グエンさん宅を失礼して、昼食。
大衆食堂で、おかずを吟味するタインさん。ここは、安くておいしかったです。
午後は、また雨に。そぼ降る雨の中を、原告第2号のクイさん宅へ。
まだお会いしていないクイさんの奥さんにお会いする約束で伺ったが、「急用で出ていきました」といいます。タインさんの話では、「やはり会いたくないのでは・・」と。
クイさんは、「前ほど元気はありません。病気は進行しています」と開口一番言った。クイさんの化学治療は、2005年に終えています。2005年までに、11回の化学治療を受けた。
訪問の前日に病院で受けた診断の結果が出ていました。
「左肺に6センチくらいの腫瘍大のものあり。境が明瞭でない。肺ガンの恐れあり」となっている。レントゲンも2枚見せてもらった。左肺は1/3くらいしか造影がされていない。診断は、ヴィエト・ティエップ(越チェコ友好)病院です。
赤血球が減ってきているそうです。350万の時もあり、230万に落ち込む時もあるそうです。クイさんの食欲も落ちてきた。1食1杯で精一杯だそうだ。夜も4?5回起きてしまうそうです。胸が痛むそうです。「息を吸い込むだけでも痛いです。100メートル歩くと休みます。「去年までは食事を作っていましたが、今年はできません。二人の子の面倒も見られなくなりました」。
病院からは、自宅で治療してもいいといわれているそうです。そこで、今どんな薬を飲んでいますか?と聞きました。
見せてくれたのが、なんと日本の某薬品会社の箱です。しかも、実際は薬ではありません。『補助食料品』となっています。彼は薬と信じて服用しています。調査の必要があります。250万ドンの箱を月2箱買うそうです。途方もない金額です。
なのに、クイさんの手当は、20万ドンぽっきり。基準が分かりません。子ども二人に、35万ドンずつの枯れ葉剤被害者手当が支給されています。「手当は増額されましたが、物価が上がっているので価値はかわりません」と言いました。傷痍軍人の保険に入っていますが、薬は保険の対象外だそうです。
市場に売りに出ている奥さんの収入は、一日2?3万ドン。生活費の不足分は、お母さんの母親から出してもらっています。義母からの補填は、やはり大きな安心材料と言えます。
アメリカでの裁判の棄却を、どう受け止めたか?
「怒りと不満でいっぱいです。最初から否定するなんて、とんでもないことです」
アメリカに訴えたいことは? ゆっくりと話し始めました。
「枯れ葉剤の恐ろしさは、本人だけでなく、子ども、そして次の子どもの生活に影響を与えることです。アメリカ政府は、責任をとって、何か行動すべきです。枯れ葉剤の製造会社には、賠償してほしい。生活ができるように、金銭的援助をしてほしい。全然無関係のように振る舞うのは、人間性に欠けています。元の軍用飛行場には、ダイオキシンが残っています。洗浄する責任があります。私は、パスポートの手続きも終えており、いつでもアメリカの裁判に行く準備が出来ています」
奥さんは何か言っていますか?
「『裁判の結果は、不公平です。不満です』と言っていました」
今まで話が通じないと思っていた長男のチュン君に、外務省のタインさんが一生懸命話しかけてくれて、話が通じ始めました。サッカーに興味を持っていることがわかりました。マンチェスター・ユナイテッドのファンであり、個人的にはブラジルのロナウドが好きなようです。「ワールドカップの時は、夜でも起きてテレビ観戦していた」と、お父さんは言います。2006年ワールドカップでのフランスのジダンの頭突きも知っていました。「イタリアの選手が、ジダンに悪口を言ったからだ。イタリアはディフェンスが強い。イタリアは、相手を挑発して、引っかけて来るチームだ。フランスチームは、芸能人のスターみたいだ。技術もすごい。日本は余り強くなかった」と言いました。
チュン君は、ベトナムのチーム「テ・コンチーム」(軍隊のチーム)を応援していたのですが、最近振るわず、今は応援していないことも分かりました。「カー・クオック(いいことではない)」と言いました。すごく勘のいい子どもです。サッカーのことをいろいろ勉強していることもわかりました。
チュン君は、日本のアニメ「忍者」「ナルト」のファンでした。いろいろな知識をもっています。
こういう話で、チュン君の興味・関心を引き伸ばしてあげることも、われわれの大事な支援の一つです。
そういえば、アジアカップ2007は、2007年に開かれる第14回のAFCアジアカップ。開催国となるのは、タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアで、4カ国の共同開催です。アジアカップが複数国の共同開催となるのは、大会史上初めてです。
ともあれ、2007年のアジアカップでは、またチュン君が興奮する場面がでてきそうです。次回の訪問では、サッカーのユニフォームとボールを届けることにしたい・・と密かに考えていますが、いかがでしょうか。
皆さんからの古着の支援をしました。これだけ話をしてくれたチュン君。話を聞いてくれた私たちが帰る時に、涙を浮かべていました。辛い別れ。「また遊びにきます」
一路ハノイへ。(つづく)
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