2010-09-22

支援の旅(23)在宅訪問3

ホアン・ティ・テーさん宅を3軒目に訪問しました。
この6月に訪問した時、丁度、外から、テーさんが、息子さん、お嬢さんを車椅子を押して帰ってきたところでした(写真下)。気温が少し下がった夕方の散歩のようだった。ホアン・ティ・テーさんは、今年72歳。ご主人は2007年に亡くされています。

72歳には見えない、気丈そうな母親です。

自分がしっかりしなければ、皆が倒れるという大黒柱としての責任感が、この偉大なる母親を支えているのではないか?という気がします。
2010年6月11日
私は2ヶ月ぶりの訪問。近くの道路拡幅工事で、頻繁に通る車が前にも増して土埃を舞い上げて走ります。昼も夜も、交通はひっきりなしに走り、話もしばしば車の音で中断されました。

お元気でしたか?
「はい、はい、元気ですよ」

この夏暑かったでしょう?
「おい(ベトナム人はよくこういう言い方をする)暑かった。暑かったです。それに、大雨がきて、家の中まで水が来て・・・ほら壁に線がついてるでしょう。大変でしたよ。」

家は道路から1メートルくらい低い。確かに、水の線が壁の大人の腰より高い位置に付いています。

何日くらい水に浸かっていたんですか?
「半日ですよ。前はもっと高いところまで浸かりました。その時の雨にくらべれば、少し楽でした。今回は、子供たちを親戚の家に預けましてね」
今日は、日本とオーストラリアからきました。殆どの人が初めてなので、お名前から窺っていいですか?
「ホアン・ティ・テーです。」
息子さんのお名前を教えて下さい。
「チャン・ドゥック・ギアです。36歳です」
お嬢さんは?
「チャン・ティ・トゥイ・ガー。32歳です」

今回の訪問は私にとっては2回目の訪問ですが、6月の時は息子さんとお嬢さんの名前もどうしてか教えてもらえませんでした。シカゴの新聞にも、そういうことが書いてありました。心が開くまでに少々時間はかかりそうだと、感じたものです。

ご主人は、戦争中、フエとクアンチで戦ってきたそうです。「戦争中に足の指2本を失いました。そして、フエの刑務所に5年も投獄されていました」と、テーさんは言いました。

「主人は、子供をなでては、『かわいいね』と言っていました。子供二人を、治療のためホーチミンまで連れて行きました。持っていたお金は、すべて子供に注ぎ込みました。でも、主人は子供たちが治ると思っていたのに、『治らない』言われ、がっかりして、それ以後元気がなくなりました。主人のお金だけでなく、私のお金もつぎ込み、私はお金を使い果たしました。親戚は協力してくれませんでした。いまでも、お金はありません。ご飯を炊きますが、おかずがあまりありません」

テーさん(右)と息子のギアさん(中央)
テーさんの妹さんが、毎日手伝いに来てくれています。そして、時々ですが、日本で企業研修を受けたテーさんの従姉妹(Thai Mongさん。テーさんの兄のお嬢さん=下の記念写真の後列右から二人目)も来てくれています。
テーさんの子供は、二人共、おしっこはできますが、大便は自分できないので、浣腸を使うそうです。

世話は大変です。テーさんは睡眠が十分にとれないために、慢性疲労。そして、腰痛がテーさんを襲います。夕方の車椅子の散歩も楽ではないようです。

テーさんの今の心配は何ですか?

「二人の子どもが心配ですね。もっと年を取ったら、ご飯を作ってあげられなくなります。車椅子も押せなくなります。」
気丈そうに見えるテーさんの本音の心配です。

テーさんは奥に引っ込んで、私たちにお茶を出そうとしたので、丁重にお断りしました。

ご長男は、食事はどんなものが好きなんですか?
「野菜をゆでたもの。魚とか・・・」

余り肉は食べませんか?
「肉は高いので、あまりたべさせてあげられません・・・」

お嬢さんの一番好きなものは?
「肉が好きです」

 息子さんは、自分の足で歩けませんか?
「できません。何も分かりません・・・立つこともできません」

お嬢さんはつかまれば歩けるんですね?
「はい、でも足は弱いです。この間、娘の足が痛むようなので、枯れ葉剤被害者協会の第1位センターまで行って治療してもらいましたよ」

お子さんを世話するのに、一番大変な時間はいつごろですか?
「食事をさせる時間が一番大変です」

食事の時は、抱えて食べさせるのですか? それとも、車椅子に座らせたままあげるのですか?
「車椅子に座らせたまま食べさせます。ただ、なかなか飲み込んでくれません。娘は一応自分で食べられます」
記念撮影
いま、枯れ葉剤の手当は、お嬢さんが60万ドン、息子さんが65万ドンだそうです。
「足りません」と、テーさん。

二人の面倒をみていると、他の仕事はできませんね?
「まあ、時間があれば、どこかの店にご飯を炊くときに使う焚き木や葉を集めるのが精一杯です。家で、使いやすいように切りします」

旧アメリカ軍兵士からの支援をもらったことがあるようです。毎日使う車椅子2台、トイレのセット(簡易トイレか?)は、アメリカの復員兵からもらったそうです。

「今日は、お米と少ないですが、金一封を差し上げにきました。お母さん、健康に注意されて、元気を出してください。」

お話をし終わって、私たちは、次の訪問地クアンガイ省へ出発しました。午後4時過ぎでした。

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三島ワイズメンズクラブさまからとして、米30キロと金一封を差し上げました。テーさんは、何回も「ありがとうございます」を繰り返していました。ご報告に代えます。ありがとうございました。
愛のベトナムさわやか支援隊会長 宮尾 和宏
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対人地雷やクラスター爆弾の禁止条約の成立を見れば分かるように、一般市民の素朴な常識に反する兵器の非人道性への憤(いきどお)りと、被害の拡大を阻止しなければならないとの危機感の広がりが必要です。その憤りと危機感の広がりが少ない分、アメリカがのろのろしているのではないでしょうか。

それにしても、この3軒を訪問させてもらって感じたことは、「母は偉大だ」ということですね。不確実の時代。国も当てになりません。日本ほどではないかもれしれませんが、ベトナムの地域だって当てになりません。「でも家族は当てになるものでなければいけない。こういう時代こそ、揺るぎ無い存在である「母なるもの」を,もう一度考えてもいいのではないか」(東京大学大学院教授姜 尚中さん)Posted by Picasa

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