この景色を見たとたんに、浮かんできたのは、松尾芭蕉の『奥の細道』の序文でした。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、・・・・・・・
自分でも何でか分かりません。なぜ、ここで奥の細道なのか?多分、『舟の上に生涯を・・・』の一節が、頭をよぎったのでしょうか。あるいは、「片雲の風にさそわれて・・」の一節でしょうか。舟の上に生涯を浮かべているわけでもないし、旅をすみかとしてわけでもありません。
この序文は、御年46歳。元禄2年3月27日~9月6日の作です。静寂の中で、自然の風に吹かれて、頭の中を掃除するのはうれしいことだ。命を切って支援をしていると、一切の喧噪から離れることが出来るのも、また支援の旅の冥利に尽きるといえます。
私は、名古先生と一緒の小舟に乗りました。 船上対談を続けました。一つだけご紹介しておきます。
富裕者による寄付行為の話になりました。豪州でもそうですが、富を積んだ者が社会に還元する行為です。この額が低いと、非難が飛んできます。名古先生は、「つまるところ、そういう行為より、福祉社会がしっかりと成立することが大事ではないかと思います」と仰いました。
なるほど、その通りです。
それでも、且つ、私には、こういう思いがあります。
仮に福祉体制がしっかりした社会が出来ても、弱者に対する痛みを分かち合おうとする気持ちを、社会の構成員がもつことが大事だと思います。福祉体制を充実させるのは政治で、苦しむ人を助けようとする気持ちをもつことは社会を構成する人として永久に大事だと考えます。
対談というのは、単なる意見交換ではありません。また自己宣伝でもありません。魂のふれ合いであり、別の社会を生きて来られた方から学ぶチャンスです。
名古先生は、真剣に支援を考えていらっしゃいました。あるべき支援の姿を模索する私は、これからも対談を続けたい方だと思いました。すばらしいお医者さんです。
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