2011-02-27

桜田先生の書き遺したもの(6)

愛のベトナムさわやか支援隊は、桜田先生の「桜田基金」からのご支援を頂いております。故桜田先生の遺稿をご紹介しています。今回は、孤独についてです。ちょっと難しいですが、読んでみて下さい。
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(5)「孤」「独」について

「孤独」=「孤立」+「独立」

 自分で選んだ「孤独」だが、現状で、淋しさを伴う「孤立」状態を耐えることは正直、つらく避けたいものだ。

 ところで、加島祥造著『タオにつながる』(朝日新聞社)は、私の心境整理にあたり、多くの示唆が含まれ、読み直している。

 その中から、「孤独」に関する記述をたどり、私自身の気持ちの整理に役立てておこう。

 この言葉には「弧」と「独」の二つの語感が含まれている。

 「孤立」にウェートをおけば、他の人たちから疎外され、ひとりで取り残された状態で淋しい、怖い、不安といったネガティブな気持ちが前面に出てきてしまう。

 一方の「独立」。これは逆に、人に頼らないでやっていくという人生において、積極的で明るい語感のものとなる。

 人間は古い時代から集団で生きてゆくような社会構造をもった生物だったから、その習慣が本能とか遺伝子に組み込まれて、ユングのいう「集団無意識」の世界に取り込まれ、国家への忠誠とか企業、組織への無意識的な隷属などとなり、簡単になくなるものではない(現実の個々の社会環境がそれを多分に必要としており、環境が意識を決定していることも確か)。

 しかし、そこから出た自分、それが「独立」した心の自分なわけで、そこでは自分の命とは自分の中にあり、他者に属するものではない。そこから自分がいま生きているんだ、「ひとり在る」という自覚が始まる。そして、自分の内側から、いわばこちら側からむこうの集団をみることが出来る。集団があって自己があるのではなく、個が、自分があって、自分と同じような人びとが集まって集団があることに気付くようになる。さらに、自分がいま命を与えられて生きている、ということの意味深さ8喜び)に気付くようになる。それが「独立」ということだと著者はいう。

 「ひとり在ること」がなぜ喜びなのか? 「ひとり」という状態が、自分の命を十分に自覚できる状態だからだ。自分が分裂していないで、自分全体でいられる、この感じが喜びなのだ。

 他人への意識に煩わされないで、自分のままでいられる。自分が全体(ALL ONE)で居られるという時には、、頭も体も合体した調和体だから、これは喜びを与えるのです。

 集団というものは、故人が保護すると同時に、規制し拘束もする。人間は集団なしには生きていかれないけれど、集団からの規制や拘束があまりに強くなると、個々人の肉体も精神も萎縮してしまう。つまり、自分の命の自由な発露を制限される。

 人間が集団から出た状態を淋しい、怖いと感じることを否定できないけれど、命の働きに従い、自分のなかの生命力が順調に巡っている状態、そこに近づく方法を知ることができれば、それはその人に喜びを与えることになるだろう。

 人間は、集団所属と独立の両方を欲しいのが本音。だ が今は、社会集団の働きかけが強くなっており、そこに閉じ込められた人間はだんだん生命力を失う傾向にあり、だから自分の生命力を養うという「独立」した状態に少しでも戻ってゆくことが大切。

  「弧」と「独」のバランスをどう保持するか? 個々人によって、集団との距離のとり方も、「孤独」殿付き合い方も、自分で判断するしかない。集団内にいある安心と、集団から離れたときの喜びの両方が必要。バランスのとり方に公式は無い。自分で発見して、バランスを保てるようになれば、充実したライフを送れるだろう。

 精神というものは、そのバランスがうまく取れれば安定するようにできている。人間は「弧」も「独」もついて回るものだけど、今は自分にとって、そのどちらら大きん勢力を占めているか自省してみるとよい。それによって自分のバランスをとっている。

 さて、私の現在の精神状態、心境はどうなのか?

 昨年来のNPO活動への全力投入は、まさに(公的な)集団所属と役割遂行が第一となり、私的、個人的な安定。充足を犠牲にして自分が調和した状態で在ることへの実感(喜び)が次第に遠のいてゆくのだった。つまり役割遂行上の負担過大から、健康不調を伴い、集団内「孤立」が肥大化、自身を省み育む「独立」が縮減してゆき、精神的な不安定、心身の磨耗化をたどったといえる。

 その代表理事という責任過大な集団役割から退いた今、私の精神状態はどのようか?

  「独立」つまりひとり在ることは、時間・空間的に手中にすることが出来たのだが、「生命の発露」ともいえるその中身が今ひとつ、身辺整理の域を超えられず、暗中を模索中なのだ。また、一方の暮らしの安心を願い、叶えられそうな「集団」への帰属先が今ひとつ不確か。つまり、両者のバランスでは、孤独と自由は手にしたものの、協同と規制(受容)の方は、目下探索中。まだ時間がかかりそうだ。(2006年8月12日)


北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊since1990
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