2008-09-11

北村修治さん 孫への手紙(1)

8月21日の成田出発から8月30日の成田帰着まで、延べ10日間にわたった愛のベトナムさわやか支援隊2008年ツアーは、参加14名は精力的に、溌剌と奉仕活動に精魂込めて動き、無事終了しました。
私自身は、一層内容が充実して、手応えのある過去最大の厚みのある支援と確信しました。支援隊員の日頃の努力も実って、寄付金の額も増えて、多岐に渡る支援の態勢もできつつあります。ベトナムでは、大勢の方々の暖かいお心に感謝しながらの毎日でした。ここに厚く御礼を申し上げます。
しかし、ツアー中色々なことがありすぎ、自分の中でもまだ消化できていません。ブログの原稿を書くのが、実は今は億劫です。誰かが書いてくれるのでは・・・と淡い期待をしているのですが・・・・億劫の最大の理由は・・・これが言えればすっきりするのですが。
今年も、私はベトナムに浸りきったツアーでした。なぜ、行くのか・・・。

俺に是非を説くな 激しき雪が好き
これは、朝日新聞東京本社で自決(1993年)した右翼・野村秋介の句です。私は、右翼でも左翼でもありません。しかし、待っている人がいるなら、理由はいらない、行って支援する・・・そんな気持ちです。
コツコツと「幸福の鍛冶屋」に徹するしかないんです。支援の近道はありません。コツコツと被害者のもとを訪れ、連帯し、激励して行く以外に、支援の姿はないんです。物をさしあげて、おいてきただけでは相手の笑顔に結びつけられないのです。
「お前たちはまだこれから地上の仕事をしなければならない! まだたくさん戦い抜かねばならない。戦わないではいられないーー戦わないでは、そして愛さないでは生きられない」(片山敏彦訳 みすず書房)    ドイツの女性作家マルビーダ・フォン・マイゼンブークの呼びかけが心に潤いを与えてくれます。
アフガンで命を落とされた伊藤和也さん(31)=掛川市出身=の葬儀が現地、アフガン東部ジャララバード近郊で行われた。ペシャワール会現地代表で医師の中村哲さん(61)は弔辞の中で、伊藤さんや過去の戦争で死んだ人びとへの鎮魂のためにも「変わらずに皆さんと苦楽を共にしたい」とあらためて用水路工事などの事業継続を誓った。 伊藤さんの死について中村さんは「アフガンをむしばむ暴力に殺された」と述べたうえで、「戦争と暴力主義は無知と臆病(おくびょう)から生まれる。解決にはならない」と訴えたのです。
今月17日発行の英科学誌「カレント・バイオロジー」に、天敵のスズメバチに襲われたミツバチは、スクラムを組んで相手を窒息状態に追い込み反撃する--このような研究報告が掲載されているそうです。
スズメバチが蜜を横取りするためにミツバチの巣に入り込むと、ミツバチはスクラムを組んでスズメバチの腹部の周りに輪を作り、呼吸できないよう強く締め付け窒息死させるそうです。大きな敵に団結して立ち向かうミツバチ。われわれも、団結しなくてはいけません。
多くのベトナム人被害者が許しを与えているにもかかわらず、アメリカ政府は、その許しさえも受けない。負けたアメリカは、被害者を苦しませたままである。これもまた、組織暴力と言えると思うのです。
そして、タイビン省では、われわれは枯れ葉剤被害者協会事務所に呼ばれ、お怒りの言葉を頂戴しました。このことは、いつか、きちんと御報告したいと思っています。
初めての参加者には、そういう場面もきちんとみて頂いたので、よかったと思っています。支援がどうあるべきか、現地の役人が潤うことが必要なのか・・・一人の役人の懐が潤うってどんなことなのか・・・これは、大事な問題です。示唆に富んだ会談を提供してくれタイビン省枯れ葉剤被害者協会(VAVA)には大感謝です。
しかしそういう経験をへて、支援旅を終えて、なおかつ、ブログに書きつらねるには重い事情が今回はあって、書くことになおも逡巡しています。
そこで、愛のベトナムさわやか支援隊の支援報告は、今回初参加の北村修治さん(静岡市清水区在住)が、お孫さんに宛てたお手紙の使用許可を頂き、中に登場する実名を仮名にして、まずはブログをスタートしたいと思います。(北村 元記)
孫への手紙(1)
ベトナム・ハノイのホテルから  北村修治 2008・8・23

『ブッシュさん テロより怖い枯れ葉剤』
ベトナムに着いた日は、大東亜(太平洋)戦争ベトナム戦争の被害者ともいえる二人の老婦人の家を尋ねました。これはまた後日お伝えします。

昨日は、友好村といって、ベトナム戦争の枯れ葉剤に被害者の施設2箇所を訪問しました。
ベトナム戦争は30年前のことなのに、まだ孫の第三世代に異常なこが生まれたりしています。その子等と手を握り会ってきました。自然と我が孫と思いました。
誰もが祝福されて生まれてきたのに、その幸せになる道を、最初から閉ざされている。私は鈍感なので、現場に立たないと、そのことが自分の中に入ってこないのです。いま、否応もなくこのアメリカのやった人類最初の非道な暴挙に怒りがこみ上げてきます。
バクザン省こども障害村で

最初の私の意地悪川柳・・今こうして手紙を書き始めると、こんな安易なものでは、この子たちの苦しみは伝えられないと思うのです。

ヒロシマ、ナガサキの放射能、そして水俣病有機水銀第三世代にまでその被害が続いているのでしょうか? そんなことを考えています。

別添えの手紙に刷り込んだ写真に導かれて、ベトナムに来ました。私のささやかな支援金は形を変え、車椅子になったり、補聴器になったり、昨日は3人の奨学金の一部になったり、この子等の人生からすれば、束の間の安らぎかもしれませんが、確実に届いだのではと、そんな自己満足をちょっぴり味わいました。

名古医師(バクザン省子ども障害村)と海外青年協力隊の新井隊員(理学療法士=
右端) 内輪の人は大釜副会長

どうして、補聴器と思われるかも知れません。枯れ葉剤のダイオキシンによって耳が聞こえなくなってくる。先天性ではないので、補聴器で少しは救われるわけです。

10人~15人の子どもに実際つけてもらいました。聞こえた瞬間の彼、彼女らの表情、その豊かさは文字では表現できません。帰ったら写真通信でも考えていますが、どうなることやら。

この三島のグループの中には目医者さんがいて、目の検査をしたり、音楽療法士さんがヒョッコリひょうたん島等の音楽に合わせ手体を動かす。

それまでうつむき加減だった子の表情がだんだん変わっていく・・・自然の美しさとはまた別の人の心が生み出す。これは心の美しさだと思いました。

北村修治さん(友好村で)
今8月23日3時30分。昨日も今日も、1:45分に目が覚めました。8月に入ってずっと・・なのです。何か疲れが残っている、そんな毎日ですが、暑さのせいでしょうか。それでは、今日はここまで。お元気で。(つづく)Posted by Picasa

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