2007-05-28

私の男兄弟は全員死亡しました

久しぶりにクチ・トンネルを訪ねた帰りに、クチの解放戦線の闘士カオさんを訪問しました。
1960年以前にクチ地区で秘密活動をしていた時期は、本名と違うカオという偽名を使っていました。敵にも、その名で知られていました。

何回も逮捕されましたが、本名を突き止められることはありませんでした。それで、釈放されました。


現在でも、地域の人は、「Bac Cao(カオ翁)」と呼んで、本名では呼ばれません。

カオさんは、9人兄弟。一番上がお姉さんですが、戦後しばらくして亡くなりました。男はカオさんを筆頭に8人いて、7人が戦没者。今、長男のカオさんが生き残っています。男兄弟全員が、クチで亡くなっています。
母親は英雄の母という称号をもらっている。
最初に亡くなったのは、4番目の兄弟。政府軍第9師団との戦闘で死亡。

「5番目の弟が亡くなった時も、葬式どころではありませんでした。皆あちこちに散っていましたので。タイニン省の近くで亡くなりましたので、私が家族を代表して行きました。そして、そのまま死亡した所に埋葬しました。

その後落ち着いてから、お骨をとって家の墓に埋めました。今では、クチの戦没者慰霊墓地に埋葬されています」
その後、3番目、5番目、7番目、6番目、8番目。2番目の順で亡くなっていった。


「クチ地区が一番戦闘が激しかったのは、1970年と71年です。この2年間で、多くの同士が亡くなり、自分しか生き残れませんでした。

多くの犠牲になった仲間が出た時に、一人で地下トンネルに住んでいました。食べ物もほとんど無く・・・。多くのアメリカ軍兵士がクチに駐屯していました。

トンネルの入り口からアメリカ軍兵士のところまで50メートルしかありませんでした。ちょっと、様子をうかがったりしました。

アメリカ軍はお金持ちの軍隊ですよ。食べ物を捨てるんです。装備している手りゅう弾とか重いので、食糧も捨てるんです。手りゅう弾、弾薬、肉とか、水とか、ジュースとかを拾ってきては、それで生活していました。私は、そういう経験をしました」

ここは鉄の三角地帯と呼ばれていました。
「クチを制すれば、サイゴンを守ることができる。クチを失えば、サイゴンも失う」とアメリカ軍に言わせたところです。


ところが、革命軍は、「クチを死守できれば、サイゴンを解放できる」と言っていました。

当時は、この二つのスローガンがせめぎ合っている激しい時期でした。だから、地方幹部にこの地域住民の精神を安定させる努力と意志がなければ、団結できずとっくに負けていました」

「戦闘が激しくなったのは、1970年から1973年までです。
このクチ地区の当時の勢力バランスは、8割がアメリカ軍とサイゴン政府軍、2割が現地の解放軍でした。勢力分野はこれほど違っていました。

戦争の時、アメリカは一番危険な敵でした。大嫌いでした。アメリカ軍は負けました。現在はベトナム国家の政策で、過去は過去にしよう、敵と見なさないでほしい・・・。広く寛大な心をベトナム国民はもっていると思っています。現在は友人になれると思っています。怒りは持たない・・・ようにしています」

写真説明:①カオさん②鉄の三角地帯③アメリカ軍がトンネルの入り口を発見したところ④
現在のクチ・トンネル。こうやって出入りする。
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