2011-02-09

ハノイの写真家 故ドー・フアンさん

ドー・フアンという写真家がベトナムにいた。
1918年に生まれ2000年に亡くなられた。1900年代のほとんどを彼は生きたわけだが、その時代にあって、写真家を職業として選んだ類まれな人である。
彼はハノイが大好きだったからこそ、カメラを職業にした。彼は、フィルムにハノイの美を捉え、それを他の人に楽しんでもらおうと考えた。この気持が大事である。

ハノイを愛する人は多かったが、鋭い目と愛を通して、フアンさんのようにハノイの個性と顔に迫った人も少ない。彼は、ハノイの写真に人生を費やした。しかし、彼の写真集がでたのは、なんと1996年のことだった。それもベテランのカメラマン、マイン・ダンさんの協力を得て・・・。最終的には、ベトナム民間航空局が出版費用の大半を出してくれた。当然、モノクロの写真も収められている。

写真集には、フアンさん個人が選んだ75枚の写真が収められている。題名は、『ベトナムのいま 昔』。

誰でも、そうだが、不思議な瞬間を狙う。彼の息子さんが言う。「自分はこんな撮り方をしない。お金と時間をむだにしたくないから」と。
下の2枚のホアンキエム湖の写真も美しい。・・葉の落ちた木、子どもの洋服から、霧雨の降るハノイの冬景色だとわかる。学校の帰りだろうか、子どもたちが湖畔を歩く。雨と時間が、ホアンキエム湖の表情を変えていく。

フアンさんのモノクロの写真は、海外でも展示されてきた。シンガポール、フランス、インドなどで。主には、1950年代だ。1958年には、白黒の写真「秋の村の道」が、ハンガリーのブダペストの国際美術展で、入賞した。


「悦びの源」「紅河に勝つ」「仲間」「上へ前へ」「北西の午後」「田植え」「祭りの日」などの写真は、国内だけでなく、ドイツ、ロシア、日本などで賞を得ている。


彼は、カメラをさげて国内を旅したが、彼はやはりハノイが好きだ。彼の家系は、100年以上もハノイに住む。戦争、火災、困難な時期をずっと経験してきた。
 彼の写真には、深い想いが込められている。その深さは、彼の人々への愛と命への愛だろう。「羽ほど重く、鉛ほど軽く」という諺がある。彼が捉えた光線の羽は、軽い。命への愛、生命尊厳を貫く彼の心は重いのである。
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Posted by Picasa

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