車椅子受領者は、グエン・ティ・ヴァンさん(1978年生まれ)です。
坊主刈りにしていますが、29歳の女性です。多分、頭を清潔にするためか、よく髪の毛をむしり取る人がいます。そのいずれかと思います。
左は、次女ヴァンさんを抱く父親のグエン・ティエン・チエン(1947年生まれ)さんです。タイビン省生まれ。
奥様:ヴー・ティ・ガイさん
お子さんは二人の間に4人です。
①グエン・ティ・リン(1972年生まれ)
1児を出産したあと、奥さんは5回流産しました。「5ヶ月目に出血があり、父から注射の薬を送ってもらいました」と奥さん。
②グエン・ティ・ヴァン(1978年生まれ)
③グエン・ティ・フオン(1981年生まれ)頭痛が激しい。
④グエン・ティエウ・ソン(1983年生まれ)健常者
お父さんの グエン・ティエン・チエンさんは、1965年 18歳で北ベトナム人民軍入隊しました。ラオス南部の9号線を中心に輸送部隊として従軍。除隊したのは1986年です。
今は、健康を害しています。関節が痛い。歯も多く抜けました。
「アメリカ軍の枯れ葉剤を、顔に受けました。一番早く悪くなったのは、目でした。
アメリカ軍が撒くと、タオルに水をつけました。これが一番大事なことと言われていました。
撒布のことははっきり覚えています。撒布は、毎日の午後でした。
全部葉が無くなるまで撒きました。直径2メートルもある木の葉が、3日後には落ちました。何か毒が入っているとは思っていました。
9号線では、木の葉が枯れても、アメリカ軍は何回も撒布しました」と、当時の思い出を語ってくれました。
手当は、父親のチエンさんが、66万ドン。
2004年から受給が始まり、17万5000ドン→32万5000ドン→2007年1月には49万5000ドン→今66万ドンと、増額が続いています。
ヴァンさんは、2002年から受給が始まり、35万ドンから現在47万ドンもらっています。
ヴァンさんの家の中も3部屋分は、車椅子で移動できます。
家からは、出口が少し狭いのですが、手を挟まないように気を付ければ、車椅子で直ぐ前の歩道に出られます。歩道をしばらくは行ったり来たり出来そうです。ご活用を願うのみです。
父親チエンさんの詩が、地元紙に掲載されています。もの静かなチエンさんの心の中に、戦争に対する煮えたぎるような憎しみを感じ取れます。
『オレンジの痛み』
戦争は通り過ぎた。
わが子は、まだ横になったまま。
20歳(はたち)を過ぎたが、
話すことも、笑うことも知らない。
立つことも、歩くことも出来ない。
眠れぬ夜が多い。
これは苦い運命(さだめ)なんだと、
悩む日々。
いや、違う。そうでは無い。
これは戦争で残された枯れ葉剤のせいだ、
我が子は。
わが子の姿をみて、
涙が止まらぬ日々が続く。
もう60歳に近い。
白髪交じりになったが、
心穏やかな日は
まだまだ来ない。
戦場にもう銃の音は聞こえない。
平和に囲まれる故郷。
そして、どんどん変わる国。
しかし、私の中に、
永遠に存在する
埋められない心の穴がある。
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