2010-09-20

支援の旅(22)在宅訪問2

今年の6月でしたか、IPS(インタナショナル・プレス・サービス)のニュースに載った親子を、私は、ダナンの枯れ葉剤被害者協会に探してくれるように依頼しました。場所に自信はありませんでしたが、記事からしてダナンと判断しました。
程なくして、みつかったという連絡を受けて、3世帯の在宅訪問の決心をしました。その2軒目です。
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グエン・ティ・タインさんとお嬢さんのチャン・ティ・レ・フエンさん宅です。
ベッドが置かれてはいますが、薄暗い一見台所風の部屋で、お話を聞きました。

「前回ベトナムにきた後、タインさん親子がIPSで紹介されていたのをみつけましたので、VAVAに探して頂いて、今日お邪魔しました。私たちは全員日本人です。安心してください。初めてお目にかかったので、ちょっと詳しいお話を聞かせてください」
タ「はい、わかりました」
タインさんは、1956年生まれ。54歳でした。
タインさんには、子供さんが5人います。現代の家族構成では多い方です。
長女(チャン・ティ・レ・フエン=1993年生まれ) 次女 長男 三女 次男
障害があるのは長女一人で、次女には皮膚疾患があるそうです。
長女レ・フエンさんの状況は、ずばり脳性麻痺です。

「何も分かりません。歩くこともできません。ただ横になっているだけです。毎日ご飯を食べさせ、排泄もさせて・・・とにかく何もわかりません。私(母)の呼びかけにも反応しません。名前を呼んでも分かっていません。ただ、そこ(ベッドの上)で横になっているだけです。生まれてから、ずっとこういう感じです」

足の指に奇形性がありますが、これも先天的ですか?
「はい、そうです」

妊娠中に異常があると医者は言いませんでしたか?
「子供を生む前は、私にはどこにも異常がありませんでした。」

ご主人は戦争のご経験は?
「主人も軍隊に入って、ダナンで戦争に行っていました。ダナンの空港周辺で従軍していました。川の水を飲んだりして・・・そして、戦後24年も竹を探しに山に入っていました。私も軍隊に入り、南の方にいっていました」
今日はご主人はどちらへ?
「今日は牛車を引いて(仕事を)しています」
ご主人の障害・疾病は? 
「あります。たまに出ます。足が傷んでいるようです」

お子さんは、枯れ葉剤の被害者に認定されているんですか?
「はい」
手当は月いくらくらいですか?
「昨年までは1ヶ月15万ドンでしたが、今年になってから1ヶ月50万ドンもらえるようになりました」
レ・フエンさんには、何か薬を飲ませていますか?
「いろいろな医者、病院に連れていきましたが・・・フエ病院にもいきました。ダメでした」

今一番困っていらっしゃることは何ですか?
「いつまでこうやって子供の面倒を見なくてはいけないのか、それが一番困っています」

お母さんは、今、痛いところとか、悪いところはないんですか?
「ありますよ。今は体も丈夫ではないので、この子の世話をして、てここにいるだけです」

お宅の収入は、ご主人が稼ぐお金とご長女の枯れ葉剤の手当だけですか?
「収入は、この子の手当が1ヶ月50万ドン、主人は警備員をしていて、1ヶ月の収入が60万ドンです。あとアルバイトをしてなんとか・・・」
脳障害をもっているうえに足にも奇形性が・・
この隣の部屋にはどなたが住んでいるんですか?
「家は自分のものですが、(収入を稼ぐために)部屋を学生たちに貸しています」
ご夫婦+5人の子供さんと合計7人でこの部屋にいるのですか?
「次女と三女は結婚して外に出ました」
5人でここで生活するわけですね・・・
私たちから、生活支援として、お米30キロと金一封を贈呈します。日本で集まった衣類も差し上げます。おいしいごはんを作ってあげてください。

「ありがとうございました。カム~ン」

三島ワイズメンズクラブさんからの支援を差し上げました。

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ダイオキシンとは、本当に困った化学物質です。

ダイオキシンは、人間の脂肪組織の中に入り込んで、化学的には安定し、安住し、身体機能と生殖過程に関係する複雑な細胞と化学的バランスを変えることになります。早期に発見できれば、その副作用は、ほとんどの場合、手術、投薬又はリハビリ療法によって改善することができます。しかし、一部の疾患は、どんなに多くの時間やお金をかけても治療で治すことはできません。

在宅訪問が枯れ葉剤被害者の心に届けるのは、愛する子供の介護に携わる人への「共感」や「安心」、「癒やし」でなければなりません。

私たちの目の前に、「負けるものか」と、苦闘に呻吟している母親がいる・・・多くの人は、悩みへの「答え」を求めているようで、実は苦悩する自分の気持ちや心に「応え」てくれる人や言葉を望んでいます。
まずは、苦悩する心に寄り添うことを心掛けて・・・。心を受け止め、心に応ずる振る舞いが、何より求められています。今日も、そうありたいと願って訪問しました。

お母さんのタインさんは、お嬢さんのフエンさんの体を支えながら、ずっと戸外を見やっていました。

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【この日ここでこんなことがありました 「私たちは日本の静岡という所から来ました」と、最初にグエン・ティ・タインさんに挨拶すると、同行のベトナム人から「静岡と言ってもわからない・・」と言われました。分からなくても、静岡を有縁の地にしたいので言わなければなりません。・・・ダナンでの奨学金贈呈会場の横断幕には、ちゃんとティン・シズオカ(静岡県)と書かれてありました。相手の方に正確な場所がわからなくとも、日本の出身地を表すことは大事だと思います。名峰富士を抱く静岡県に縁してほしい・・そんな強い気持ちがあります。お金も物も人も、殆ど静岡の拠点に集約している私たちが、「日本の静岡から来ました」というのが正当ではないでしょうか?静岡の「し」の字だけでも、タインさんの心の隅に置かせてもらいたい・・次に、たまたま誰か静岡の人が来たときに、「あ~」と、点は細い線になります。もう一人来れば、線は面になります。

では、因みに、ベトナムのグエン・タン・ズン現首相が日本に行って、「私は、カマウ省の生まれです」と自己紹介をした時に、側近が、「それを言ってもわかりません」と言うでしょうか? ”カマウ省”と聞いた今の日本人が、カマウ省がどこにあるかを知っている人は数%もいないのではないかと思うのです・・・が、いや、むしろ南端の出身を誇りをもって言うのが普通ではないでしょうか。 私の考えは間違っていますか?(つづく)Posted by Picasa

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