2006-10-09

支援隊 2006さわやかツアー報告記(4)タイビン省2

9月22日。午前中、タイビン省に向かうバスの中から、外務省のコーディネータを通じてタイビン省枯れ葉剤協会に猛烈抗議。「リストに載っていない人には贈呈しない。昨日の車いすと補聴器は取り返したい」のわれわれの意向を伝えてもらいました。


会場に着くと、静岡グループからの車いす・補聴器贈呈式と書いたステージができあがっており、歌手が歌を歌っています。ベトナム・テレビ局(VTV)も取材に来ていました。こういう式典をするということを何も聞いていませんでした。歓迎はうれしいですが、カネがあるなら車いすの1台でも買ってあげてほしい・・と思いました。

ステージのそばで、役員の方々の神経がピリピリしていたのが、こちらにも読みとれました。申し訳ないですが、困窮度の高い人から差し上げるという原則を打ち立てないと、どのような支援でも不透明さが常に漂うことになります。

ここで、多くの人に車いすと補聴器を。ステージの上で、車いすに乗り移る方法を実演し、親に体験してもらいました。指導は新谷文子さん。左は汗だくで熱演する新谷さん。

普通の椅子から車いすに移る方法。車いすから椅子に戻る方法を伝授。やはり、実践になると、思っていた通りには、介護の方の動きはスムーズでありません。一言一言のアドバイスが後々役に立ちます。

多くの方に補聴器も贈呈しました。初参加の大庭渉さん(下)にも手伝ってもらいました。欲しいという人がひっきりなしに来ました。          
 心を鬼にして、「すいません、だめです。対象が違います」。お断りするのは辛いことです。優先順位をつけることは悲しいです。この会場で、障害の方が販売用に作った板の人形とお花を、私たちに頂戴しました。人形は、「売ってください」と、センターにお返ししました。これも、逆の意味で寄付になります。                                                                       

昼食後、枯れ葉剤被害者協会で、前日の人民委員会、枯れ葉剤被害者協会の行為に対して苦言。再度、「昨日贈呈した車いすと補聴器を返して頂きたい。買える能力のある人になぜあげたのですか? われわれの運動には、金持ちだけが支援してくれているのではありません。一番困っている人からあげるのが人道です。われわれは、共産主義でも自由主義でもない、人道主義です」と。

彼らは謝りました。「昨日の結果をみて、失敗があったことをお詫びします。申し訳ありません。ベトナムには、人道精神が強いという伝統があります。しかし、昨日贈呈した6家族の中で、私が考えるに贈呈したくない家族がありました。皆さんの活動の主旨はわかりました。私たちは、数多くの患者の中からリストを作成しました。昨日の家族はリストに入っていませんでした。私たちの仲間には配りたくなかったのです。リスト外の6人に配るという失敗を犯しました。反省しています。本当の気持ちを吐露された皆さんの御意見を高く評価しています。リストは不十分でした。リストを作成する時間も十分にありませんでした。時間があれば、もっと正確に選抜できたと思います。われわれは、一回も患者宅への家庭訪問をしたことがありませんでした。これからきちんと訪問して情報を把握するようにします」と述べました。

彼らに同情する点はあります。協会の発足が間もないので、十分な予算もないのです。また、こういう援助の方法にもなれていないことも同情できます。しかし、被害者状況の把握は大事な仕事です。

お詫びの中にわれわれの行動を理解して頂いたと思いました。そこで、車いすと補聴器の宅配を始めました。何軒か回るうちに、タイビン省のお役人さんも、われわれはどこかが違うとようやくわかり始めたようです。最初は、車いすを置いていけばいいではないか・・と、心の底で彼らは思っていたのです。私たちは、車いすは直ぐその場で贈呈しません。出来うる限りの時間を使って、戦争の話し、障害で苦労した話を先に聞きます。それなくして、贈呈の気持ちはより強くなりません。その方々の戦争の話を窺って、われわれの心に反戦の気持ちが強まらなければ、贈呈の意味はないと考えます。東洋の箴言に「?(しばしば)談話を致さん」という有名な言葉があります。会話が重要です。差し上げるのは、簡単です。話を聞かせて頂いて、その御礼に差し上げるという気持ちになれば、しめたものです。そこに、人間のつながりが出来てきます。
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タイビン市。19歳で中学校4年のヴー・ティ・フオンさんのお宅を訪問しました。不在でした。家の前で待ちました。近所の方が、バイクで迎えに行きました。待つこと20分。バイクで、お父さんとフオンさんが戻ってきました。お父さんは、同じ中学校の警備員をしています。ですから、朝は、お父さんの出勤に合わせて、5時半に家を出ます。来年の5月に卒業するまで、朝5時半の登校は続きます。

新谷さんの説明に一つづつうなづくお父さん。車いすをみた時にお父さんの喜び方はすごかったです。歩くことの出来ないフオンさんを自転車に乗せて、学校に通わせてきたらかです。

お別れする時に、フオンさんの目に涙がいっぱい貯まっていました。言葉に表せないうれしさが、その表情に出ていました。

車いす1台の贈呈にも、一家族30分から40分。新谷文子さんの実習も、すべて対話です。家族の方に体で覚えて頂きます。「歩ける時は、歩かせてあげてください。いつも車いすに頼っていると、足の筋肉が弱って、差し上げない方がよかったことにもなります」 、そして、道の悪いところで使用して転倒でもしたら、車いすは危険です。車いすは、使い方によっては、危険な乗り物に変身します。十分な知識が必要です。扱いかたを体験してもらっているうちに、各家で、患者と患者の家族と我々の間に感動の輪が広がり始めました。どこかの国の政府の援助と同じことはやるまい・・・それが、私たち一人ひとりの心の中にあります。無事故を祈って差し上げます。

そうして贈呈先を回っているうちに、また一つ問題が起きました。タイビン市内の大通りの信号を越えた路上でしばし待たされました。例によって下見をしていないので、道が分からないのかと思いました。道が分からなければ、通常は、もっと先を指さすか、後ろを指すか、その方向がわかるものです。しかしそういう動きはありません。役人さんに困惑の表情が浮かんでいました。ついに、われわれのバスの窓まで来て説明しました。

「訪問先のお子さんは実は亡くなっていました。申し訳ありません」と再び謝罪。訪問時の不在はままあることですが、この世に不在とは初めてです。いや、驚いた。

通訳のマイさんは言いました。「何時亡くなったかわかりません。最初は2?3日前と言っていましたが、彼らは口を濁しています」と。後で考えると、お線香をあげさせて頂く方法もあったかなと。

こういうことは、家庭訪問をせずに協会に車いすを託してハノイへ戻り、それをもってして援助活動としていたら、全くわからないことでした。そして、その時に浮いた車いすの行方はどうなるのでしょうか? そこに、また不正の温床が生まれないとも限りません。枯れ葉剤被害者協会の喫緊の課題は、家庭状況の早期把握だと思いました。

亡くなったお子さんの冥福を祈りながら、夕暮れのタイビンをハノイへ。彼らは、最後の最後になってまた、ほんとうに家庭訪問の重要さを感じ取ってくれたようです。(つづく)   

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