高温多湿の中を、見学しながら歩きました。ホイアンの主だった観光名所はチケットがないと入れません。チケットはベトナム人用と外国人用の2種類で、二重価格制です。私たち外国人用はたしか、1枚75,000ドンと思いました。チケットは購入日から3日間有効で、5枚のチケットが付いていて、入るたびにもぎ取られていきます。
博物館 や中華会館 (福建會舘、廣肇會舘、潮州會舘の3か所)、そして、旧家 (馮興家、進記家、廣勝家、陳祠堂の4か所) 、伝統音楽・ハンディクラフト・ワークショップ、来遠橋などに入れます。
下は、ホワイト・ローズを作っているところです。
ホイアン名物3点セットといえば、カオラウ、ホワイトローズ、揚げワンタンです。ホイアン三大名物料理として広く知られています。
米粉で作った薄めの皮にエビのすり身を包んで蒸した料理。これはいけますよ。皮の形がちょうど白いバラのように見えるのでこういう名前がついていますが、ベトナム語では、ボン・ホン・チャンといいます。
16世紀の後半に登場したホイアンが、約200年の全盛期を経て没落した原因は、いろいろ挙げることが出来ます。
表面的には、17世紀の末に貿易活動が収縮したことは、まず、北部のチャン(陳)と南部のグエン(阮)の間の武力対決が避けられ、平和が長期に継続されたからです。双方の支配者は、外国商人の助けを必要としなくなって、誘致を怠ったからといわれます。
本質的な理由をあげるなら、ベトナム市場が小型だからです。大多数の農民が貧困に喘いでいたのと、生活が質素で外国商品に対する欲求がほとんどみられなかったことでしょう。
次に、ホイアンの衰退に与えた決定打は、1773年に起きたタイソン(西山)三兄弟の反乱でした。ホアインは、徹底的に破壊されました。その後10数年を過ぎてホアインは再建されましたが、国際貿易港として享受した栄華は戻ることはありませんでした。ホアインに定着した多くの中国人は、メコンデルタで商売をしようと、ザ・ディン(嘉定)、ビエンホア(辺和)、ミトー(美湫)などに移住してしまったのです。
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