2006-10-10

支援隊 2006さわやかツアー報告記(8)タイビン省4

9月25日。今回の在宅訪問で、私たちが一番困ったのは、グエン・ヴァン・カイン(NguyenVanKhanh)さんのお宅を訪問した時でした。


補聴器が必要との情報で、タイ・トゥイ(Thai Thuy)郡まで車を飛ばしましたが、補聴器をつけても、音は聞こえませんでした。がっかりしました。やはり、精密検査が必要だと思います。

カインさんは、1981年生まれで、今年25歳。すでに結婚していて、生後1ヶ月のお嬢さんがいました。お嬢さんの聴力は大丈夫のようです。

奥さんのスオット(Suot)さんも、補聴器の贈呈に大きな期待をしてくれたようで、喜んでもらえなかったのは残念でした。

また、いろいろ聞いているうちに、この二人が結婚届を役所に提出していないことも分かりました。同行の人たちが、早めに提出するように指導していました。

私たちは、先日、贈呈式の会場に来てくれたヴー・・ヴァン・トー(VuVanTau)さんの自宅へ急ぎました。

トーさんは、会場でこう言っていました。「農家にとって1万ドンでも、大変な金額です。まして、体を動かせない人を連れて来るには、車を雇ったり、バスに乗ってでもこなくてはなりません」 役所から招待状をもらっても、こどもは連れて来られないと主張しているのです。その通りです。だからこそ、一箇所でまとめて贈呈する方式を、私たちは嫌うのです。来られない人こそ、車いすを必要とする度合いが高いと言えます。その家の事情、周囲の道路事情により、アドバイスは変わってくるのです。私たちは、トーさんの直訴に心を痛めていました。「必ず伺いますから」と説明して帰って頂いた。

トーさんに再会できました。69歳ですから、頭も薄くなり、でも人柄の良さそうな印象を受けました。1961年に入隊して、90年まで軍籍にありました。B2戦場のフエや、ラオス、カンボジア、ホーチミン・ルートを転戦したそうですが、大体後方支援部隊に所属したようです。1975年4月30日には、クアンチにいたそうです。やはり、後方支援だったのです。トーさんは、軍の年金を100万ドン受給していますが、「わが暮らし、楽にならざり」です。トーさんのお宅には、奥さんのチャン・ティ・タム(TranThiTam)さんと、1971年うまれのお嬢さんが住んでいます。
一見して貧農と分かります。屋根から雨水が漏らないようにビニールシートをかけ、屋内には、天井いっぱいにビニールが貼られていて、風通しによってビニールが寄せては返す波のように音を出します。


お嬢さんはヴー・ティ・トゥ(VuThiThu)さんは、先天的に痙攣にみまわれたそうです。生まれて、ハンモックに寝かせていた時にも、痙攣が起きたといいます。

妊娠時に異常は感じなかったそうですが、出産は7ヶ月の早産でした。7歳の時から、痙攣は激しくなったといいます。現在は、障害度1級で、知的障害に加えて、難聴で、歩行は出来ません。

トゥさんは、2002年に枯れ葉剤被害者に認定され、現在月額35万ドンを受給しています。このところ、国からの枯れ葉剤被害手当も増額され、トゥさんの場合も、2005年7月に17万ドンだったものが、2006年1月に34万ドン、2006年3月からは35万5千ドンと増額されています。ある意味では、それだけインフレが進んでいるとも言えます。

トーさんには、2人の子どもがいます。第1子は、入隊前に生まれた男の子で異常はなしです。第2子はトゥさんで、入隊前と入隊後とで、運命が分かれてしまったようです。
Posted by Picasa69歳とはいえ、とても元気なトーさんです。新谷さんの指導も、自ら積極的に受け、吸収しようとしているのがわかりました。

お嬢さんの体重が重いのと、部屋から外へ出る時の有効スペースが少ないなど、気を付けなくてはならない点はありますが、我が娘のため・・・積極的に覚えようとする姿勢には、感服しました。

自宅から中庭にある2?3段の階段にも、セメントで車いす用のスロープをつけると言います。

そして、念のため、補聴器を付けて、タインさんから話しかけてもらいました。なんと、反応するではないですか。補聴器が生かせます。即座に、「差し上げよう」と衆議一決。

トーさんは、そして、何回も何回も御礼を言って下さり、近くの大通りまで、送ってきてくれました。その歩き方も、元気そのもの。いつまでもいつまでもお元気でいて、娘さんを支えて頂きたい・・と思いました。トーさんの握手の握力も十分です。農家の人の手から、うれしさが伝わってきました。いつか再会したいと思いつつ、トーさん宅を後にしました。私たちの顔もみなさわやかになっていました。(つづく)

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