2010-09-22

支援の旅(24)私の8月17日

今日は、ダナン市、明日はクアンガイ省という予備日のない移動が続きます。

 実はベトナムの8月17日には、若い時の3つの思い出があります。
ハイバン峠から見たダナン市

まずは1964年8月17日、私がテレビ朝日(当時のNET)のアナウンサーとして入社した年です。この時は、新米でまだニュースなど読ませてもらえなかった時。旧南ベトナムの首都サイゴンで大規模なデモが行われ、アメリカが後ろ盾になり、クーデターで政権を奪取したグエン・カイン大統領の辞任を要求したのです。彼は、学生・仏教徒の激しいデモにさらされ、就任9日で辞任した短命大統領でした。デモは,アメリカに対しても南ベトナム介入を非難しました。ベトナム戦争を実感し始めた頃の記憶である。
ダナン空港(今年の6月)

2番目は、2年後の1966年8月17日。南ベトナム民族解放戦線がダナンのアメリカ機動部隊を襲撃したことです。死傷者500人以上、軍用車110台以上を破壊、と報道されました。400万リットルの石油も炎上しました。ニュースを通じて、ベトナム戦争の本格化をいやがおうでも感じ取った時です。
今考えれば、枯れ葉剤撒布の増量が始まったころですものね。
ダナン空港俯瞰
そして、3番目。1972年8月17日。韓国語を勉強しながら、やはりもう一つの目は、ベトナムに向いていました。南ベトナム民族解放戦線が、クアンナム省の米・南ベトナムのクエ・ソン基地を襲撃しました。これも、結構の破壊力であったようです。2連隊に損害を与え、航空機200機、供用者60台に大損害を与えた、ということです。翌年の1月23日のパリ和平協定につながる一件です。
灯火管制時代から考えれば何と明るい昨今・・ダナン市
もう一つ、65年と1ヶ月前の7月16日、アメリカで人類初の原爆実験が成功しました。この知らせは、チャーチル英首相に「赤ん坊たちが生まれた。つつがなく」と、忌まわしい表現で伝えられたといいます。その翌月、原爆は広島と長崎に投下されました。それにもかかわらず、核ミサイルが沖縄に配備されたことは許しがたい行為です。

さて、前にあげた3つの『8月17日』については、ツアー参加者には話しませんでしたが、中部ベトナムで奨学金を贈呈することの大きな意義を、私自身心の中で感じていました。この日に合わせたわけではありません。会の中心者の希望で決まったスケージュールです。

さあ、いよいよ、クアンガイへです。(つづく)Posted by Picasa

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