トゥ会長ほかお二人の部長との会談は、こうして終わり、トゥ副会長がわざわざ見送りに出てくださいましたので、記念写真を撮りました。来年の再会を約して、お互いに握手をかわして、健闘を祈りあいました。時に、8月24日午前10時半でした。
いろいろな出会いや経験をそれぞれの胸に秘めて、2009年のツアーの行事は終わりました。参加の皆様、ご支援くださった皆様に、厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
最後に、ベトナム政府天然資源・環境省の刊行物のなかに書かれていた一文を掲載し、
65回に及んだツアー記録の連載をひとまず終わらせていただきます。今後とも、逐次、枯れ葉剤情報を発信していきます。
さて、一文は、静岡市ご在住のレ・ティ・ホン・ヴィンさんの訳に、小生が少々手を入れさせてもらいました。ヴィンさんには、この席で厚くお礼を申し上げます。
戦争が終わってから30年の歳月が経過した。しかし、戦争、とりわけアメリカ軍による化学戦争が環境や人間へ長年にわたって深刻な影響を与え続けている。
多くのベトナム人や外国人の研究者が、ベトナム戦争中に使用されたダイオキシン(枯れ葉剤)による被害について研究し、その研究結果を多くの国際的な学会や専門雑誌に発表してきた。しかし、私達の、枯れ葉剤についての理解は、まだまだ浅いのが現状である。枯れ葉剤の被害は南ベトナムの多くの地方に見られている。戦争中、南ベトナムの300万ヘタールも及ぶ面積に枯れ葉剤が撒かれ、その中に複数回散布された地域もある。
すでに安全に生活できる地域で安心して生活していても、あるいはまだ危険性の高い地域で適切な警戒と対処をするためには、住民たちに枯れ葉剤に関する正しい理解が求められている。
その理解や知識は、同時にアメリカ政府に枯れ葉剤の被害に対する責任を問う根拠でもある。そして、被害を軽減するために国際的援助などを呼びかける根拠でもある。
枯れ葉剤は、“開墾剤”とも呼ばれ、葉を枯らすものであって、環境や人間に影響を与えないと、アメリカ政府は主張していた。しかし、実際には、ベトナム戦争に使用された枯れ葉剤は、長期的に環境に深刻な影響を与え、何世代もわったて住民たちの健康や生活に深刻な被害を与え続けている。
枯れ葉剤は戦争の新たな武器として扱われたのだ。
ベトナムで使用される前、アメリカ軍により、アメリカ国内や国外の数多くの試験場で実験された。第二次世界大戦時、1944年と1945年、枯れ葉剤は東京周辺の6県に使用される計画があったが、日本軍が早く降伏したので、使用されることはなかった。
1945年以降、アメリカや幾つかの国で枯れ葉剤の実験が続けて行われていた。1950年代半ば、イギリスがマレーシアにおいて初めて限定的に軍事目的に使用した。
枯れ葉剤が長期的に(1961年~1971年)広範囲にわたって使用されたのはベトナムにおいて他にない。
枯れ葉剤の危険性については、アメリカ人科学者も含めて、各国の多くの科学者たちが警告した。アメリカ政府はこれを無視した。
ケネディ大統領は、1961年5月11日に「共産軍による南ベトナム侵略を防ぐために、枯れ葉剤と最新の武器を使用し、ベトナムの国境周辺の陸上や海上を制圧出来るようにする」と、宣言した。
初めて枯れ葉剤が撒かれたのは、1961年8月10日で、国道14号線(コントゥム省北部)がその標的だった。世論の批判を避けるために、枯れ葉剤散布任務を実行していたアメリカ軍機には、南ベトナム軍のマークが付けれ、アメリカ兵は制服ではなく普段着を着用していたのだ。
南ベトナムで撒布された枯れ葉剤の量は1967年に頂点に達し、68年から70年にかけて少し減少し、アメリカ軍による活動は1971年に終了したが、南ベトナム軍は終戦まで活動を続けた。
アメリカ軍は、南ベトナムの380万ヘクタールの面積に枯れ葉剤を8000万リットルほど撒き、200万ヘクタールの熱帯雨林、約23万6000ヘクタールの農地、約13万5000ヘクタールのゴム農園を破壊した。さらに、土地と水源を汚染させて、長期にわたって住民の生活や健康に深刻な被害を与え続けている。
ベトナム戦争における枯れ葉剤の使用は、アメリカの科学者も含め、世界の科学者たちから、人類の歴史において最も環境を破壊する戦争行為として批判されている。
1966年6月15日、アメリカ科学振興協会(AAAS)は、「アメリカの科学界は枯れ葉剤がもたらす弊害について懸念している。従って、当協会の太平洋事務所は、その弊害について研究するチームを設立し、次回の学会に報告できるようにする」と、発表した。
同年、エール大学のアーサー・ガルストン教授が、アメリカ植物学会と共にジョンソン大統領に手紙を出し、ベトナムでの枯れ葉剤使用に反対した。
1967年2月、ハーバード大学のジョン・エドソール博士が代表で、アメリカの5000人余りの科学者(ノーベル賞受賞者17人が含まれる)が、抗議書に署名し、ジョンソン大統領に枯れ葉剤使用の即時中止を求めた。
1967年2月、ハーバード大学のジョン・エドソール博士が代表で、アメリカの5000人余りの科学者(ノーベル賞受賞者17人が含まれる)が、抗議書に署名し、ジョンソン大統領に枯れ葉剤使用の即時中止を求めた。
1968年、アメリカ生物学研究所の支援で行われたある研究は、枯れ葉剤に含まれる2、4、5-Tという成分が、胎児を奇形にするという結果を発表した。この時期、南ベトナムのマスコミも枯れ葉剤が撒かれた地方に多くの異型児が生まれたと報道した。世論の圧力で、1969年10月29日、アメリカ政府は、住民が多く住んでいる地域での使用制限を決めた。1970年4月、アメリカ国防省はベトナムでの枯れ葉剤の使用を終了させることを決めた。
戦争の終焉から30年以上も経過したが、住民の健康や生活に対する枯れ葉剤の影響は相変らず深刻だ。
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