2008-09-12

北村修治さん 孫への手紙(2-1)

2008年8月28日 ベトナム・ハノイのホテルにて  北村 修治

瑞江さん 美咲さん
勇人くん 春実ちゃん

最初にこの国に来たのは2003年の2月、5年前でした。あの時は戦争博物館枯れ葉剤ダイオキシンのため奇形になった人のホルマリン漬の姿をみたり、200キロも掘った言われるクチ・トンネルにもぐったりしました。
今度の旅は、15年も前から枯れ葉剤の支援をしている三島市の人たちが開いた写真展の『3人分の手足がついて生まれた赤ちゃんにお乳をふくませている母子』の写真がきっかけです。悪魔だって、こんなひどいことはしなだろうと思いました。

知識は、本や新聞、ラジオ、テレビから得られますが、おじいさんは若い時から実際に現場に行かないと、自分の体に実感として入ってこない・・そんな人間でした。
今度のベトナム訪問は、実際に枯れ葉剤の被害に苦しみ貧困のどん底に突き落とされている家庭を何軒も訪ねました。鈍感な私も目が開きました。
ハノイ友好村(8月22日)
8月22日は、ベトナム友好村。枯れ葉剤の被害を受けた元兵士や障害をもって生まれてきた子どもが暮らしています。その子どもたちとほっぺをくっつけたり抱き合ったり、見つめ合ったり。どうしてこの子たちがこんな目にあわなければならないのか、おじいさんの体の中に怒りが湧き上がり、膨らんでいきます。

その時思いました。毎週1回焼いているマドレーヌをこの子たちと一緒に作ったら、誰にも失敗なく作れるお菓子だから、みなニコニコ「おいしい」と言う声が挙がるにちがいない、と。
写真を撮っている人が北村修治さん

足尾の鉱毒と闘った田中正造は、強制破壊される谷中村に移り住んだ。読み聞きの知識から、人と人が向き合う、そして共に行動する正造のようには誰もなれないでしょうが、人間同士が向き合うために出かけていく。簡単に、速く、楽に、では、大事なことは何も分からない、伝えられない、そのことを皆さんに、これはベトナムの子どもたちの『無言の伝言』として伝えたいのです。

被害家族を訪ねる旅の案内人は、北村元(はじめ)さん。シドニーに住んでいるジャーナリストです。この人を支えているのは、正義ではないかと思いました。正義があるからが湧く、怒りが行動に結びつく。人が行動を起こすもう一つの源は『感動』です。この関係がないと、身銭を切って・・というようにはならないと思うのです。

身銭をというのは、可哀想だから、という同情で小銭をあげるのではなく、自分の大切なものを差し出す・・・体の一部を切り取って、という意味のことではないでしょうか。
横道にそれました。ごめんなさい。
田中正造の生家
その家は夫婦と子どもが4人。2人が失明、1人は少し見えない、夫も障害者。どうして暮らしているのでしょう。お米を作っていても、一家で食べるほどから、1日2回、おかずだってほんとに質素だと思うのです。病気になっても医者にいけない。綺麗な水もない。「井戸がほしい」と言いました。

話しているうちに、お母さんは泣き出しました。向き合っている私たちの何人か目頭を押さえていました。

文字にするとこんな場面なのですが、皆さん、想像できますか? あなたたちもベトナムに来て、この家族と向き合ってほしいと思いました。(つづく)
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