。その結果、50万トンの爆弾を受けたヴィンリンの7万の人々の戦いとは何だったのでしょうか?
それは、アメリカに対するテロ行為の報復だったのでしょうか? 違います。断じて違います。
故国で生きる権利、生存する権を求めた戦いだったのです。
シェルターとは、否トンネルとは、ヴィンリンの人々が手で、鍬で、シャベルで故郷の大地に穴をあけて生き延びようとした結果です。彼らは、戦争時でも行き来できるようにたくさんの穴を掘り、生きていくために地下深くトンネルを掘ったのです。
一家族の絶滅を防ぐために、別々のトンネルで、家族が別々に住む智恵を考え出しました。彼らは、老人を北部に疎開させ、教育のために子どもたちを遠く離れた所に行かせました。残った人は、砲台を築いたり、銃をとってアメリカ軍機を攻撃したりしたのです。
地下から生まれた伝説は、ここには山ほどあります。
ここの人たちは、114のトンネルを掘り、総延長は40キロになりました。いずれも、手と鍬で掘った手作りのトンネルです。
地下のトンネルで何年もの不思議な生活が続きました。不思議だが、普通の生活でした。子どもの誕生、学校、愛情、娯楽・・・普通のことがすべて地下にありました。生活している4メートルも上には、クアンチの青空が広がっています。
過去によってしか生きられない人は、誰一人としていません。しかしながら、ここの人たちには、過去を忘れる権利は持っていません。過去は、現在を生きるための重要な教訓であるばかりか、ここで起きたことは、もしかして、世界のどこかで、今起きていることかもしれないからです。
ヴンモック・トンネル村の建設は、ヴィンリン郡にできた114のトンネルの典型的なものの一つです。(写真は、ヴィンモックトンネル入り口、今と昔です) (文責:北村 元)
つづく
2006-10-20
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