2006-10-11

支援隊 2006さわやかツアー報告記(10)ハノイ市

9月26日。19日にハノイ到着後、初めてゆったりしたスケジュールでした。行動はハノイ市内のみ。午前中、枯れ葉剤被害者協会を表敬訪問しました。枯れ葉剤被害者協会とは、翌日の事務所移転を控えて、最後の日のあわただしいなかを会談に応じてくださり、大変気さくで友好的な雰囲気の中での話し合いでした。


ダン・ヴー・ヒエップ会長、チャン・スアン・トゥ副会長兼事務局長、マイ・テ・チン広報部長、グエン・ティ・ゴック・トアン常務委員ら最高幹部が出席してくれました。

支援隊の方から、米大統領宛ての、枯れ葉剤裁判の嘆願書にわれわれ全員が署名して本日に臨んだ旨をご報告し、その席上で、枯れ葉剤被害者協会によるアメリカでの訴訟支援に対して、金一封を贈呈致しました。

また、協会からは、出席者全員に、非売品の『枯れ葉剤犠牲者の痛み』という貴重な資料写真が入っている本を頂戴しました。

ヒエップ会長からは、「明日の引っ越しを手伝ってください」という深刻なお話があり、全員が大爆笑しました。写真上は、大釜会長と握手するヒエップ会長。右にトゥ副会長(教授です)、その右に、グエン・ティ・ゴック・トアン常務委員(フエの王族のご出身です)。

トゥ副会長からは、「今年の12月ごろ、原告92名の書類が揃います。裁判所では原告、被告双方の弁論が行われています。当方の弁護士は、アメリカ人です。12月頃の裁判に参加する派遣団は、トゥ副会長を団長として、女性一人(ドンナイ省ビエンホア空港近くに住む住人)とフエ在住の男性一人(元サイゴン政権の軍人の子ども)の3人です。先月(8月)韓国の退役軍人がニューヨークでデモ行進をしました。11月ごろに、またどこかの国がデモをかけられればいいのだが・・。枯れ葉剤の調査は、第3者機関に検査を依頼している。ドイツのオラバベンさんの研究室に依頼している。一つの検査に750ドルかかるが、ベトナムが依頼すると350ドルくらいで済みそうだ。それでもわずかだけしか依頼できなかった」と、概要このような話をされました。

また、水俣病公式確認から50周年の行事に参加したトアン先生からは、水俣病国際会議の報告も窺いました。

枯れ葉剤被害者協会の引っ越し先は、バクマイ病院に近い元日本大使館のビル。不思議な縁ですね。今後とも連絡を密にして、行動することを確認しあいお別れしました。

続いて、対米訴訟のベトナム側原告第1号のフィフィ先生のお宅へ。ハノイには11月のAPECのための新しい会議場がほぼ完成していますが、フィフィ先生のお宅は、その国際会議場に近いところです。ホーチミン市へ向かうあわただしい時間の中を会ってくださいました。

フィフィ先生を通じて、フィフィ先生の故郷、クアンガイ省に贈る車いす3台を贈呈致しました。

フィフィ先生は、アメリカにおけるベトナム枯れ葉剤被害者訴訟の原告の第1号ですが、いつもこう言われます。「クアンナム省、クアンガイ省、ビンディン省、トゥアティエン・フエ省には患者が多いです。私は軽い方です。どうか、私より重い人を助けてあげてください」と。「皆さんが来てくださるなら、クアンガイに一緒に届けたいです」と仰ってくれました。来年のテット前には、クアンガイ省に運んでくださるそうです。できれば、私も同行させて頂いて、実情をみたいと思っています。

そして、クアンガイ省の故郷の話をされました。「ものすごく静かで、きれいな川、美しい山がある所です。山と山の間に、きれいな小さな町があります」と。

抗仏、抗米の戦争を振り返って、「自分の目で見ても、戦争の被害は大きいです。枯れ葉剤問題は未解決です。若い世代が、戦争をなくすために努力してほしい。人生は短いです。抗仏、抗米の戦争後は絶対、平和で幸福な人生を送りたかったです。有意義に過ごしたかったです。正義と思われている戦争でも、被害者は出ています」と、力説されました。
クアンガイ省といえば、ソンミ村の虐殺のあった省です。504人が虐殺されました。(写真左)この時フィフィ先生は、クアンナム省の戦場にいました。当時、第1号移動病院(野戦病院)の院長をされていました。
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午後は、初めての休養に。でも、ひとときの貴重な時間を、おみやげを買いに走る人も。いや、全員が買い物で同一行動でした。が、途中からスコールが。買い物も休みなさいということでしょうか。あの雑踏が、雨とともに、急に人通りが少なくなります。

夕食後は、翌日に備えて、フットマッサージに行く人も。チップ込みで1時間10万ドン。
ちょっと行ってみるかぁ。
(つづく)

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