2011-07-03

枯れ葉剤散布50周年 キューバ紙の記事

ベトナム戦争時代から、ベトナムに支援を続けるなど社会主義の同志として友好関係を保ってきたキューバ。キューバ国営新聞が6月24日、枯れ葉剤の記事を掲載したので、ご紹介しよう。
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ベトナムを訪問したカストロ議長(当時)1995年 筆者写す
 6月24日付けのキューバの国営日刊紙グランマ・インターナショナルは、正義を求めるベトナムの枯れ葉剤被害者の闘争を、写真入りの記事で報じた。(掲載の写真は入手できていません)

1961年から1971年までの10年間、アメリカ陸軍がおよそ8000万リットルの枯れ葉剤(大部分はダイオキシンを含むエージェント・オレンジ)にベトナム南部の森林地帯と農地に散布した。
カストロ議長(当時)を迎えるベトナムの女子学生ら(筆者撮影)
ほぼ500万のベトナム人がその化学物質に曝露した。そして、奇形をもって生きている何十万人という第二。第三世代子供たちを含めて300万人が枯れ葉剤の被害者になった。
ベトナム枯れ葉剤被害者協会は、国際社会に正義を求めるベトナムの枯れ葉剤被害者の闘争を支持してくれるように呼びかけている。
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以上のように報じている。ベトナムからみれば、地球の裏側に等しいキューバが貧しい中、ベトナム戦争中に、社会主義国の同志とはいえ、支援物資をベトナムに送るのは大変だったと察せられる。なぜなら・・

1961年、キューバは社会主義革命を宣言、ソ連へ接近、アメリカと国交断絶したのだ。そして、キューバ危機。アメリカが枯れ葉剤を初めてベトナムに撒いてから半年後の1962年2月だからだ。

NHK出版社から引用して、載せておこう。

「あなたが本当に平和と貴国の人々の福利に関心がおありなら、私は同様にソ連邦首相として、我が国の人々の福利に関心があります。さらに、普遍的な平和の維持は両国の共通の関心事であるはずです。もし戦争が現代の状況下で勃発したら、それは単に両国間の戦争ではなく、悲惨で破壊的な世界規模の戦争となるからです。(中略)

私は提案します。我が国は、キューバに向かう我が国の船舶がいかなる軍備もしていないことを宣言するつもりです。あなたは合衆国がその軍隊でキューバを侵略する意図はなく、キューバを侵略しようとする他のいかなる努力をも支援するつもりがないことを宣言して下さい。そうすれば、キューバ内に我が国の軍事専門家が存在する必要はなくなるのです。」(ケネディ宛フルシチョフ電文 1962年10月26日)

「平和を脅かす戦いをできる限り迅速に無くすため、平和を望む人々に確信を与えるため、またソ連国民と同様に平和を望んでいると私が確信しているアメリカ国民を安心させるため、ソ連政府はキューバにおける武器基地建設工事の中止命令を出した。さらに、貴殿が攻撃的だと考える武器を撤去し、木枠に詰め、ソ連に持ち帰るようにとも命令した。」(モスクワ放送でのケネディ宛フルシチョフのメッセージ 同年10月28日)

(NHK取材班 『十月の悪夢 キューバ危機 戦慄の記録』 NHK出版 1992年 p163-203 より引用)
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