遺骸は豪空軍C-130輸送機で、死の直前まで共にいた特殊部隊の兵士2人と3人の姉妹らに付き添われて故国に帰還した。
フィッシャー一等兵が行方不明になったのは、1969年9月27日。南ベトナム、旧フック・トゥイ省で、豪特殊部隊の5人が、総勢30名の敵軍に遭遇し、ヘリコプターの出動を要請。
は、その時にRAAF(オーストラリア空軍)ヘリコプターによる彼のパトロール隊救出は、敵の攻撃にさらされながらの「きわもの」だった。
ヘリは救出用のロープを下ろしたが、ヘリが現場上空を離れるときに、フィッシャー一等兵は約60m下の深いジャングルに転落した。当時の捜査では彼が金具を正しくロープに装着しなかったのではないかとみられ、そして、起伏の多い地形で広範囲に空と陸からの捜索にもかかわらず一等兵を発見できなかった。
その後、軍史部隊が当時のヘリコプターの飛行経路を正確に再現し、一等兵の正確な落下地点を特定した。飛行経路の再現には、アメリカ側の協力もあったときく。科学の勝利である。大変な作業であったはずだ。そして昨年8月には、調査隊は一等兵のIDダグを発見し、遺骨を一等兵のものと確定するに至った。
ウォーレン・スノーデン連邦国防相は、調査隊がヴェトナム・旧フック・トゥイ省のカム・ミー(Cam My)村で、若いベトコン兵士により埋葬された埋葬地点を正確に割り出した後に、兵士のIDタッグと遺骨を発見したと発表した。
「フィッシャー兵士の情報の詳細が刻まれたIDタッグが埋葬地点から発見された。これは、穴の中で回収された極く少量の骨にもかかわらず、われわれがフィッシャー兵士の墓を間違いなく特定出来たという驚異的な発見である。そして、われわれはオーストラリアとベトナムの法医学者による正式な鑑定を自信をもって待つ」と、スノーデン国防相が声明の中で述べていた。
骨は、本国送還のためにオーストラリア政府に引き渡される前に、さらに法医学テストのためにハノイへ送られた。
スノーデン国防相は、オーストラリア調査チームが、落下した兵士の場所を特定するにあたって、ベトナム当局から援助を受けたと言った。
こうして、ベトナム戦争中に行方不明となった4人の豪兵士の最後の一人、デイビット・フィッシャー一等兵(当時23歳)の遺骨が、故国に帰還した。
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