9月20日の2施設を訪問させて頂いた折、期せずして、毎年訪れる静岡のグループのことを耳にしました。
そのグループは、30分しか滞在しないことが判明しました。それも、静岡県三島のグループ。といえば、他に一つしかありません。なんと、われわれと袂を分かったグループでした。私たちは、今まで相手の動きを探ることは一度もしませんでした。お互いに頑張れば、2倍の動きになるのですから。同じ場所をお互い訪問していても、何も聞き出すこともしていませんでした。それが、訪問先からお話をされたのです。
その団体はNPOの法人格を取っています。余計に衿を正した実のある訪問が求められるのではないでしょうか。
30分の滞在で何のどこが「支援」でなのしょうか。30分で、何を感じ取り、何が出来るのでしょうか?何を触発されたのでしょうか。 困窮者のいるところに行って、30分の滞在とは何を意味するのでしょうか。そもそも、某国の政治家の視察と同じことをして、支援とはよく言えたものです。長く滞在しても、分からないことが多いのに・・・。その行為は、観光旅行を数日だけ、着せ替え人形風に上辺だけ社会性を付加したに過ぎません。これは、慈善行為ではなくて、偽善行為というものです。
あえて、もう一言付け加えましょう。
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その時に私の目を射ったものは、見慣れない若い外国人の姿でした。暑い日中の炎天下、汗びっしょりになって黙々と働いていました。聞くと、イギリスから来た高校生でした。夏休みを利用して、先生が連れてきたのです。遠い見果てぬ国に思いを馳せてくれたその行為だけでも、敬服に値します。
「すごく楽しい。ご飯が口にあわないけど、そんなの気にならない」 気持ちのいい生徒さんでした。その数10人ちょっと。
欧州の果てから、アジアに奉仕と学びに来たのです。先生も一緒になって、力をあわせていました。彼らは、3日間で、敷地の一角に子ども遊園地を作り上げてしまいました。色とりどりに塗った棒。古タイヤを買ってきて、あっという間にブランコが完成。上は、古タイヤに、ドリルで穴を開けるイギリスの高校生です。
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所長によれば、イタリア語とベトナム語ですから、言葉もろくに通じなかったのです。青年社長は、「何でもいいからやらせてほしい・・・」と言ったようです。これが奉仕の精神ではないでしょうか。
彼は、言葉が通じないので、外へ行って、子どもたち用に文房具を買ってきて、自分の精神を示したそうです。それから、構内に植わっている木の剪定を始めたそうです。
私が会ったとき、彼は汗みどろ、泥まみれでした。汗を流して、泥まみれになって奉仕するから、行為が光るのです。
「この子たちは可愛そうだ。アメリカが援助しなければ、われわれでやろう。来年は、私が呼びかけて、イタリアの若い青年を何人かつれてくるんだ」と早くも来年に夢を馳せていました。チェ・ゲバラの顔を染め抜いたTシャツを着た彼には、闘志がみなぎっていました。
「サッカー・ワールドカップのイタリア優勝はうれしかったが、ここではゆっくりテレビもみられなかった。残念だったが、仕方がない」と片言の英語で話してくれましたイタリア人青年社長は、自分の夏休みの1ヶ月半を友好村に奉仕するのだと言っていました。ボランティアとか奉仕というのは、見返りを一切期待しないこのような精神の発露がなくてはなりません。滅私奉公は、丁稚だけの標語ではありません。
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振り返るに、静岡・三島の某団体は、30分で何が出来るというのでしょうか。
あなた達は、汗を流しましたか? 50人、70人の子どもたちや大人に、笑顔を送ることが出来ましたか?
今、「行ってきました」が問われているのではありません。「何をしてきたか」「何を喜んでもらったか」が問われている時代です。(上は、マイクを握って答礼の歌「ホーチミン」を自発的に歌ってくれてたお嬢さんです)
似非NPOを標榜するなら、潔く法人資格の返上を検討されてはいかがでしょうか。そもそも、両施設とも、私とのつながりをそのまま借りて訪問しているだけではないですか? 人の長いつながりに泥を塗って平然としている精神は、ボランティアのそれとは対極の位置にあります。新規に開拓されてはいかがですか?
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現代的な意味は、奉仕・労働する人のことです。語源は、ラテン語の自由意志を意味する「ボラタス」です。
そして、スタディー・ツアーと銘を打ちながら、そこから収入を得ていると、昨年来何人からも聞きました。発足前後の高邁な精神はとっくにダイオキシンに汚染されてしまっています。かつて、幾ばくかの私の夢を実現してくれた方へこのようなことを書き送るのは辛いですが、人道競争が出来るくらいに立ち直ってほしいと思っています。生意気なようですが、7-8年近く一緒にやってきた者として、敢えて強い苦言を呈する次第です。上は、ズン所長に贈呈品を手渡す支援隊。(つづく)
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