2009-07-31

ベトナム縦断チャリンコ・ツアー

今回は、ヴェトナム南北縦断チャリンコ・ツアー 盛り上がるハノイ学生の話です。
      
ハノイの中心部から10キロメートル先のミー・ディン・スタジアム。サッカーのアジア・カップの会場ともなったスタジアムの前。午後5時。何百人もの自転車大学生が集まってくる。

6月中旬、ハノイの太陽は容赦なく白熱の道路を照らす。しかし、そんな暑い日差しも、学生達は、公共行政アカデミー主催のベトナム縦断探検旅行に選ばれるための練習をして、全エネルギーを使っている学生達はものともしない。
応募に集まるベトナム学生(今年6月)
彼らは毎日1ヵ月間、自転車をこぎ続けてきた。週末に、彼らは数グループに分かれて、体力増強のためと、ボランティア活動に係わるために、半径60-キロメートル圏内の隣接した省に自転車を漕いで入っていった。

学生諸君がどれくらい情熱を傾け、楽しんで練習していたかを見ていると、誰を合格させるか、誰を落とすかを見極めるのは難しい」と、昨年から、行事を企画している公共行政アカデミーのレ・ヴァン・ナム氏が言った。
                         
ハノイの36の大学、専門学校から約500人の学生が、ベトナム縦断旅行グリーン2009で定員200人の枠の中に入ろうと競っている。
                         
そのグリーン2009は6月30日に出発して北から南まで、28の省と都市を通過して8月の初めに目的地ホーチミン市に着き、走破完了の時期がくる。
                          
このグリーン2009にはたくさんのボランティア活動が含まれているので、困っている人々の生活を改善を手伝ったりする時に、参加候補者は責任感、チームワークと決意を示さなくてはならない。

言うまでもなく、体力と健康的な快活さも必然的に欠くことは出来ない。

このグリーン2009の枠は200人。この選に漏れる300人は、不便な地域でのボランティア作業をしたり、7月の初めには、大学受験を希望する高校生の勉強の面倒を見たりしてすることで社会貢献をする道が残っている。

トレーニング以上のものを得る

ハノイ大学人道社会科学学部のジャーナリズム専攻のレ・ヴィエット・フン君は、「この訓練に新たに参加した」と喜ぶ。

1ヵ月前までは、私は7時に夕食を取っていた、しかし、現在、私は9時前に食卓に座ることはない。1ヵ月前、私はほとんど地面に座ることはできなかった。いやだった。でも、今、自分はどこでも気にせず横になることが出来る」と、フン君は日記に書いた。

1ヵ月前、私は500メートル走ればもう息を切らしていた。だが、今は、私は疲れることなく2キロメートル走れるようになった

もう一つ良いことがあった。彼が準備のことと関係者についていくつかの記事と短いコラムを書いたが、それが将来の彼のジャーナリズムの経歴に役立ちそうだということだ。

ハノイ法律大学のヴー・ティ・フエさんは、彼女が現在何十キロも自転車に乗れるし、何でもすることができることを自慢する。そして、「以前他の人がやってくれたように、ゴミ収集など、なんでもやるつもり・・。私はこれが自分の意志と忍耐を試せる機会であると認識しているので、途中で落後する積もりはありません。そして、もし私がベトナム縦断ツアーに選ばれなければ、とにかく大学受験希望者の勉強の面倒を見て奉仕するつもり」と、自信満々に、熱っぽく語る。

ハノイ大学英語科1年生の小柄なダン・フオン・タオさんは、難しいトレーニングに耐えたという評価を頂いたので、200人の中に選ばれる自信はあると、自信たっぷりだ。

タオさんは、このツアーに備えて、最悪の天気と最も厳しい状況を経験しており、いまは、過酷な条件にも慣れた。「チームについていければ、脱落する心配はない」と、彼女が言う。

南北縦断チャリンコツアーは、まもなく終点だ。彼らは何を得て、ゴールインするのだろうか。
若い時期、ボランティアを組み合わせたチャリンコ・ツアーで、他者への貢献を経験することは大いなる財産になる。それは、ひいて言えば、社会資本の積み上げにもなることである。
ベトナムの若者に、元気づけられて、私も走ってみたいと、以前ある人に話し掛けてみたが、一蹴された。

まだ、若いつもりだが、ベトナム人の車優先の「おれおれ
運転感覚」をみると、一蹴されても仕方がないかと。
                           
来年は、わが支援隊にも、チャリンコの日を一日設けて、不便な地域への貢献を考えるてみるかな・・・。果たして賛同する人が何人いるかである。仮に誰もいなくとも、やってみる価値は大ありのような気がする。第一視線が変われば、目に付く物も変わるはずだ。Posted by Picasa

2009-07-29

枯れ葉剤被害 カナダ基地の場合

今回ご紹介するのは、カナダ軍基地のケースです。ニュースは、若干古いのですが、女性が苦しみ、政府が痛みを感じないのは、古今東西、どこも同じです。まず、ご笑覧ください。
♪♪♪  ♭♭♭  ♯♯♯  ♪♪♪
エージェント・オレンジの補償規則
変更を求める旧軍人未亡人
元軍人の夫を失った未亡人グループが、1960年代にカナダ軍基地のゲージタウン(写真下)で撒かれたエージェント・オレンジによって死亡したり疾病を起こした事に対する補償を要求している人々と、補償最終期限の延長をさせようとしている。
連邦政府の補償パッケージの申請最終期限は4月1日だが、夫人グループは、資格申請の日付を変更させ、夫の死亡日までを補償の対象にするために、資格取得日を変更するように圧力をかけている。
カナダのゲージタウン基地
「グループ名を”征途の未亡人”といい、国内のメンバーはおよそ80人います。私には資格がないんです。なぜなら、夫は2006年2月6日か、または、それ以降に死亡したのではないですから。夫は、その日付以降までもつことになっていた。しかし、夫が死んだのは2004年でした」と、創設者ベティ・ハドソンさんは言う。
                        
ハドソン・グループの全員の請求は、補償パッケージでは受け付けられなかった。この補償パッケージというのは、1966年と'1967年にエージェント・オレンジを撒布したことにより関連のある特異疾患に対して、元軍人に最高2万ドルの支払いをするものだ。

なぜこういう被害がでたかというと、アメリカ軍は、1966年と1967年に7日間にわたって同基地の一部で、エージェント・オレンジと、エージェント。パープルと、他の数種類の化学物質を試験撒布したのだ。
                          
連邦政府の補償支払いには、厳しい条件が付いていた。つまり、1966~1967年に同基地の5キロ以内で仕事をしたか暮らしていた元軍人か一般人とエージェント・オレンジ曝露と関連のある疾病を持っていた人のというものだ。

アメリカ科学アカデミー医学研究所で決定された通り、それらの疾病とは、ホジキン病、リンパ腫、呼吸器系ガン、前立腺ガンとタイプ2型糖尿病を指す。

この支払いに該当するのは、およそ4500人と予想される。復員軍人省によって拒否された878人の中には、ハドソンさんの請求も入っているが、これまでに2,153人が承認されている。

「征途の未亡人」は、最終期限の4月1日の前に予定される市民集会と抗議で補償パッケージ公開するように連邦政治家に圧力をかける予定だ。

「我々が知る限り、そして、我々が感ずる限り、請求は2007年に発表される前に、落とされてしまいました。それは正しくありませんし、これら未亡人にとって公平ではありません」と、ハドソンさんが言った。

未亡人たちの戦いは、ニューヨークからきたドキュメンタリー撮影班の目にとまった。

「多くの人々は、この補償パッケージには問題があると思っている。実際には、わずかおよそ2,000人が補償パッケージを得ただけだ。そして、315,000人以上の人が、化学物質による枯れ葉の試験期間中に基地の中を移動していた」と、ドキュメンタリーのディレクター、ダニー・フェイゲリー氏は言った。
                       
∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀∀ 
                                                                       
以上が、今年3月のニュースですが、なぜ、ここに取り上げたかと申しますと、
(1)なぜ2年間の半径5キロ以内の人なのだ・・・2年間でダイオキシンが死滅するならともかく。何もわかっちゃいないんです。
(2)なんで、あの病気だけなのだ。ダイオキシン関連特有の疾病があるわけではない。ダイオキシン関連といえど、普通一般にある病気なのだ。限定するする方がおかしいとおもいませんか。まやかしです。
(3)アメリカは、あちこちで、枯れ葉の実験と称して、実は人体実験も兼ねて行っていたのではないかと、疑わざるをえないことと、冒頭に書いたように、何時の時代も残された女性や子どもが大きな負の遺産を背負わなくてはならないのは、非常に残念だ、ということだからです。
                      
私は、彼女らを支持して、メールで嘆願書にサインして送りました。(北村 元)Posted by Picasa

2009-07-28

最新の医学研究発表

今回は、7月25日に発表された最新の医学研究結果をご紹介します。何で今頃わかったのか、と怒りのやり場のない元軍人も多いはずです。「俺たちは、最初からわかっていたんだ」と言っているかも知れません。アメリカ政府を少しずつでも追いつめていかなくてはなりません。
(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)
エージェント・オレンジへの曝露 パーキンソン病と心臓疾患の危険性を増す

ベトナム戦争中に使用されたエージェント・オレンジに曝露した兵士や一般人は、パーキンソン病と心臓疾患になる危険性が増す可能性があると、アメリカ科学アカデミー医学研究所(IOM)が報告した。
この研究はアメリカ退役軍人省が後援したもので、エージェント・オレンジと2つの疾病関係のカテゴリーを増やす必要があることを示した。報告書が作成される前までは、二つの病気と枯れ葉剤との関連は、正式には不適当か証拠不十分とされていた。
研究が関連性を浮き彫りに
ワシントン大学公衆衛生学部のリチャードA.フェンスキー教授(写真)では、「それらの2疾病(パーキンソン病と心臓病)は、関連性は、限定的 あるいはきわどい証拠ありという方向へ移動した。変わったのは、わずかその2つだ」と、言った。
フェンスキー教授は、また、「今回は、いくつかの新しい研究が行われた。いずれも、関連ありとする方向を強く指し示した。それがわれわれが、関連性ありと結論づけた理由だ」と、明らかにした。
心臓疾患
研究者は、ベトナム戦争中に従軍した元軍人のエージェント・オレンジに曝露による心臓への影響について研究した。研究の結果は、エージェント・オレンジに曝露した人々には虚血性心疾患(心臓の血液供給が減る状態)になるより高い危険性があることを示した。
喫煙と体重というような他の要因も、心臓病発生の危険を高めることもわかった。しかし、枯れ葉剤への曝露は、最高のリスクを与えることがわかった。
パーキンソン病
研究者は、この他、パーキンソン病を患っている枯れ葉剤被害者を調査した16の他の研究を見直して、エージェント・オレンジのパーキンソン病への影響も研究した。
ベトナム退役軍人の間の実際のパーキンソン病罹患率が得られなかったので、パーキンソン病のための研究はさらに必要であるとしている。
エージェント・オレンジは植物を破壊して、敵の発見を容易にするために、ベトナム戦争中に使用された化学物質だ。1961年から1971年まで、2000万ガロン以上のエージェント・オレンジがアメリカ軍によってベトナムのジャングルに撒布され、275万人以上の兵士がこの有毒化学物質を浴びている。Posted by Picasa

2009-07-25

奨学金のこと

今年の愛のさわやかベトナム支援隊の活動は、貧困家庭の現金収入につながるの贈呈と経済的困難の中で勉学に励む生徒・学生に奨学金を贈呈すること、医薬品を贈呈することです。この他に、随時診断などができるように、眼科のお医者さん、カイロプラクティックの先生、施設の子ども達の体力増進のために音楽療法士の先生が参加します。
私たちの会の奨学金には、ベトナムを象徴する『蓮の花奨学金』と名付けて、すでスタートしています。
今年の奨学金授与は、ハノイニンビン省クアンガイ省の3地域で、合計15人になりそうです。
私たち大人が日本社会から受けた恩恵を、枯れ葉剤被害に苦しむベトナム人に分けようという考えです。
各人が受けた恩は次の世代に渡して、初めて完結すると言われます。ベトナムの若い世代に大いに勉強してもらおうと願っています。
枯れ葉剤被害者第2第3世代

今年の2月にフランスの人道活動団体が、やはり奨学金をスタートさせました。その内容を、ここでご紹介しておきましょう。

フランスの人道的なグループ(ヴェトナムの子どもダイオキシン被害者のための協会=ADCV)は、それがヴェトナム北部の5都市と行政区で、枯れ葉剤の被害を受けている子供たちに資金と奨学金を与えると、この2月に発表した。

奨学金支援計画は2月10日に始まって、2011年まで続く。

この奨学金計画の下で、ハノイ市、ハイフォン市、バックザン省、ハーナム省とナムディン省で、経済的困難と病気に苦しむ15人の子供の被害者たちは、3ヶ月毎に90万ドン(4、800円相当)の援助を受ける。

さらに勉学に励む他の15人の生徒には、年間200万ドンの奨学金を受ける。

フランスのADCVは2001年に誕生し、現在およそ200人の会員がいる。そして、その大半はフランス人、ドイツ人、ベルギー人とベトナム人だ。その奨学金計画を通して、同協会は枯れ葉剤被害者が生計を立てて、経済的負担を軽くし、無料の健康診断と治療の実施を援助する。

2001年以降、400人以上のベトナム人枯れ葉剤被害者が、ADCVの支援計画から恩恵を受けている。愛のベトナム支援隊から奨学金(昨年)

以上が、フランスのADCVの支援内容です。
私たちの会員は200人もいませんが、ADCVにほぼ近い内容で奨学金を提供しています。授与者数も同じです。
支援ツアーが終了すれば、また皆様に色々御報告出来ると思います。人道支援の競争です。Posted by Picasa

2009-07-24

豪越協力 豪最後の兵士の遺骨戻る

今回の話は、ベトナム戦争中に行方不明となった4人のオーストラリア兵士の最後の一人、デイビット・フィッシャー一等兵(当時23歳)の遺骨が、2008年の10月10日、39年ぶりの帰還を果たした、という話だ。

遺骸は豪空軍C-130輸送機で、死の直前まで共にいた特殊部隊の兵士2人と3人の姉妹らに付き添われて故国に帰還した。
これは、オーストラリアとアメリカの技術、それにベトナム側の協力の賜だった。

フィッシャー一等兵が行方不明になったのは、1969年9月27日。南ベトナム、旧フック・トゥイ省で、豪特殊部隊の5人が、総勢30名の敵軍に遭遇し、ヘリコプターの出動を要請。

は、その時にRAAF(オーストラリア空軍)ヘリコプターによる彼のパトロール隊救出は、敵の攻撃にさらされながらの「きわもの」だった。

ヘリは救出用のロープを下ろしたが、ヘリが現場上空を離れるときに、フィッシャー一等兵は約60m下の深いジャングルに転落した。当時の捜査では彼が金具を正しくロープに装着しなかったのではないかとみられ、そして、起伏の多い地形で広範囲に空と陸からの捜索にもかかわらず一等兵を発見できなかった。

その後、軍史部隊が当時のヘリコプターの飛行経路を正確に再現し、一等兵の正確な落下地点を特定した。飛行経路の再現には、アメリカ側の協力もあったときく。科学の勝利である。大変な作業であったはずだ。そして昨年8月には、調査隊は一等兵のIDダグを発見し、遺骨を一等兵のものと確定するに至った。

ウォーレン・スノーデン連邦国防相は、調査隊がヴェトナム・旧フック・トゥイ省のカム・ミー(Cam My)村で、若いベトコン兵士により埋葬された埋葬地点を正確に割り出した後に、兵士のIDタッグと遺骨を発見したと発表した。

「フィッシャー兵士の情報の詳細が刻まれたIDタッグが埋葬地点から発見された。これは、穴の中で回収された極く少量の骨にもかかわらず、われわれがフィッシャー兵士の墓を間違いなく特定出来たという驚異的な発見である。そして、われわれはオーストラリアとベトナムの法医学者による正式な鑑定を自信をもって待つ」と、スノーデン国防相が声明の中で述べていた。

全面的な考古学的発掘作業が行われる前に、調査チームが2008年初めに、地元住民とベトナムの元兵士との面接を含む調査作業を実行した。

骨は、本国送還のためにオーストラリア政府に引き渡される前に、さらに法医学テストのためにハノイへ送られた。

スノーデン国防相は、オーストラリア調査チームが、落下した兵士の場所を特定するにあたって、ベトナム当局から援助を受けたと言った。

こうして、ベトナム戦争中に行方不明となった4人の豪兵士の最後の一人、デイビット・フィッシャー一等兵(当時23歳)の遺骨が、故国に帰還した。

遺骸は豪空軍C-130輸送機で、死の直前まで共にいた特殊部隊の兵士2人と3人の姉妹らに付き添われて、2008年の10月10日、39年ぶりの帰還を果たした。Posted by Picasa

2009-07-23

お久しぶり マケインさん

米越関係は次に進む時期:マケイン上院議員語る

ジョン・マケイン上院議員は4月にベトナム訪問したが、訪越中に、「長い戦争の後国交正常化を果たしたが、米越は次の段階に進む必要がある」と語った。
今回は、、彼の発言を中心に見てみましょう。
マケイン上院議員

マケイン上院議員の訪越は、昨年11月に大統領選でオバマ氏に破れてから初めてのもの。マケイン上院議員(72)は、ヴェトナムの外交アカデミーの学生を前に、「両国関係が現代化すれば、アジアと世界におけるヴェトナムの地位もそれにつれて向上する。2カ国は経済と軍事でより緊密な結びつきを持つべきだ。共産主義国家ヴェトナム(1党国家体制)には政治的自由へ取り組む中で、“歴史的な大変革”を遂げることにより、経済的、外交的な成果を広げる機会をもつ」と、呼び掛けた。

マケイン上院議員は、ベトナム戦争中の1967年に、海軍のパイロットしてハノイ上空で撃墜された5年半にわたりPOWとして抑留された経験を持つ。両国は、ヴェトナム戦争終結から20年を経た1995年に、国交を正常化した。

下の写真は、1967年10月26日に、タイの基地から飛来したマケイン操縦士が、ハノイ上空で撃墜され、チュク・バック湖で、住民に囲まれる。

1967年10月26日ハノイで撃墜されたところ

同上院議員は、「両国関係は次の段階に進む時だ。両国関係の一層の強化は、過去20年のヴェトナムの先例のない経済改革と両国関係の驚異的な発展という延長線上だけでなされてはならない。むしろ、西側世界からアジアへの経済力が歴史的にシフトしているという理由からもなされるべきだ」と、語った。

マケイン上院議員は、アリゾナ州選出の共和党議員で、上院軍事委員会の理事を務める。マケイン議員は、戦後何回もヴェトナムを訪問を果たしている。 

彼は、この他、世界的な不景気の中、経済的孤立主義に回帰しようという、アジアと米国で起きている声に警告を与えた。

我々は、それらの声に心を留めてはならない。我々は後退してはならない。たとえば、自由貿易の利益を他の東南アジア諸国に拡大しつつ、米越間の貿易を増加させるという新しい道を模索することによって、前進しなければならない。両国は2国間の投資条約を結ぶべきだ」と、彼が言った。

ベトナムから戻った後のマケイン氏

マッケイン上院議員は、また、次のように話した。

社会を一層開かれたものにするなど、反グローバル化の勢力に抵抗することはベトナムにも必要なことだ。それが、すでに大きな経済力をほこるベトナムを一層繁栄させることになる。現在ヴェトナムには、政治的、社会的に前進を求めていくことにより、その成果を拡大する機会があると、私は信じる。

これには、より大きな表現の自由、政治活動の範囲の拡大、平和裏に自分の意見を述べて収監されている者の釈放、人権の改善などが含まれる。この変化...歴史的な大きな震度である。

貴国は、他国の模範になりうる。そうなれば、貴国は、時間とともに、アメリカ合衆国との関係を相互の経済と安全保障の利益という変動する砂の中に、ではなく、価値観を共有する岩盤の中に錨を固定していくことができるようになるだろう。

安全保障と経済成長には緊密な関係がある

彼は、また、記者会見で、「我々は両国間の軍事関係の強化も希望している」と、述べた。
ベトナム戦争では58,000人以上のアメリカ兵と300万人を越えるベトナム人の死者を出した。しかし、2003年には、ほぼ30年ぶりにアメリカの軍艦がベトナムに寄港している。

マケイン上院議員は、ベトナム軍の将校がアメリカの防御大学に通って欲しいと呼び掛け、テロリストに関する情報交換でも一層の協力を呼び掛けた。

両国関係はめざましく進展したが、戦争中にアメリカ軍が枯れ葉剤を使用した問題は、両国間で懸案として残ったままだ」と、マケイン議員は一定の認識を示した。

マッケイン上院議員らは、グエン・タン・ズン首相らベトナム当局との会談後、北京に向かった。
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それにしても、なぜ軍事関係の協力強化を呼び掛けるのでしょうか?
                     
この人の頭の中からは、軍事が抜けることはないのでしょうか? 
                        
枯れ葉剤被害についても、認識を示しだけで、それ以上のことは話さなかったようです。
                          
もっと、やるべき事があるのではないか・・と思うのですが。枯れ葉剤の戦争被害者を誠実に面倒をみれば、両国関係の強化は自ずとついてくるのではないでしょうか?違いますか、マケインさん?Posted by Picasa

2009-07-21

米下院第2回聴聞会閉幕

今回は、6月4日に閉幕した、枯れ葉剤被害者に関するアメリカ下院第2回聴問会の報告です。
6月4日にアメリカ下院アジア、太平洋及び世界環境問題に関する小委員会が開いた第2回ベトナム枯れ葉剤被害者聴聞会は、ハノイ時間の6月4日に成功裏に終わった。
ベトナム側代表には、ベトナム議会外交問題委員会副議長で、米越対話グループの議長のゴー・クアン・スアン大使、ベトナム科学者と他の目撃者を代表してヴォー・クイ教授が参加した。
この聴聞会には、東南アジア問題担当のスコット・A・マーシエル国務省アジア太平洋局副国務次官補の他、アメリカの科学者、国際機関の代表らが参加した。

開会の辞で、アメリカ側を代表して、イーニ・ファレオマヴァエガ聴聞小委員会議長は、アメリカ軍がヴェトナム戦争中にベトナムにほぼ8,000万リットルの有毒化学物質を撒布し、その結果は、何百万ものベトナム人が枯れ葉剤被害者に帰したと語った。

聴聞会では、ベトナム側、アメリカ側科学者、及び目撃者は、ベトナムの人々と環境に有毒化学物質が与えた有害な影響についてのレポートを読みあげた。目撃者も多くの関連質問に答え、米国の政治家に対する勧告を行った。

マーシエル副国務次官補は、枯れ葉剤関連問題における米越協力はかなり効果をあげており、米越対話・グループが得たものを凌ぐことがわかった、そして、アメリカ政府が心を開いて効果的方法で枯れ葉剤問題の解決に最善を尽くだろう、語った。

第2回聴聞会

メアリー・ドーラン(障害者のための米全国組織副会長)氏は、「アメリカ政府がヴェトナムにおける人道活動に継続して援助を続けなければならない。将来的には、アメリカが技術協力と対外援助を提供してきたように、米国はこの問題に対してもっと責任を果たさなければならない」と主張した。

ヴォー・クイ教授(註1)は、証人として聴聞会に出席し、第2回の聴聞会を評価した。同教授は、第2回の聴聞会は、第1回と比べて更に細部にわたって議論されたことを確認し、多数の参加者を引きつけ、多くの人々の注目をひいたと語った。「私は、枯れ葉剤によって引き起こされた醜悪な結果について、アメリカ行政当局と国民の意識を高める事が必要だと思う。そうすれば、彼らも、ベトナム犠牲者のために支持の声を挙げることができる。われわれはまた、ヴェトナムで展開された化学戦争の深刻な結果を克服できるように、他の諸国の人々からのさらなる支援を必要としている」と、同教授は語った。

ヴォー・クイ教授(中央)と教え子たち

ゴ・クアン・スアン大使は、第2回聴聞会を評価して、「第2回聴聞会は、ヴェトナムとアメリカは種々の分野で、協力関係を積極的に発展させているという状況の中で、第2回聴聞会が行われた。ほとんどの代表は、残りの問題は、ヴェトナムが戦争結果を克服出来るように助けることだと言う点で一致した」と、語った。

同大使は続けて、「この聴聞会は、アメリカ議会の議員が、この問題をよりよく理解するのに役立つだろう。例によって、認識の向上が行動につながる。聴聞会は、アメリカ議員だけでなく、アメリカの他の組織にも、異なる角度から多くの情報を提供した。米越関係の促進に、大きな意味を持つ物だった」と、彼は強調した。

幼少の頃のベトちゃんドクちゃん
第1回聴聞会は、「忘れられた責任:エージェント・オレンジ被害者を助けるために、我々に何ができるか?」というテーマで、昨年開かれた。
                       
第2回聴聞会は、ヴェトナムにおける枯れ葉剤関連問題の解決には、アメリカとのより緊密な協力が必要であることを再確認して終了した。

(註1)世界野生生物基金が始めた地球温暖化の意識向上のための世界的な運動であるアース・アワー2009のベトナム人大使の中に、ヴォー・クイ教授は選ばれている。ヴォー・クイ教授は、タイム誌が「2008年環境の英雄」に指名された。
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2009-07-20

元アメリカ軍兵士 ショック ショック

「これは、アメリカの戦争のものすごく恐ろしい遺産だ」

自分自身の目でベトナムの枯れ葉剤被害者の苦しみを見た後、語ったアメリカの旧軍人の感想だ。そして、「自分は、完全にこれらの人々を支えていく」と誓った。

その人の名は、ダドリー・ヘンドリックさんだ(写真下。左から4人目)。彼は“平和と正義の島”会長だ。彼は2008年3月1日から15日まで、ヴェトナムの状況と、ヴェトナム戦争のその後を調査するためにベトナムを訪問した。ベトナム戦争は、爆弾と有毒化学物質で数百万人のベトナム人に障害を与えた。

3月3日に、ヘンドリックさんと“平和と正義の島”の3人の会員は、ハノイの友好村を訪問した。そこには、枯れ葉剤の影響を受けたベトナム人の傷病兵士やその子供たちが看護を受けている。
ヘンドリックさんも、枯れ葉剤の影響を受けている。彼は、友好村で被害の人の実情をみ、話を聞いて、深く心を動かされた。
                                               
「私は、アメリカ政府がこの国に残した戦争の遺産に対して、アメリカ政府はもっと責任をとってもらいたい」と、ヴェトナム通信社に話した。 
                                                    
ベトナムの枯れ葉剤被害者に対するアメリカ化学企業による補償を退けるというニューヨーク高等裁判所の判断に関して、彼は、「私は、化学企業とアメリカの司法制度が共に責任をとることを拒否したことに恐ろしく失望した」と、語った。
                                                   
ヘンドリックさんは、帰国した後、州の議員に、自分がヴェトナムで見たものについて報告し、ベトナムの枯れ葉剤被害者の補償を叫び続けるように依頼すると話した。彼は「戦いは続ける。私はアメリカ国内における彼らの大使になるつもりだ」と強調した。
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2009-07-18

ハノイ市など北部で署名運動

枯れ葉剤被害者全国協会ハノイ支部は、有毒化学物質の被害者を支持して、5月に1ヶ月に渡る署名運動を行った。
「100万の署名ー心は1つ」を合い言葉に始まった署名運動は、首都ハノイ、タインホア、フート、タイグエン、ハザンの北部各省の高等学校、大学の学生、市民に署名への協力を呼び掛けた。署名は長いブルーの布の上に行われた。
                       
集まった署名は、6月8日にロック・バンド「赤潮」「グ・クン」や歌手のチャン・ラップが出演したガラ・ナイト(会場:運輸大学)で披露された。署名運動は6月8日に終わったが、署名された布の長さはベトナムのギネスブック新記録を達成した。
                          
また、6月6日には、募金を目的として、ミュージカルも公演された。Posted by Picasa

2009-07-17

戦争の悲劇 いつまで?

こんな悲劇はお伝えしたくないですが、お伝えしないと日本の皆さんには分かっていただけないでしょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
ベトナム戦争の不発弾は生き続ける 
★★★★★★★★★★★★★★★★★
ベトナム戦争中、旧北ベトナム最南端の省であったクアンビン省で、また新たな悲劇が起きました。7月6日夜に、クアンビン省最北の村で、金属片をあさっていた人たちが、ベトナム戦争中の不発弾にぶちあたってしまったのです。4人が不幸な死を遂げました。
亡くなったのは、3人の農民と教員一人の合計4人です。4人は、7月6日夜に、金属探知機を使用して金属片を探していましたが、不幸にも見つけたのが不発弾でした。
この4人は、バールを使って掘り出そうとしましたが、なんと500キロ爆弾の不発弾が爆発し、即死でした。
クアンビン省フオン・ホア村のチュオン・クアン・タン村長が発表しました。年齢は26歳から30までと、戦争を知らない若い人たちばかり。金属片がそれほど大きいとは思わなかったでしょう。
下の写真は、2005年でしたか、南隣のクアンチ省の人家の近くで発見された不発弾です。
私たちは、通常不発弾を総称してUXBとよんでいます。まだまだどこかの地中に眠っているはずです。
なぜ、金属片などを集めているのか、止めればいいじゃないか、とお思いでしょう。貧しいからです。死者の中に一人教員が入っています。職を持ちながらも、食って行くにはこういう現金収入の道を探すのです。

北ベトナムなのになぜ?と思う人がいるかもしれません。

現場付近は、かつてのホーチミント・ルートでした。この村の西を国道15号線が走っています。それが、かつてのホーチミン・ルートです。この15号線が南下して、途中からラオスに向かう12号A線が始まり、ラオス国内の国道12号線となります。

クアンビン省フオン・ホア村の南西方向に、アメリカ軍の爆撃で有名な、チュオンソン山脈ムギア峠があります。これが、ラオスとの国境の峠です。そこを走っているのが、12号A線です。

ベトナム戦争中、北の共産国家から南の戦場へ送られる物資、兵士、武器の輸送を阻止するために、この省も、アメリカ軍機が重爆撃した地域です。

地理的に申し上げますと、当時の北ベトナムの最南端の省が、クアンビン省です。その南隣のクアンチ省は、旧南ベトナム当時の最北端の村になります。この両省の間に国境が存在していたわけです。アメリカ軍、南ベトナム政府軍、北ベトナム軍、南ベトナム民族解放戦線という4つの勢力がせめぎ合っていたわけですから、どうしても、物理的には爆弾の投下が多くなる事は必至です。

ちょっと下の写真をみてください。川べりの農地。農地の中の丸い穴は、すべてアメリカ軍の北爆による爆弾で出来たクレーターです。

政府統計によれば、戦争が1975年に終わってから、戦後に残された不発弾(爆弾、地雷と砲弾)で42,000人以上が死亡し、負傷者は約62,000に及んでいるそうです。これは国連の統計とも合致しています。

ベトナムの新聞はこう書いています。

ホーチミン・ルートという軍の補給ルートを妨害しようとして、アメリカ軍はクアンビン省で激しい空爆を敢行した。1960年から1975年までの15年間、爆弾はほとんど毎日、この省に落とされた。・・・と。

最後の2行に嘘があります。アメリカ軍がクアンビン省を攻撃すると言うことは、越境して北爆することです。1960年には、まだまだ北爆は行われていませんでした。アメリカ軍の北爆開始は1965年です。戦争を知らない世代の記者が書いたのか。それにしてもお粗末です。
                         
若くして亡くなられた4人の方々のご冥福を祈り、平和の到来を確実にしたいと思います。
*今年私たちのベトナム支援ツアーは列車の旅です。サイゴン行きの統一列車は、このフオン・ホア村の直ぐそばを通ります。

2009-07-16

良心の裁判(12)

連続11回でお伝えしてきた良心の裁判の報道ですが、法廷の総括をお伝えし、その後ニュルンベルク綱領をご紹介して、一応閉じることに致します。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
CONCLUSIONS:
結論
This Tribunal finds:

1. アメリカ合衆国政府は上記の罪を犯していて、ヴェトナムの環境への損傷を「エコサイド」と定義することができると判断する;
2. 召還と原告申し立てをされた化学剤企業は、上記にあげられた犯罪における共犯として有罪である。そして、
3. アメリカ合衆国政府とエージェント・オレンジを製造・供給した化学企業は、エージェント・オレンジの被害者とその家族に完全に補償しなければならない。アメリカ政府と化学企業は、土壌と水から、そして特に旧アメリカ軍基地周辺の重度汚染地域からダイオキシン汚染を取り除くために、環境を修復しなければならない。
枯れ葉剤が撒布された後のチュオンソン・ルート

補償と修復という上記の仕事を完遂するために、当法廷は、各被害者、家族、社会に分配する補償額を評価するためのエージェント・オレンジ委員会を設置することを勧告する。

エージェント・オレンジ委員会は、被害者とその家族に、専門医療設備とリハビリテーション、他の治療を提供するのに必要な額も決定する。

エージェント・オレンジ剤委員会は、汚染地域に関する必要な研究費用、及び将来における環境修復費用も見積もる。

アメリカ軍による民間施設への攻撃

エージェント・オレンジ委員会は、被害者を支援し、環境を修復するために費やした金額を補償するために、ヴェトナム共和国に支払われるべき総額を決定する。

当法廷は、医学、科学、技術、法律、疫学、農業、毒物学、生態学、民間行政と一般市民社会の代表で構成される卓越した人々からなるエージェント・オレンジ委員会の設立をヴェトナム社会主義共和国政府に直ちに求める。エージェント・オレンジ委員会は、その設置から1年以内に、種々の勧告をしなくてはならない。

アメリカ海兵隊1968年3月18日

エージェント・オレンジ委員会が必要な総計金額を確定した暁には、それらの金額はアメリカ合衆国政府と化学企業から、共同・独自で、現在及び将来の被害者とその家族、環境修復のために設けられる特別の信託基金に支払われなくてはならない。アメリカ合衆国政府からアメリカ復員軍人枯れ葉剤被害者に支払われている年間15億2000万ドル金額は、エージェント・オレンジの活動費用の指針として使用することができる。

この「まとめ」とともに当法廷の詳報は、4週以内にベトナム政府に提出され、発表を経て世界各国に完全に配布される。

以上が、このたび開かれた法廷の総括です。そして、これまでたびたび出てきたニュールンベルク綱領を掲載しておきましょう。

ニュルンベルク裁判
ニュールンベルク綱領  〔1947年〕

1.医学的研究においては、その被験者の自発的同意が本質的に絶対に必要である。このことは、その人が同意することができる法的能力を持っていなければならず、暴力、ペテン、欺き、脅迫、騙し、あるいはその他の表面には現れない形での強制や威圧を受けることなく、理解した上での間違いのない決断を下すのに十分な知識と包括的な理解を持って、自由に選択できる状況の下で、被験者となる人が自発的同意を与えるべきであること、を意味している。そのためには、医学的研究の対象とされている人から確定的な同意を受理する前に、研究の性質、期間、目的、実施方法や手段、被験者となったために起こり得ると考えられるすべての不自由さや危険、健康や人格に対する影響について、医学的研究の対象とされている人は、知らされる必要がある。同意の内容が妥当なものであるかどうかを確かめる責任は、実験を開始し、指導し、あるいは実施する各個人にある。これは、実施責任者が難を逃れて他の人に責任を押しつけることのできない実施責任者個人の義務であり、責任である。

2.実験は、他の研究方法や手段では得られず、かつ行き当たりばったりの無益な性質のものではなく、社会的善のための実り多い結果をもたらすべきものでなくてはならない。

3.実験は、動物実験の結果に基づき、かつ病気本来の由来を理解し、また期待される結果がその実験の遂行を正当化するような研究において、直面した他の問題についての知識をふまえた上で計画して行うべきである。

4.実験は、すべての不必要な肉体的・精神的苦痛や障害を起こさないように行われなくてはならない。
5.死亡や機能不全を生じる障害を引き起こすことがあらかじめ予想される理由がある場合には、その実験を行ってはならない。ただし、実験する医師自身も被験者となる実験の場合は、おそらく例外としてよいだろう。

6.許容されうる危険の程度は、その実験で解決されるべき問題の人道的重要さの程度を上回ってはならない。

7.被験者に傷害、機能不全や死をもたらすような僅かな可能性からですら被験者を守るべく、適切な準備をし、十分な設備を整えなければならない。

8.実験は、科学的有資格者によってのみ実施されなくてはならない。実験を指導し実施する人にとっては、すべての実験段階を通じて最高度の技術と細心の注意が必要である。

9.実験の進行中に、被験者にとって実験の続行が耐えられない程の肉体的、精神的な状態に達した場合には、随意に実験を中止して貰えなければならない。

10.自分に求められる誠実さ、優れた技術、注意深い判断に基づいて、実験の継続によって被験者に傷害、機能不全や死をもたらすだろうと推測するに足る理由がある場合には、実施責任者は実験の途中でいつでも実験を中止する心構えでなければならない。 Posted by Picasa

2009-07-15

良心の裁判(11)

今回と次回は、パリで開かれた良心の法廷のまとめをご紹介しましょう。
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EXECUTIVE SUMMARY OF THE DECISION判決のまとめ
Paris, May 18, 2009

エージェント・オレンジのベトナム人被害者を支援する国際人による良心の裁判は、1961年から1971年にかけてアメリカ軍がヴェトナムで撒いた枯れ葉剤の影響被害の証言を聞くために、2009年5月15~16日の2日間パリで開かれた。裁判への召換と原告申し立ては、アメリカ合衆国政府とオレンジ剤を製造した化学企業に送られた。通知したが、政府と企業からは回答はなかった。

裁判は、民主弁護士国際協会によって構成された。裁判の判事の出身国は世界を構成している。インドのジテンドラ・シャーマ氏、チリのフアン・グーズマン判事、アメリカのクローディア・モーコム判事、アメリカのマージョリー・コーン教授、ルーマニアのガヴィル・チウズバイアン博士、アルジェリアのアッダ・ベッカルーチ教授、そして、日本のAttorney Shoji Umeda。(註:漢字名が分からないので、そのままにしました)
裁判では、被害者と専門家を含めて27人が証拠と証言を提出した。被害者の証言は非常に人の心を動かす物であり、専門家の証言は、これらの被害者がダイオキシンに曝露されて苦しむ障害に絞り込んだ。証言も撒布の範囲、曝露された数百万の人、破壊されたジャングルや森、そして、崩壊した家庭などに及んだ。
アメリカ軍の北爆

証拠を検証した後に、裁判はアメリカ合衆国政府と化学剤製造企業はダイオキシン(人類の知られている最も危険な化学剤の1つ)がエージェント・オレンジの構成要素の1つとして存在していたという事実を認識していたと判断した。それでも、彼らは撒布を続け、事実、1965年にダイオキシンによってダイオキシンが実験動物に多くの先天性欠損症を引き起こしたということを示した調査を意図的に外部に出ないように抑えた。 それは、その研究結果が危惧する市民からすっぱ抜かれて、初めてエージェント・オレンジの使用が止められたのだ。

この裁判が検討したこと(1)

1)法廷に提出された証拠により、ヴェトナムに対してアメリカ合衆国が行った1961年から1971年までの戦争の期間に、アメリカ合衆国軍が軍事目的で木を枯らせるために大量のダイオキシンを含んだ化学剤を撒布したと確認した;

2)撒布された化学剤は、ベトナムの人々、土地、水、森林、生態系、経済に障害を起こした。法廷は、それらを分類した。

a.人間への直接損害: ダイオキシンにさらされた人々に直接もたらされる疾病には、神経障害の他に、ガン、皮膚疾患、肝障害、肺と心臓疾患、生殖能力障害などがある。

b。ダイオキシンに曝露した人たちの子弟への間接的障害:重度の身体的奇形、精神と身体の障害、種々の疾病と短命。

c。土地と森、給水とコミュニティにもたらされた損害:南部ヴェトナムのかなりの部分における森林とジャングルは荒廃して、木がなくなる裸地化現象をみせている。そして、再生不能か、再生するにしても50~200年がかかるかもしれない。森やジャングルに棲息していた動物で絶滅したものがあり、動物に依存した社会を分裂させた。一部地域の河川と地下水もまた汚染された。ダイオキシンは、長年環境に生き続けるだろう。そして、

d. 浸食と砂漠化は、必然的に環境を変え、地球温暖化と穀物と動物の生態系の崩壊に寄与することになろう。

サイゴン南部の米軍のナパーム攻撃

この裁判が検討したこと(2)
1)ヴェトナムにおける戦争は、国家解放を求めている国に対する違法な侵略戦争だった:その違法性は、紛争を平和裏に解決することを加盟国に求める国連憲章第2条(3)と、第2条(4)に基づく。ヴェトナムの南部でのエージェント・オレンジ/ダイオキシンの広範囲の撒布とヴェトナムの北部における大爆撃は、アメリカ合衆国が国際関係で力の行使を控えるという国連憲章命令に違反したことを明白に証明する。

2)ニュルンベルク綱領は、侵略戦争を、国際法のもとで罰すべき平和に対する犯罪行為と定義している;

3)ダイオキシンの使用は戦争犯罪である。その理由は、ダイオキシンは、国際慣習法と、1907年のハーグ協定[ハーグ協定第23条(a)項]でともに違法とされる毒物兵器だからである。戦争の法規慣例違反は、ニュルンベルク綱領VI(b)の下では戦争犯罪と考えられる。化学企業は、ダイオキシン入りの化学剤がどのようにヴェトナムで使われるかを知っていた;それでも、彼らはアメリカ政府にこれらのエージェントをダイオキシンの非常に高いレベルを製造して、供給し続けた。有毒兵器を提供することにより、会社は米国政府が犯した戦争犯罪の共犯となった。

枯れ葉剤撒布

4)ダイオキシンの使用が、人道に反する罪であったニュルンベルク綱領のVI cによって定義されるように、それが平和と戦争犯罪に対する犯罪と関連して民間集団に対してされる非人間的な行為を構成した;

5)違法な戦争の違法な武器の使用が上述の荒廃を引き起こしたために、これらの犯罪は、少なくとも300万~400万人と彼らの家族に痛み、苦しみと苦悶をもたらした。これらの犯罪の影響は、今後数世代にわたって被るであろう。そして

アメリカ兵捕虜を手当てする北ベトナム女性
6)エージェント・オレンジの被害者とその家族に対して十分な治療を提供して、ヴェトナムの環境をできる限り修復する時期がきたと判断した。(つづく)Posted by Picasa

2009-07-14

良心の裁判(10)

今回は、5月22日に出された良心の裁判のプレス・リリースをご紹介し、良心の裁判の判決内容を見てみたいと思います。
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Press Advisory: May 22, 2009
良心の法廷は、アメリカ政府とアメリカ化学企業に対して判決を下す。アメリカの旧軍人とベトナムのエージェント・オレンジ被害者の証言を聞く。
For information, please contact:Jearnne Mirer, Esq., Secretary General, International Association of Democratic Lawyers(313) 515-2046 — Email:
jeanne@eisnerassociates.com

2009年5月18日、パリの国際法廷は、ベトナム戦争中にヴェトナムの人々と領土にダイオキシン濃度の高い化学剤を撒布した行為に対して、アメリカ政府とエージェント・オレンジの製造企業に責任があると有罪判決をした。裁判官は、「ダイオキシンの使用は、国際慣習法と1907年のハーグ協定によって非合法化された毒物兵器であるから戦争犯罪であること」、そして「ニュールンベルク綱領」第6条Cによって規定されているようにダイオキシンの使用が人道に反する罪である」と判決した。

エージェント・オレンジの使用は国際法の下では違法であり、かつその使用は“少なくとも300万~400万人とその家族に、相当の痛み、苦悩、と苦悶を生じさせた”故に、“これらの犯罪の影響は、その後の世代もこうむるであろうこと”、エージェント・オレンジのベトナム人被害者とその家族に適切な治療を提供し、ヴェトナムの環境をできる限り多く修復する時が来たと、法廷は断ずる。

判事団は、アメリカ政府とエージェント・オレンジの製造企業に対して、犠牲者と彼らの家族への完全なる補償と、高濃度のダイオキシンが残留しているヴェトナムの「重度汚染地域」とその周辺の環境汚染の浄化をすることを命じた。

元アメリカ軍兵士フランク・コーコラン氏が証言した。彼はベトナムで従軍し、その後癌が発症したが、復員軍人庁からエージェント・オレンジ関連の疾病と認定された。コーコラン氏は、「自分は癌により100%の障害を受けたが、米国は、ベトナムの人々に同じ正義を認めていない」と証言した。

ベトナム従軍兵だった夫ジョンを1年前に失ったレナ・コピステンスキさんが証言した。彼女の息子と孫は、エージェント・オレンジの暴露を受けた父親ジョンの影響を受けている。レナ・コピステンスキさんは、「エージェント・オレンジの影響を受けたベトナムの子ども達の写真を見ると、化学企業が人の体をだめにし、破壊したのはアメリカの人口の一部だが、化学企業はヴェトナム共和国の全人口と将来の人口までを荒廃させてしまった」と述べ、結論として、「私の夫の死亡とともに、ベトナム戦争を体験したまま残された人々のために、誠意ある回答、治療と補償を勝ち取るための新たな献身の時がやってきた」と。

国際判事団は、IADL会長で、インド最高裁判所弁護士であるジテンドラ・シャーマ氏、ミシガン州の裁判官クローディア・マルコム氏、アウグスト・ピノチェトを裁いたチリの裁判官フアン・グーズマン氏らで構成された。判事団は、5月15~16日には、ベトナム、アメリカと韓国の被害者や、著名な科学者からエージェント・オレンジの個人個人の影響についての証言を聞いた。(つづく)Posted by Picasa

2009-07-13

良心の裁判(9)

今回は、良心の裁判が出した文書をご紹介しましょう。

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ベトナムのエージェント・オレンジの被害者を支援する国際人による良心の裁判

ベトナム国民と全世界の良心の人々



ダウ・ケミカル社、モンサント化学社、ファーマシア社など合計32社

SUMMONS AND COMPLAINT
出頭命令と原告申し立て

アメリカ合衆国がヴェトナムに対して行った戦争は、30年以上前に終結した。1961年から1971年まで展開された化学戦争は、高レベルのダイオキシンを含んでいた(このことは上記の企業は知っていた)エージェント・オレンジを使ってアメリカ合衆国によって実行された。そして、ベトナムの人々の健康と、ヴェトナムの生態環境に大きな、長期的でマイナスの被害を引き起こした。

しかしながら、上記にあげた会社は、そのような化学剤を米国政府に提供した責任を逃れ続け、これらの影響を引き起こしたことに対する如何なる役割を認めることも拒否し、自ら進んで彼らの行動の結果の改善をする意向を示すことも拒否してきた。

世論と世界の良心の名において、国際民主弁護士協会(IADL)の主導で、ベトナム人のエージェント・オレンジ被害者を支持する国際人よる良心の裁判は、以下の問題を討議し結論をまとめる:

1. ヴェトナムの環境と生態系に与えた結果、及び、ベトナム人の健康に与えた結果を示す数々の事実は、1961年から1971年までアメリカ合衆国軍隊によってエージェント・オレンジを使用したことによって引き起こされた。

2. 国際法とそれぞれの国の法律のもとでの行為に対する上記の企業の道徳的、法的責任。

3. 上記企業がヴェトナムにおいてそれらの製品の使用の結果を改善すべき役割。

この裁判は、5月15~16日に、フランス国パリ市で開催される。

参加者は、上記の主張に対する回答を声明の形で、コピー10部を添えて、2009年4月30日までに、下記住所の裁判所事務局 ジャン・ムーテ宛に提出のこと。フランス国、パリ市、リヴォリ通り120番地 郵便番号75001。

声明と共に、裁判への参加者は所属する貴組織の承認書のコピーをとともに参加弁護士名も併せて提出のこと。

貴殿の声明を不提出の場合、及び/あるいは認められた代表が裁判に出席しない場合は、通知なしの一方的な手続きも取りあげることはできないことにご留意ください。

裁判所のために、そして、裁判所に代わって

上級弁護士、ジテンドラ・シャーマ、
同裁判会長

2009-07-11

ホーチミン・ルートの話し

今回は、良心の裁判のストーリーを一時中断して、ホーチミン・ルートの話をお届けします。
5月19日付けのVOVニュースをご紹介します。
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ホーチミン・ルート
世界の戦争史家は、繰り返しホーチミン・ルートに言及してきた。それは、一方では、侵略者に対する国家解放戦争の不滅の象徴である。しかし、他方では、多くの不思議な謎の質問に未回答のままであるので、戦争史家が敗北の当惑だけを扱っているわけにはいかないのである。
1971年2月15日に、アメリカ軍の機関誌で発表された記事の中で、ジョージ・ワイス記者は、ホーチミン・ルートについてこう書いている。
”ホーチミント・レイルの初期は、人が作ったり、獣が作った種々の道に過ぎなかった。それが後になってトラックまで通れる道になったのだ”、と。

さらに、”もっと恐ろしいことに、それは輸送路だけではなく、何百という方向にくまなく走る曲がりくねった道路網を構成していたことだ。この道路網は、ベトナム共産主義者によって、戦場の迷路ヘと仕上げられた。彼らは、この種の作戦を展開するのが得意だったのだ。”

アメリカの高級将校も、旧南ベトナム軍も、ベトナム軍がチュオンソン山脈の中に、妨げられることなく輸送のネットワークの構築を始めたことに、無能力を晒し始めた。彼らは自分たちが利用可能なあらゆる手段を用いたり、北の食糧、弾薬という重要物資を絶つために北からの重要な補給ルートを絶とうとして、ルートの破壊を試みた。

しかし、彼らの努力の全ては、時間の浪費だった。なぜなら、何百万トンという爆弾、砲弾や有毒化学物質を投下・撒布させ、さらに特殊部隊や破壊活動部隊が多くの襲撃したにもかかわらず、南部戦場におけるアメリカ軍、及び旧南ベトナム政府軍の周辺の拠点を締め上げながら、ホーチミン・ルートは機能し続けた。

1959年5月19日のホーチミン主席の誕生日に、南部戦場に戦闘能力をもった軍隊を増強できるように、党中央委員会と政治局は、チュオンソン山脈の中に、北から南へ走る特別ルートを建設するという大胆な決定をした。

「ホーチミン・トレイル」あるいは「ホーチミン・ルート」と名付けられた軍事輸送ルートに沿っての戦いの凄さは、人々の話し、記憶、日記、そして南北双方の文書にも記録されている。それはまた、従軍記者が撮影した無数の写真にも現れている。

1959年~1972年の間に、アメリカの空軍機が7,526,700の高性能爆弾と対人地雷を投下したこと。B52爆撃機の爆撃出動回数は20,000回に達したこと。ホーチミン・ルート上に、たくさんの飛行機が有毒化学物質を撒布したこと、が戦終報じられた。これらの行動により、マスコミをして、ホーチミン・ルートをベトナム戦争中最も恐怖の「最前線」と呼ばしめた。

爆撃の強烈さについて、チュオンソン部隊の司令官だったドン・シー・グエン中将は、「アメリカ空軍は、山を切り開き、南へのルートを開くために、私たちにたくさんの爆弾をくれましてね」と、冗談交じりに話した。

1959年から1975年までの16年にわたって、兵士、青年奉仕隊、徴用された労働者などほぼ2万人が、1975年の北ベトナム勝利に繋がったチュオンソンの道路に命を捧げた。

ドン・シー・グエン中将の人生もまた、この歴史的なホーチミン・ルートに深く関わっているのだが、同中将は、こう話した。「依然としてアメリカ軍は、ホーチミン・トレイルという言葉に取り憑かれたままだ。なぜなら、この小道が彼らにベトナム戦場での敗北を受け入れさせるのに役だったからだ」と。

「ベトナム戦争が1975年に終わって、30年以上が過ぎた。しかし、ホーチミン・ルートについて真実と物語は、人々の記憶に絶えず留められ、議論されるだろう。しかし、このルートが誰もコースがほぼ6,000昼夜連続の爆撃に耐えたという事実は誰も否定できない」と。

昨今、ホーチミン・ルートは大きな変化を遂げている。ホーチミン・ルートには、国家の建設と発展、工業化と近代化に貢献する新しいイメージと新しい歴史的任務があるからだ。
1959年年から1975年までの16年にわたって、ホーチミン・ルートを守護するために、防衛隊はアメリカ空軍による111,135回の空襲に反撃し、敵機2,455機を撃墜して、1,260以上の地上攻撃に反撃を加えた。防衛隊も、134万9000トン以上の物資と武器、550万m³の石油をパイプラインで送り、361万1000人以上の兵士を南部へ輸送し、このベトナム戦争に参加した。ホーチミン・ルート上で戦死した兵士及び奉仕隊はおよそ1万9800人。負傷者は4万人。1万4500台の車両、700丁の銃と9万トン以上の物資が破壊されたのである。
【参考資料】因みに、戦争中、ホーチミン・ルートの全長は、2万330キロに達した。これには、南北縦貫の5本の幹線が総延長6,810km。それに東西をつなぐ21の道路網の総延長は4,980km。多の道路が3,000km。通信線が15,300km。敵の要衝を避けるためのバイパスが4,700kmが含まれている。森木によって隠された道路は3,140kmに及ぶ。500kmの河川ルートは守り通した。また、3,000kmに及ぶパイプラインも作成され、石油とディーゼル燃料を送った。(訳:北村)Posted by Picasa

2009-07-10

良心の裁判(8)

今回は、5月28日付のVOVニュースの報道を、ご紹介します。
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ベトナムのAO犠牲者 正義の追求を続ける
5月18日に出された国際人による良心の裁判による判決は、正義を求めるベトナム人枯れ葉剤被害者の闘争に新たな転換点を作りだした。

ベトナム枯れ葉剤被害者全国組織(VAVA)のグエン・ヴァン・リン会長(中将)は、5月27日にハノイで記者会見でそう述べた。

さらに、リン会長は述べた。

「判決が通常の法廷での判決のように法的拘束力はないが、その判決は、有毒な化学物質が人間とヴェトナムの環境に引き起こした深刻な荒廃を、国際社会によりよく理解してもらうのに役立つ。判決はまた、アメリカ政府と化学会社が、依然としてダイオキシンの重い影響を受けている地域の洗浄だけでなく、枯れ葉剤被害者とその家族への補償の全責任がある」と、述べている」。

法廷の結論は世界中の多くの国や組織から拍手と支持を受けた。この中には、そして、の駐ヴェトナム・ベネズエラのホッジ・R・ウスカテグイ大使が5月26日にVAVAに送った書簡も含まれている。

同大使は手紙の中で、「致死的な化学物質であるダイオキシンの使用でベトナムの人々にもたらされた戦争の傷が、癒えることは決してないだろう。法廷の判決は、アメリカ法廷が行った最近の決定に対する世界非難の生きた証拠として歴史に留めるだろう」と、主張している。

正義を求める被害者闘争を継続するために、VAVAはヨーロッパ、アメリカ、アジアでの情報活動を推進し、国際社会からより多くの支持を得る計画をする予定だと、リン会長は記者会見で話した。

もう一つの動きは、化学剤が環境と人間の健康に引き起こした結果と取り組むためにアメリカ政府が行った努力だけでなくて、アメリカ議会は、枯れ葉剤被害者へのアメリカ政府の援助を明確にするために、6月4日にヴェトナムで枯れ葉剤に関する聴問会を行う予定にしている。

枯れ葉剤被害者ベトナム全国組織(VAVA)が発表した統計は、およそ480万人のベトナムの人々がAO/ダイオキシンに曝露したか、もしくはまだ曝露しており、そのうちの、300万が有毒化学物質の直接被害者として確認されていることを示している。(つづく)Posted by Picasa