東京・町田市の小林 健人さま 登和子さま ご夫妻から寄付金が送られてきました。
大変にありがとうございました。奨学金に使わせていただきます。節電でむさくるしい中、ベトナムの生徒学生に想いを寄せて下さり、ありがとうございます。
厚く厚くお礼を申し上げます。
Dak To ストーリー(2)
Nguyen Van Tuyen (85歳)さん
「当時私は、食糧、武器などを調達して軍に運ぶ輸送の担当でしたが、軍の中の行政機関にあたる軍人民委員会副委員長でした。
最初撒かれた時は、さきほども言いましたように、何が何だかわからなかったので、市民が見に行きました。軍も調べました。タンクの中に武器が入っているのか、爆弾が入っているのではないか、いろいろと情報を集めて、やはり最終的には薬品だということになりました」トゥエンさんの話は短いものですが、1961年8月10日の撒布を直接目撃した証言として貴重です。いままでどこの文献にもなかったものです。市民の心理として、大変よくわかる気がします。しかし、その液体に触れたりしたら、危険なことでした。トゥエンさんも触れたのかも知れません。
トゥエンさんは、心臓病を患っています。他には、「この3年、全身に痒みがでてきました。病院に行きましたが、治せないと言われました」と言っています。
被害者としての認定はまだで、申請中ということでした。85歳になられても、申請中はしんどいものがあります。
「私は、1961年8月10日当時は、まだ軍隊に入っていません。私が軍に入ったのは1965年です。最初は、北部にいました。
こちらに来たのは、戦争が終わった1975年4月30日のサイゴン陥落後です。その前は、クアンチにいました。しかし、クアンチでも17度線以北にいたので、枯れ葉剤は浴びていません」
「ダクトは1972年に解放されました。1975年にこちらにきましたので、人々は普通の生活に戻っていました。我々は軍に入っていましたが、軍から一般の行政機関に移って(註:南ベトナム政府が潰れたので、一時的に軍が代行したことを話しています)、この街づくりに力を尽くしました。
この辺は森林がいっぱいあった所ですが、大きな木でも葉が全部落ちました。いまでも、そのままになって、根っこのまま残っている木もあります」
「1975年にきましたが、ゴックリン山系からゴックトゥーという所まで、木は枯れて、何も生えていませんでした。その後、草が生えてきましたが、乾期が来ると自然に燃えてしまって・・また生えてきて、また自然に燃えてしまう・・・その繰り返しでした。そして現在、緑は再生されましたが、ベトナム政府がカネを出して、いろいろな木が植樹されたからです。だから、緑が戻りました」
「ベトナム政府 保健省の規定があって、枯れ葉剤被害適用の17の疾病該当しないと認定されません。それで、ここでは、今のところ39人しか認定患者になっていないのです。後30人の追加認定を求めて、申請中です。800人の被害者という数を考えれば、まだまだ認定患者は少ないです」と、被害者の声を代弁していました。
もう一人、ア・リ・キウさんという52歳の方が見えていました。この方は、1959年生まれでした。
「1961年8月10日当日は、ダクトにいましたが、その時は、1~2歳でしたので、何も知りません。自分が枯れ葉剤撒布をみた記憶があるのは、1968年1969年頃です。白かったのを覚えています。山脈の上空を飛んで、撒いているのを見ました。自分の村には被害者がいますが、幸いに私の家族には被害者は出ていません」
最後にダクト市枯れ葉剤被害者協会のロン会長から丁寧なお言葉を頂戴しました。
「遠方からいらしてくださってとても感謝しています。われわれ軍人にとって、日々危険な状況に置かれたので、撒かれたものが何だったのか、枯れ葉剤とわかってもどういう物だったのか、全然気にしませんでした。
すぐ死んでいくということがなかったので、関心がまったくありませんでした。その後、今日まで被害が残っているので、メデイアも取り上げてくれるのですが、当時は、殆ど枯れ葉剤について話すことはありませんでした。
皆様ご関心の8月10日はどうだったのかということですが、コントゥムにとって8月10日だけでなく、毎日そして、何回も撒かれたのです。枯れ葉剤が入っていたタンクも、かつてはたくさんありました。
メディアの皆さんにお願いしたいのは、世界中の人々に、ベトナムで枯れ葉剤が撒かれたということを伝えてほしいです。
皆さんが無事にご帰国されることを祈っています。ありがとうございました」
私からも、ご挨拶させてもらいました。
「被害の状況を多くの人に知らせ、少しでも多くの被害者が心やすまる状態になれるように微力ながら努力してきましたが、その戦いはまだまだ続けなくてはならないと思います。また、皆さんにお会いする機会を作って、支援運動の意識を高めていきたいと念じております。
今日は貴重な時間をありがとうございました」
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被害者は南部一帯はおろか、全国に広がっており、枯れ葉剤が人の生命、遺伝子を傷つけた他、未だ十分に緑の再生を許さない所があることをみれば、この戦争の負の遺産は、あまりにも大きすぎると想うのです。北村 元 愛のベトナム支援隊
Love & Support Vietnam Since 1990
Nguyen Thanh Long(64歳)さん=Dak To市被害者協会会長
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