2011-02-20

蓮の花奨学生からの便り(10)

10回目も、引き続きニンビン省からの手紙です。ニンビンの方からのお手紙続いています。
切々と訴える手紙です。こういうお宅が少なからずあるのです。まずは、読んでみてください。
困り顔のイラスト
私はトン・スアン・ケンと母グエン・ティ・ホアックの子トン・ヴァン・ディエンと申します。家族は、両親、五人の姉(ディエンリエウ, モー, モン,マン)と一人のキエウ、私が末子です。

私の家族はニンビン省ホアル市チュオン・イェン区に住んでいます。家族で和やかに暮しています。親は子どものことをよく面倒みてくれて、私達兄弟姉妹は仲良く、世話をしてくれる親を尊敬しています。現在、4人の姉は結婚していて、私と兄と姉が親と一緒に暮しています。私の家族の生活はとても苦しいです。食べ物から洋服まで全て足りません。一日の食事は2回(昼と夜)で、米、野菜、粗末な食べ物で栄養価の低いものばかり食べていますので、家族全員の体が細く弱いです。

父は戦争の影響で枯れ葉剤を沢山浴びました。私達の間にも影響がでて、兄が一番重い病気です。彼は意識・認識がなく、頭が成長できません。親、兄弟姉妹のことが分からない状態です。彼は自力で生活が出来なく、家の中のものを良く壊します。食事、シャワーなどで彼の面倒を見なくてはなりませんが、家族は彼から怒られたり、殴られたりします。とても可哀相な兄です。
 精神的に善悪の区別が出来ませんから、兄はよく自分の服を破って裸になってしまいます。冬にはとても寒くなりますので、母は布団や温かい服を買ってあげますが、服などが直ぐに破り捨てられてられて無くなります。彼は、冬でも寒いという認識がありません。家族にはお金があまりありませんから、兄のことで非常に苦労しています。彼の消化器官はあまり良くありませんので、米、塩、野菜しか食べられません。母はお金がある時には、栄養のあるもの(肉とか魚)を買って食べさせようとしますが、下痢を起こしたりします。兄は何処にでもオシッコをし、遊びに来たお客さんに糞を投げたり、変な言葉を使って話したりします。自分の頭や体に糞をかけたりすることがあります。母が兄に行水をさせている時に、殴られたこともあります。このようなことはしょっちゅうです。彼は外に出ても帰り道が分かりませんし、人を殴ったりもします。兄の行方が分らなくなった時に、私の家族は親戚に頼んで、一緒に探しに出てもらった事も有りました。
奨学金を受け取るディエン君
兄の病気を治す事は出来ません。兄が迷子にならないように、人を殴らないようにするために、家族は家の隅に兄の足を縛っています。私たちの心は痛みますが、決心して兄を外に出さないことを決めたのです。

毎年お米の収穫期は皆の喜びの時期ですが、私の家族はこの時期にも喜べません。なぜなら、借金が多いので、お米の収穫があっても直ぐに返さないといけないからです。お米を取って、袋に入れ終わると、借金主に取られてしまいます。それでも足りません。

毎年のことですが、いつもこういうことが起きます。私の家族は一年間に9ヶ月ぐらいお米を借りに行かなければなりません。家族の植えたお米は、全て借金返済のためで、1~2ヶ月分しか残りません。今家族の借金が段々大きくふくらんで、40.000.000VND(20万円約)に上ってしまいました。毎月、借金の利息がどんどん上がってとても大変です。家族の皆で頑張って返したいですが、なかなか返せません。いくら頑張っても父と兄の手当と母のアルバイト料では、家族の生活費と借金の利息分くらいはなんとか払うことが出来ますが、本当の借金までは返せません。

この借金は、ほとんど兄の病気を治すための病院での治療費や薬代のためにできたものです。1回で20.000.000VND(10万円約)かかったこともあります。現在、父は67歳、母は58歳という年齢ですが、それでもまだ体力の要る仕事をしています。確かにこの年齢では引退しても良いと思いますが、私達のためにまだ頑張っています。家を建てる仕事のお手伝い等で、毎日、重いものを運んだり、押したりしています。私は父母をとても愛していますが、何も助けることが出来ません。勉強を頑張って、親の言うことを聞いてあげることぐらいしかできません。

現在、私はホアルーA高校の三年生です。数年前から視力が悪くなりました。小学校時代、視力がまだよかった時に勉強が良くできましたが、中学校になってから目が段々悪くなりました。家族の生活が大変なので、心配をさせたくなく、黙っていました。そして、先生が黒板に書いたものもはっきり見えなくなって成績が下がってきました。それから、親に本当のことを話したら、目の検査をし、眼鏡を買ってもらいました。でも、正しい検査を受けられなかったので、目がもっと変になっています。私はとても寂しい気持ちになっていますが、家族が大変だから、目を治しに行くことが出来ません。
今年高校の三年生になりましたが、勉強はほとんど自習です。お金がありませんから、友達のように塾に行くことはなかなか難しいです。学校で先生が教えてくれた内容を一生懸命に聞くことが主で、メモしたりするのも大変無理です。目が悪いからです。友達によくいじめられますが無視しています。他の友達のように、私は丈夫なではありませんが、私は、親の子として生まれたのがとても自慢です。私は、平和を守るために生まれてきた人の子です。ホーチミンさんと一緒に働いた親の子として、私はとっても嬉しいです。
私のずっと前からの夢は、目を良くしたいことです。目がよくみえるようになれば、日常の生活と勉強がもっと出来ると思います。そして、将来良い仕事を見つけて、親に恩返しをすることができれば大変嬉しいです。また、親に代わって、兄の面倒も見ることもできます。
 この夢を実現するには、大きなお金がかかるのが分かります。それは私の家族では絶対無理だと思いますが、この手紙を通して、日本の皆様に「宜しくお願いいたします」と申し上げます。どうか私の家族や私のことを愛して下されば、私の目の治療(手術等のチャンス)を受けさせてください。そうすれば、ものもはっきり見えるし、勉強ももっと出来ると思います。
私は明るい目が欲しいです。私は社会に対して良い社会人になりたいです。
私の希望は早く目を治したいことです。

もし、この希望が実現出来なくても、私の気持ちを皆様にお伝えできたことだけでもとても嬉しいです。
皆様、ありがとうございます。貴重な時間をかけて私の気持ちを聞いて下さって感謝致します。家族に代わって、「ありがとうございました」をお礼を申し上げます。愛のベトナムさわやか支援隊の皆様から応援と愛情を頂き、これからもっと頑張ります。

もう一度ありがとうございました。
2010年11月6日、Hoa Lu A

TONG VAN DIEN
チルドB
ディエン君 お手紙ありがとう。
ディエン君の家のことがよくわかりました。
2通続けてお手紙を頂戴しているので、全体のお返事は次のブログの頁に書きますが、まずディエン君の眼のことです。

日本の眼科医で服部 匡志さんというお医者さんが頻繁にベトナムにいらして治療・手術をされていますので、まず私の方から早速連絡をとってみます。とにかく、服部先生にもらうようしましょう。そして、正確な症状の判断を仰いでください。それが先です。服部先生と連絡がとれたら、こちらからディエン君に連絡します。

それまで、少しも負けずに勉強を続けてください。黒板の字が読みにくくても、心で読むように・・ここは絶対に負けちゃだめです。

お兄さんのことで、家族の皆さんが辛い思いをしていることも私の頭の中に入れました。
今度再会した時に、もうちょっと話を聞かせてください。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊 since1990
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