2006-10-10

支援隊 2006さわやかツアー報告記(6)ニンビン省

9月24日午前。ニャンちゃんの家を訪問。お腹が少しまた膨らんだ感じです。女性兵士幹事会の話では、ニャンちゃんの健康は、少しずつ下降気味とのこと。一層注意が必要です。参加者全員で激励しました。
ここで、ニャンちゃんを中心に、おかず11ヶ月分の生活支援をさせてもらいました。おかねは間違いあるといけませんので、女性兵士幹事会幹事長のビンに預け、月1回、バイクで運んで下さるそうです。深謝。

7月に支援した分も、きちんとノートに付けられていました。そして一番上のクエンさん(高2)とも懇談。塾が終わって飛んで帰ってきてくれましたので、記念写真をパチリ。

昼食は、ビンさんたち旧軍人女性兵士をお招きして、宿泊先のホテルで。

この席で、私たちは、日本の歌「母」を披露。「母よ、あなたは・・・」涙がどうしても流れてきます。そして、やはり軍人出身のトゥーさん(左から2番目)の目にも涙が。なぜ、通じるのでしょうか。

そして、楽譜がほしい、歌詞がほしい・・・歌好きのビンさん(右下)も「歌詞が知りたい・・・・」と。うれしかったです。


午後、車いすを宅配のため、チャン・ティ・ホアさんという559部隊に所属した元女性兵士のお宅を訪問しました。

入隊から除隊まで:1955年9月5日生まれ。終戦2年前の1973年8月入隊。そのまま、ラオスとダナンに派遣された。ダナンにいたのは1年だった。「故郷を離れていたので、帰りたかったです」 道路作りの工兵隊員として。爆撃に遭い、工事現場にトラックに乗って移動中、道路工事中の箇所に土砂崩れが起きた。トラックは乗り上げ、転覆し、負傷した。1975年4月30日のサイゴンが陥落した日は、クアンナム・ダナン省のナム・ザン(Nam Giang)にいた。「ニュースを聞いて喜びました」終戦から1年半後の1976年12月に除隊した。その時は体に何の変化も出ていなかった。

最近の状態:2000年頃は、手と足に痛みは出ていたものの、普通に動かせた。2002年頃から指と足の変形が始まり、今は、スプーンすらもてなくなった。着替えも、洗顔すら自分で出来なくなった。指先はしびれ、両足と両手は痛みが増した。首も痛む。頭の芯が傷む。あごも傷み始め、食べ物が噛みにくくなった。去年までは、なんとか抗生物資ですんだが、鎮痛剤の服用も始めた。ホアさんは、2000年までは隣のナムディン省で働いていた。2002年では、歩いて買い物に行った。そのご、徐々に関節にも変化が現れた。体の動きは重くなり、硬くなった。膝の関節にも痛みが出始めた。タオルも今では絞ることが出来ない。 2002年に枯れ葉剤被害者として認定され、現在毎月37万4千ドンを受けている。

どんなにか、不快な毎日でしょう。ホアさんが、最後に病院に行ったのは、去年の5月。去年12月から今年1月までは、ハノイの友好村で静養していました。「医者の診断は関節炎でした」。だが、それは表面的な病名で、本当の病名は違うと思います。

楽しかったことは?
「1973年に入隊してから、軍隊で過ごして、楽しかったこと、喜びを感じたことはありませんでした。義務と責任は果たしました」

長い間聞き取り調査をしていると、結婚か未婚かの区別は容易に付くようになりました。辛い質問であり、失礼な質問かもしれませんが、一応、質問してみました。
「結婚のチャンスはありませんでした」
やはり結婚できなかったのです。長くなるから書きませんが、理由は想像がつきます。

ホアさんの兄弟は5人。女性2人の男性3人です。ホアさんは長女でした。男兄弟2人は、軍隊に入っていて健康だそうです。

お父さんは、チャン・スアン・ダン(Tran Xuan Dan)さんとも、お話をさせて頂きました。

ご心配は何ですか?
「ホアの将来です。毎月、37万ドンを受給していますが、生活全ては両親がして上げなくてなりません。私たち二人の生活がどうなるか、想像がつきません」
お母さんは、グエン・ティ・ラン(Nguyen Thi Lan)さん。
「今、親は力もあって、娘を支えられますが、もっと年月がたつと、年をとって力がなくなったら、娘を支えることはできなくなります」

人は皆、年々歳々年をとっていきます。
ホアさんの一番の望みは?
「健康に戻りたいです。手と足が普通に動かせるようになることです。社会貢献をする前に、自分のことは自分でできるようになりたいです」
戦争に行かない方がよかったですか?
「そう思ったことはありません。国が戦争している時に、青年として、国のために尽くそうという気持ちがありました。こうなったのは、不幸な自分の運命だと思います。アメリカが、枯れ葉剤を撒いたのも知っています。でも、こんな目に遭っているのは、アメリカのせいだとは思っていません。でも、アメリカが入ってきて、人間に被害を与えてきています。ベトナムの青年が、アメリカに対して行動しなくてはいけないと思っています」

不自由な体を戦友に支えられて、今年5月17日に、チュオンソン・ルートの記念式典に出席のためハノイに行きました。歴史の証人として招待されたのです。この式典は、全国にテレビ放送されました。
Posted by Picasa 新谷さんの指導で、車いすの扱い方の指導が始まりました。ベトナムの家屋は、どうしても段差があるところが多いのです。それは、大雨の時に水が上がってくることも一因です。どうしても、手を取って、庭の高さまでおりなくてはなりません。

懇切丁寧な指導の後、表へ出ました。

門の所の段差を治します」と、お父さんは約束してくれました。

ホアさんのお母さんよりはるかに年上の隣家のおばあちゃんが、ノンをかぶってしゃきしゃきと歩いてきて、一緒に写真に収まってくれました。

外の風に触れたホアさんの表情は、柔和になりました。この車いすで、ご両親にかかる負担が減った部分と増える部分があります。しかし、外出出来るうれしさは、格別です。本人もさることながら、ご両親の喜びはいかばかりか。ご両親の表情に、われわれの心の中に大きな感動の渦。

大きなビニール袋にぎっしりと詰まったザボンをおみやげに頂戴してしまった。田舎の方の、心こもった返礼なのです。宿泊先のハノイのホテルで、皆でわけてそれぞれに頂くことにしました。さっぱりした味が、舌に広がりました。(つづく)

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