2006-10-11

支援隊 2006さわやかツアー報告記(13)最終日

9月28日 いよいよ、日本に帰る日。行事はなし。朝、ホアン・キエム湖に向かっている時に、外務省のタインさんが、道行く人の中から、ヴィ・ティ・ホーさんをみつけました。車を1週させて探しましたが、見失いました。だめか。やがて、先方からやってくるホーさんを見つけました。腕を骨折されていました
「あと2週間かかりそうです」と言われた。車から降りて、私は、ホーさんをグループ全員に紹介しました。

ホーさんは、故トンタット・トゥン教授(越独友好病院)夫人です。故教授は、生後18日目に中部から送られて来たベトちゃん、ドクちゃんの面倒を見たほか、枯れ葉剤の被害者の調査にあたった方です。ハノイ医科大学の前の通りには、故教授の名前が付いています。

越独病院のベトナム人初の院長ともなられた方だった。45年前の1961年9月20日に、故教授が、ベトナムで初めて公開で肝臓手術を成功させた日だった。その記念日から1週間後の28日に、お目にかかれたのも、不思議なことでした。

結婚当時、ホーさんは、同病院の美人看護婦でした。「夫であり、恋人であり、先生でした」と、いつか話してくれたことがあります。故教授がいなければ、ベトナムの枯れ葉剤研究は、もっと遅れていたかもしれません。何回か、ホーさんのお宅で話を窺わせて頂いたことが思い出されます。息子さんのバックさんも、越独病院の副院長として、昨年、ラオカイ省で、山岳民族の人を手術したその日の夜に、亡くなられた。貧しい人とともに、苦しむ人とともにあれ・・・の父の理想を追い続けた息子さんだった。今でも、バックさんのお声が耳朶に残っています。
写真上は、ホーチミン廟の前で記念撮影する支援隊。
左は、1972年12月のアメリカの北爆時に撃墜されたB52(ベトナム語で、ベー・ナム・ハイと言います)です。(ドンダー区で)

帰国の日まで、枯れ葉剤につながった旅でした。鯉渕さんも大庭君も、枯れ葉剤の被害者の苦しみを、体で感じ取ってくれたなら、最高です。
私は、「裸形の個人」に近い人間をみてきただけに、強くそれをお願いしたいです。「裸形の個人」に「他者」は存在しません。「他者のどこに痛みを感じるか」は、大事なことです。多くの人にそれを伝えていってくれれば、これもまた、今回の支援ツアーの大きな収穫の一つになるに違いありません。

Posted by Picasa他人の幸福のために、自分を捧げていく。自由意志で、「菩薩の戦い」に打って出る。その時に、わが生命に「不死」の大生命が湧現してくる。
「瞬間の心」である、「一念」にすべての現象がおさまっています。
一念に深い労苦を尽くして他者ために尽くしていくなかで、豊かな生命が湧現して、献身の行動にさらに励んでいく・・・・。「一念の変革」が、自他ともの幸福と成長をうながし、その繰り返しが社会をも変革していくと思えば、この支援の旅は、果てしなく意義があると思います。
多くの方々のご協力を深謝し、支援の旅のご報告に代えます。上の写真は、ハノイ空港で。出発の遅れもなんのその。タインさん(一番左)が、妙ににこにこしているのは、なぜでしょう。ほっと一安心? (つづく)

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