文部科学省は5月27日、宮城県気仙沼市沖から千葉県銚子市沖まで南北約300キロにわたる海底の土から、最高で通常の数百倍に当たる濃度の放射性物質を検出したと発表しました。文科省は「海底も汚染されている。海水や餌を通じて海洋生物に蓄積し、海産物に影響が及ぶ恐れがある」 としています。東京電力福島第1原発から海に流出した汚染水に含まれた放射性物質が、広範囲に拡散していることが裏付けられた。 東電は、こういうことを知っていたはずですね。あるいは、少なくともこうなるであろうことは。そして、原子力安全保安院も、原子力安全委員会も、こうなることの予知能力があったはずですね。
このこと一つとっても、人間と環境は不二であることの恐ろしさを十分学べますね。まして、1961年に猛毒の枯れ葉剤がアメリカ軍によって撒かれた旧南ベトナムでの枯れ葉剤被害は容易に想像できると思います。動物と環境も不二、人間と動物も一体不二です。
ベトナムは昔から、人と自然との調和を尊重することでは有名な国でした。1961年に枯れ葉剤をアメリカ軍が撒き始めて、旧南ベトナムの環境が破壊されていきました。ベトナム人がいかに自然の環境の中で暮らしていたかを示す一端をお話ししましょう。
かつて動物王国だったベトナムには、日常の会話の中に人びとの智慧が込められたものがあります。動物への深い洞察は、人間の特徴を表すための表現として使われます。それは人の姿を現すものから、人の個人的特徴まで種々です。動物への類似点は、言語を創造的かつ想像性に満ちて使用します。それがまた、ベトナム語表現を豊かなものにしていると言えます。
人の顔の特徴を表す表現としては、フェニックスの目や蚕の眉毛を持った人という表現があったり、うなぎのように小さな目を持つとか、カエルのような眼(まなこ)、ゆで豚のように大きくて白い目・・とか、ライオンのように大きな鼻とか言う表現をすます。
さらには、オスの木登り魚のように痩せているとか、豚のように太っている(これは日本でも使われた時代がありましたね)とか、コウノトリのように長い首という言い回しもあります。
しかし、人体の特徴的表現よりもっと面白いのは、生物と個性の類似性でしょうか。
リスのようにすばしこい・・・亀のようにのろい・・水牛のように強い・・・カタツムリのように弱い・・・おんどりのような筆跡・・井戸の底に座ったカエルのように偏狭な・・・などという表現があります。歴史がどこかで繋がっているので、少しは、日本人にも想像はできますね。こういう無数の表現が、ベトナム語に散りばめられ、日常の会話を構成されています。
また、生物の一定の行動が、天気の変化を告げる兆しとして表現されています。例えば・・
①カラスが水浴びすると、晴れになる。カバイロハッカ(椋どりの類)が水浴びすると、雨になる。カエルが泣くと、池の水がいっぱいになる。
②トンボが低く飛ぶと雨になる。トンボが高く飛ぶと、晴れの日になる。トンボが普通の高さで飛ぶと、曇になる・・。
ベトナムのような米生産国では、天候は何はさておき重要な要素です。農家の人は、動物の動きによってどの穀物を先に収穫するかを決めてきました。
『蛍が現れて木綿の花が咲く時は、ごまの収穫期だ』という具合です。
人々は、例えばどの動物を買うかといったように大きな決断を迫られた時、そのような言い伝えを参考にしてきました。良い水牛とは、コウノトリのように長い首をもったものが良い・・とされてきました。
調理の表現もあります。すべての動物に特定の方法があるようです。
●にわとりをカリカリにするには、レモンの葉で。●豚料理には玉ねぎが必要である。一方、犬料理には、カヤツリグサ(着香料として、刺身のツマなどに用いられている)が必要だ・・・などです。
上の写真は、ハノイから東へ約30kmのところにあるバクニン省のドンホー村で作られた版画です。もう16年前に買ったものですが、色は新鮮です。ここにも動物が描かれていますね。ドンホー村は、伝統的な絵が描かれた版画を作る村です。ドンホー版画は、かつては貧しい庶民が旧正月を華やかに迎えるため、また将来の繁栄を願って作られたものでしたが、そこに生き生きとした庶民の生活や風刺が描かれています。500年の伝統を誇るドンホー村では、現在わずか2軒のみが伝統的製法で版画を作っています。このことは、いつかまた、別にご紹介するチャンスがあると思います。
北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
Love & Support Vietnam since 1990
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