2009-12-30

枯れ葉剤被害 海外の支援広がる

今年も、あと残り1日となりました。行く年を前に、この1年を振り返り、ブログでは健闘させてもらいました。日本の新聞には殆ど載らなかったパリでの良心の裁判も、出来るだけカバーしました。すべてを日本語の印刷にして、ハノイの枯れ葉剤被害者協会の本部に、宮尾会長よりお届けしました。全く悔い無しです。
本日で今年掲載した記事は、145本。2.5日に1本のペースです。枯れ葉剤被害者への日本人の支援者は世界的に見れば、未だ多くありません。最近は、ヨーロッパの人たちの支援が増えています。もちろん、アメリカ国内も。原爆に並ぶ戦争被害であると同時に、人数は原爆被害者の比ではありません。
来年もまた、力の及ぶ限りを、少しでも被害者支援に走りたいと思っています。
愛のベトナムさわやか支援隊が始めた蓮の花奨学金は、金額面でフランスの大型団体に肩を並べました。蓮の花奨学生からの便り(6)は、来年早々掲載するとして、ひとまず今年は、本日をもって、終了させてもらいます。
今年最後の話題は、海外からの支援広がる・・というニュースです。
♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ランラン  ヾ(●⌒∇⌒●)ノ わーい
ヴェトナム-長崎交流評議会は、ベトナムの枯れ葉剤被害者支援のために50万円(約1億ベトナムドン)を目標に募金活動を開始した。

この行事は、ヴ・フイ・ムン駐福岡ベトナム総領事の長崎訪問にあわせて始まった。

長崎滞在中に、ムン総領事は、経済、社会、教育と文化協力の促進方法を話し合うために、長崎県当局や、友好・社会機関の代表の300人以上と会見した。
一方、フランスのマリン・スポーツ選手、アラン・ラリブさん(写真下)が、ベトナムの枯れ葉剤被害者にクリスマスの贈り物としてVND400万ベトナムドン(約2万5千円)を寄付した。
額は少ないですが、遠いフランスの一スポーツ選手が、遠いベトナムの被害者のことを思うことがすごいことですね。もちろん、フランスがかつて植民地宗主国であったことと無縁ではないと思いますが。それでも、です。そういう輪が、もっとスピードをつけて広がっていくことが必要です。
彼は、2010年7月にフランスで行われる次期ロト競技会でのすべての収益を、ベトナムの枯れ葉剤被害者に贈呈する計画にしています。だから、今回の寄付は、イントロダクション 序奏でしょうか。
今年も、当支援隊に、変わらぬご支援をありがとうございました。来年は、枯れ葉剤被害者の方々に、何か画期的な年にならないかと思いを強くしています。2011年は、枯れ葉剤が撒かれて50年ですよ。一人でも、多くの被害者と家族に笑顔を・・・そんな気持ちを抱いて闘っていきたいと思います。
                          
枯れ葉剤被害者とそのご家族に、心休まる日が一日も早く来ることを祈りつつ、来年の皆様のご健康とご幸福をお祈り申し上げます。
                             
本年もありがとうございました。(北村 記)Posted by Picasa

2009-12-26

蓮の花奨学生からの便り(5)

皆さんは、最近、いつ手紙を書きましたか? 電子メールを除いてです。文章や字が上手でなくても、手書きの文面からは、書いた人の気持ちがほのぼのと伝わってきませんか。私は、年間400通近い手書きの手紙を発信します。手書き文字の手紙に対して、返事を全くくれない人、手書きで返事を下さる人、メールで返して来る人、電話で返事をする人、さまざまですね。
蓮の花奨学生からの便り(5)は、ニンビン省のファム・ティ・クエンさんからものです。クエンさんの手紙はいつもしっかりかかれているのに、感心します。真っ白い紙に、きれいに認(したた)めてありました。  まずは、読んでみましょう。
○\( ・_・)雪合戦!!( ・_・)_ …-=≡○);´д`)ベチャ
拝啓     先ず最初に会の皆様とご家族の皆様の健康とご多幸をお祈りします。
  ずっと前から手紙を書こうと思っていましたが、勉強が忙しくてなかなか書けませんでした。 幸い約束の11月に手紙を書く約束を守る事ができました。
クエンさんの文面

皆様と家族の皆様はお元気ですか?   私は二年生になりました。法律に関する科目が多くなってとても難しくなりましたがとても勉強が面白く思っています。法律を勉強する事によって社会のこと、先生の事などいろいろ理解出来る様になりました。

今寮に住んでいますが相変わらず生活には何の問題も有りません。今10人が一部屋で生活しているのでとても楽しいです。しかし勉強に支障になる場合が時々あります。これは寮での生活の現状ですので自分で克服するしか有りません。

8月22日の贈呈式で

ホームシックが大分治りました。昨年のように頻繁に家に帰ることがなくなりましたが家へは電話でよく話しています。

母と妹は相変わらず元気です。農業の仕事に励んでいます。妹は真面目に勉強をしています。成績もとっても良いそうです。家族みんなでとても喜んでいます。それは妹が以前より元気になって友達と遊べるようになったからです。

クエンさん・ニャンちゃん姉妹

9月に母は妹を連れてハノイの子供病院へ診察をしてもらいに来ました。先生に三ヶ月に一度は輸血をしなければならないと言われました。輸血前は頭が痛く食欲もなくなりますが、輸血の後は元気になります。

前回手紙で私の寮の写真を送ると約束をしましたがカメラを借りられないのでまだ写真を撮っていません。出来るだけ早く送るようにします。以上私と家族の報告を申し上げました。

口紅を塗ってもらって・・おしゃれ
もう一度心から感謝をお伝えします。皆様の支援で家族は助かりました。特に母は大分楽になりました。これは本来私の責任だと思います。

  皆様とご家族の健康とご多幸をお祈りいたします。近いうちにお会いする事を願っています。 それでは良いお年をお迎え下さい。  
  (訳は静岡市在住 ヴィンさん。ありがとうございました。2009.12.22)
 
【◇:*・。元気出すんだょ。・*:◇】q´∀`◎)
ニャンちゃんの回復は、想像外のうれしさです。しかし、3ヶ月に1度の輸血は大変ですが、2~3年前の地元病院の医師の診断と同じです。慈善団体の援助で何とかならないものでしょうか。ニャンちゃんの回復は、お母さんにも、姉のクエンさんにも、いい結果をもたらすものと確信します。この一家には、わが支援隊は有名です。みんな応援しています。
Posted by Picasa

蓮の花奨学生からの便り(4)

奨学生からの便り4回目は、ニンビン省のファム・ヴァン・ディン君からのものです。
ファム・ヴァン・ディン君への奨学金は、シドニー在住のテイク&田鶴子 テイさんご夫妻が浄財を出してくださり、同じシドニー在住の奥井悟さんに贈呈してもらいました。
(^○^)お!(^□^)め!(^◇^)で!(^▽^)と!(^・^)う!
宮尾和宏さまへ  ファム・ファン・ディンです。

初めに宮尾さんと日本のボランテアの皆様のご健康をお祈り致します。

私は元気です。私の家族も皆元気です。私は勉強を頑張っています。皆様のお陰で勉強が出来ます。本当に有難う御座います。学期の初めから私の成績には全体的に問題ありません。皆様の期待通りに頑張っています。
贈呈式で、ディン君と奥井さん

皆様と約束した通りにこの手紙を書いて皆様にお礼を申し上げます。そして成績を報告します。
昨年は私は頻繁に病気をしましたが今年は元気に生活しています。しかし学期の初めから体の具合が悪く二日間休みました。

これからもっと勉強を頑張ります。日本を私は知りませんが、本を読んで日本はとても進歩した国だと知りました。私は勉強が終わって若し機会が有ったら日本へ行ってみたいと思っています。 

宮尾さん、Eメール有りますか? 若しEメールが有りましたら私のアドレスを追加して下さい。
私のEメールのアドレスは 「because_i0_0love_you @・・・・・・・」です。
でも私は日本語を知らないので、誰かに翻訳をしてもらって下さい。

そろそろ終わりにしたいと思います。宮尾さんに絵のプレゼントをします。
最後に宮尾さんと皆様のご健康をお祈りいたします。

ディン君が書いた絵
(翻訳を富士市在住 レ・タイン・トゥン君にお願いしました。多謝。2009.12.23)
ディン君の申請書を貼り付けます。

ベトナム社会主義共和国
国立・自由・幸福

申請書
日本国静岡ベトナム支援隊 さま
ニンビン人民委員会 さま

私はLuong Thi Quy(ルオン・ティ・クイウ)と申します。
1954年生まれです。
現住所はニンビン省ナムタイン、ヴォ・ティ・サウ。

私の息子はファム・ヴァン・ディンです。1992年4月11日生まれです。
現在、チャン・フン・ダオ高校2年生。

皆さんが元女兵士の私のような人を助けて、子供に奨学金授与してくださることを知り、本当にうれしく思います。

私は現在病気で、また私の母や子供の面倒をみなければならず、本当にいっぱいいっぱいの生活です。この申請書を提出して、日本のベトナム支援隊の皆さんから奨学金を申請致します。子供が学校に行けるように、奨学金のご検討をよろしくお願いします。
本当にありがとうございます。

ニンビン2009/11/05
Luong Thi Quy

人民委員会の証明

上記のルオンさんの申請書の内容に間違いのないことを証明します。
ご検討をよろしくお願いします。
2009年11月5日
サイン
(*´∀`)【☆・゜:*メリィクリスマス*:゜・☆】(´∀`*)
贈呈式の時は、シャイな青年かなと思っていました。でも、ディン君の手紙は、これまでの手紙の中では、なかなかユニークな手紙ですね。メールアドレスもユニークです。
病気のお母さんを抱えてどう闘っているのか、もう少しディン君の生活のことが知りたかったと思います。心配が無いはずはないと思いますが、それを表面に出さないようにしているのでしょうか。あるいは、天性の楽天家なのかも知れませんね。
しかし、意欲満々の文面。さらに一層勉強に、生活にと、勝利してもらいたいと思います。
今度ディン君に会う時は、是非お母さんと一緒だな。是非、会いましょう。とにかく元気で。お母さんも、ほんとうにディン君を頼りにしていると思うよ。Posted by Picasa

蓮の花奨学生からの便り(3)

奨学生からの便り・・3回目は、クアンガイ省モードゥック郡のグエン・タン・ニャット君からです。私は、近況報告用の封筒に1万2千ドンの切手を貼りました。これは、ハノイの国際中央郵便局で何回も確かめた末の結果です。しかし、ニャット君からきた封筒には、5千ドン分の切手が余計に貼られていまいた。多分、郵便局のミスでしょう。なぜなら、他の人の封筒には、私が貼ったままの金額できていますので。
ニャット君が直接郵便局に持っていったのか、郵便局が遠いので誰かに託したところ、不足分を請求されたのか、分かりません。11月22日の日付になっています。申し訳なく思います。近況報告は3ページに渡って書かれていました。では、ご紹介します。
▼o・_・o▼コンニチワン♪ヾ(〃⌒ ー―――⌒)ノ~~コンニチワァ♪
皆様へ
  私はグエン・タン・ニャットです。皆様の支援を受けている一人です。初めに皆様のご健康をお祈りいたします。

もっと早くお手紙を出すつもりでしたが勉強が忙しくて、今日まで手紙を書くことが出きませんでした。私の手紙を受け取って皆様が喜んで下さると嬉しいです。

私はそろそろ人生で一番大切な時期に来ていると思っています。それは高校を卒業して大学に入る事です。

今とっても心配している事は、何処の大学に入るかです。とても迷っています。学校の案内はまだ届いていません。私が勉強したい事は経済です。大学を卒業したら経済の勉強を生かして、沢山の仕事をしたいと思い描いています。

しかし、今一番大切なことは勉強する事だと思います。全力で勉強して、よい成績を修めたい・・・そう考えています。今年は高校最後の年ですので、卒業試験が有ります。その卒業試験でよい成績を取りたいです。

金原さんから奨学金を受けるニャット君

次に皆様の事をお尋ねしたいと思います。

皆様お元気ですか?仕事は順調に進んでいますか?皆様が何時も楽しく過ごせる事を願っています。私は元気です。家族の為に何時も元気でいなくてはならないと思っています。

私と私の家族を支援して下さり本当に感謝しています。私にとって皆様の支援は大きな励ましです。皆様のご期待を裏切らないように、しっかり勉強をして良い成績を修めたいと決意しています。

ニャット君からの手紙の文面

ストレス解消の為にも、お母さんの仕事を手伝います。皆様ともう一度お会いしたいと思っています。皆様、ベトナムへもう一度いらっしゃいませんか? ベトナム人はお金持ちでは有りませんが、心が有ります。ベトナムへ来たら皆様は大歓迎されると思います。
是非もう一度いらして下さい。そろそろ終わりにしたいと思いますが、もう一度皆様の仕事や生活が順調に行くことを願っています。私は勉強を頑張って、そして独立して役に立つ事を誓います。

皆様と同じように良い人になって、貧しい人を助けられるよう頑張りたいと思っています。本当に有難うございます。

ニャット君のサイン
もし、皆様からお返事を頂けると嬉しいです。
これは私の学校の住所です。  
   Nguyen Tan Nhat         
   Viet Nam,Quang Ngai、huyen Mo Duc
   Lop 12A1、Truong THPT Tran Quang Dieu

  (この手紙は、静岡県富士市在住 レ・タイン・トゥン君の訳です。ありがとう。 2009.12.23) 
(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う
では、ここに、ニャット君が今年の7月に書いた奨学金申請書を貼り付けます。

ベトナム社会主義共和国
国立・自由・幸福

申請書

北村さまへ

私はNguyen Tan Nhat(グエン・タン・ニャット)、1992年生まれです。

住所:クアンガイ、モードゥック、ドゥックラン(北村註:国道1号線を南下して、モードゥックの町を過ぎて、右手に入ります)

チャン・クアン・ジエウ高校に在学中です。

2007年~2008年に静岡のベトナム支援隊の皆さんから奨学金、150万VNDを受け取りました。ありがとうございました。
2008年~2009年度が終わり、この申請書に記入しています。2008年~2009年の奨学金をいただけると本当うれしいです。ご検討をよろしくお願いします。
お礼を申し上げます。

2009年7月30日
Nguyen Tan Nhat
ニャット君の成績をみると、数学がいい成績で、ついで体育となっています。総合成績では、古い言い方をすれば、甲乙丙丁の乙です。コンピューターは前期で90点を取りましたが、後期でかなり落としています。何かあったのでしょうか。平均点では、70点台になってしまいました。
文面を見る限り、目標も定めているので、しっかりした青年と思います。目標の大学が決まり、さらに勉学に励めるといいと思います。ゆっくりと話しあってみたい
青年と思いませんか。(この項終わり)Posted by Picasa

2009-12-25

ベトナムの子どもの先天性欠損症

今回の記事は、12月17日付けのハノイにあるカナダ支援の『SOS 子ども村』の発信のものですが、情報元が不明です。カナダ支援の団体ですので、カナダのハットフィールド社からでているものかもしれません。知識として、頭の中にいれておいて、損ではないと思います。(北村 記)
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ベトナムの子ども達の先天性欠損症
ツーヅー病院で

エージェント・オレンジ剤はダウとモンサントによって製造されたが、白血病、肝臓障害、皮膚障害、パーキンソン病、発作とおそらく先天性欠損症を引き起こすことが現在では知られているので、現在製造禁止になっている製品だ。エージェント・オレンジは2型糖尿病との関連性を示唆する何がしかの証拠が最近でてきた。

しかし、エージェント・オレンジは大きな環境破壊を与えたことでも認識されている。最近の報告書では、食物源(特に肉)が汚染されていると指摘している。これらの調査結果を報告している研究は、ホーチミン市近くで行われており、アメリカの職業・環境医療大学の主要出版物である職業・環境医療ジャーナルで発表された。

エージェント・オレンジと先天性欠損症に相関性があることは、広く認識されている。それは、国立衛生研究所が行った動物実験の研究で確認された。ヴェトナムでは、100人に5人の確立で、肉体的欠損か精神的欠損の子どもが生まれてくる。
それは、ベトナム戦争の開始以来著しく増加している。これらの奇形の多くは厳しい肉体的奇形である。そのために、子どもの寿命は短く、体も脆弱である。たとえば、一部の子供たちは、顔の奇形、頭の奇形、目、下肢または手なしで生まれて来る子もいる。また、中には体から器官が突き出て生まれてくる子もいる。

これらの子供たちの面倒をみることは、すでに貧しい家族にとって非常に困難である。未だに、自分の子供たちの悲劇的な状態を、自分達、親の責任とする人もいる。健康管理、薬、これらの子供たちの物理療法に広く受ける機会もなく、多くの最高の努力をしたところで、彼らの健康と幸福を改善することは至難の業だ。

現在、環境浄化作戦のスピード化とエージェント・オレンジの影響を受けた家族の生活の質を改善するために、政府間、地元の慈善団体、国際的慈善組織、環境保護主義者との間で、共同の努力が進められている。一部は、子供たちの家や病院を運営しているし、その他は家族に財政的援助を提供している。(この項 終わり)Posted by Picasa

蓮の花奨学生からの便り(2)

蓮の花奨学生からの便り(2)は、クアンガイ省のレ・ティ・キム・チュンからのものです。きれいに、そして一番長文のお手紙でした。
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宮尾和宏様 手紙をお送りするのが遅くなった事をお詫び申しあげます。
  私は高校三年ですので勉強が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。

皆様お元気ですか? 皆様にお会い出来ることを願っています。お会いしたいです。支援隊から奨学金を頂いて、沢山の励ましを頂戴しました。そして頑張る力も与えて頂きました。

  学校の友達には、日本人の優しさ、親切さ、人を愛する心について話をしました。そして友だちには、あの時下さった富士山の写真を自慢して見せました。友だちは皆、日本の素晴らしさと日本人の事を感心してくれました。

贈呈式の記念写真のレ・ティ・キム・チュンさん

私の故郷はとっても貧しいです。両親は二人とも軍人でした。兄弟は5人です。女三人男二人です。しかしお兄さん二人は枯れ葉剤の影響を受けて普通の生活はできません。全ての事は誰かにやってもらわなければなりません。私が中学二年のとき兄が一人亡くなりました。

家族は少しの水田を耕作しています。両親は戦争の時負傷しています。しかし両親は私を養うのに一生懸命です。生まれつき障害を受けている子供達を悲しく思っているようですが、それにもかかわらず負ける事無く私達を養って、教育も受けさせてくれています。

両親を悲しませないようにしようと考えています。そして自分自身何時も願っていることは、早く大人になって家族を助けられるようにしたい、そして、何時か日本に行ってみたい、ということです。

日本人はとっても親切な人たちだと思います。

あまり長く書くと皆様の貴重な時間を潰してしまうので、ここで終わります。

最後に皆様のご健康と仕事が順調でありますように、そして今後意義のある活動を続けてくださる事を心から願っています。

特に名古良輔先生には感謝致します。皆様の素敵な笑顔を、今でもはっきり覚えています。近いうちにお会いできれば・・と願いつつ。

敬具
  (静岡在住 ヴィンさん訳 2009.12.22 多謝)

名古医師から証書を受け取るキム・チュンさん
ここに、本人の奨学金申請書を貼り付けます。

ベトナム社会主義共和国
国立・自由・幸福
申請書

静岡県 ベトナム支援隊さま
私はLe Thi Kim Chung(レ・ティ・キム・チュン)と申します。
1992年生まれです。

父:Le Hoa Hieu(レ・ホア・フィエウ)  1948年生まれ
母:Nguyen Thi Thanh(グエン・ティ・タイン)  1952年生まれ
現在、クアンガイ省ソンテイン郡ティンザ村に住んでいます
(北村註:ソンティン郡はソンミー村のある郡ですが、国道を挟んで西の一番奥です)

家族は5人です。家は農業です。次男、レ・ホア・ヒエウ、1982年生まれです。次男は枯れ葉剤被害者です。長兄はレ・ホア・フン、1981年生まれですが、枯れ葉剤被害で2008年に亡くなりました。

私は現在、ソンティン高校の2年生です。家族の農業収入は少ないです。私の勉学でもとても苦労しています。


愛のさわやかベトナム支援隊に奨学金を申請致します。ご検討をよろしくお願いします。

奨学金をいただければ、私は勉強に頑張って、社会に役立つ人になることを誓います。

本当ありがとうございます。
サイン
Le Thi Kim Chung

ソンティン郡ダイオキシン協会

Le Thi Kim Chungの書いた上記のことは事実と認めます。
Le Thi Kim Chungの奨学金授与を推薦致します。
検討をお願い申し上げます。

2009年8月23日
サイン
(静岡県富士市在住 レ・タイン・トゥンさん 訳出091222 ありがとうございました)
キム・チュンさんの得意科目は、体育です。他の科目より群を抜いて好成績です。陸上でしょうか? 汗をかきながら走るキム・チュンさんを想像してみました。贈呈式の時、分からない日本語を、聞き逃すまいとする姿勢が、輝く瞳の中に現れていました。
17歳の長兄を去年(2008年)亡くして、頼りにしていたに違いない肉親の死を身近にみたキム・チュンさんは、何を感じたでしょうか。枯れ葉剤の怖さだけでしょうか。いずれは、自分の身にも・・と考えたとしても不思議ではありません。
向学心に燃えるキム・チュンさんが健康で、すべての問題を克服し、いずれ家族を助けられる境遇になっていくことを皆とともに祈らずにはおれません。(北村 記)Posted by Picasa

2009-12-24

明るみに出る事実

本日2回目の投稿は、シカゴ発のUPIの12月18日付けのニュースを引用します。これまでにもアメリカ以外ではでている事実が、ようやくアメリカの新聞にも出始めたということがいえましょうか。報告:企業はエージェントオレンジの危険性を認識していた  この記事を、ベトナムの関係者が読んだら、どう思うでしょうか。
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アメリカ軍と化学会社は、ヴェトナムで枯れ葉剤として使用された化学物質、エージェント・オレンジの危険性を警告することができなかった、とシカゴトリビューン紙が報じた。

同紙は、国立公文書館で法廷文書と政府記録を分析した結果、兵士がその危険性があるという情報を得ることなく、エージェント・オレンジ曝露し、曝露をより危険にしたと結論付けた。

1965年は、アメリカ政府がヴェトナム戦争を拡大した年だが、ダウケミカル社はダイオキシン(エージェント・オレンジの中の汚染物質)を「皮膚障害だけでなく、肝障害も引き起こすとして知られている最も有毒な物質の1つ」と呼んでいたと、トリビューン紙は伝えている。
数々の文書は、また、製造工程で、枯れ葉剤に含まれるダイオキシン量を大幅に削減できる技術もあったことを示している。

ダイオキシンにさらされた退役軍人とベトナム一般市民は、化学会社を訴えた。退役兵による集団訴訟で、1984年に1億8000万ドルの支払いで和解したが、企業は、その後、政府契約者として、訴訟を免れたと主張している。
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すべて、ベトナム側が、これまで主張してきたことが、テンス(時制)をずらせて出てくることに、憤慨しているのではないでしょうか。まして、ダイオキシン量を減らす技術を持っていたことも指摘されているわけで、こうなると戦争犯罪が確実に構成されるのではないでしょうか?Posted by Picasa

蓮の花奨学生からの便り(1)

今回から数回にわたって、今年ベトナムでベトナム支援隊が贈呈した蓮の花奨学金を受けた奨学生からの手紙をご紹介します。
イヴにはとても辛い話ですが、一番最初は、休学せざるを得なくなった女生徒の苦渋の手紙です。世の中は、クリスマスイヴです。世間的には、うきうきし、華やかな気持ちなる日。しかし、金融不況をまともに受けた世界には、そんな華やいだ雰囲気に微塵も浸れない若き精鋭がいるのです。まずは、読んでください。きれいな字で書かれていました。(北村 記)
三田村さんから奨学金を受けるグエン・ティ・トー・クエンさん
おじさま、おばさま お元気ですか?
  皆様の健康を何時も祈っています。会の皆様はじめベトナムを愛してくれている日本人に感謝しています。特に三田村さんには、感謝しています。
  悩んだ末に手紙を書くことにしました。私は一年間休学する事を決めた事に対して申し訳なく思っています。一年間休学して、働かなくてはならなくなりました。その仕事は、人の家で家事の手伝いをする仕事です。 毎月の給料は50万ドンです。
  私の家族は経済的にとても苦しいのです。父親は私が生まれて一ヶ月で家を出て行って以来、家に戻って来ていません。母親は枯れ葉剤の影響で足を失くしました。私には高校へ通っている兄がいます。家族は私を学校へ通わせる情況ではないのです。
  会から頂いたお金はとっても有難いと思っていますが、学校へ通い続けるには、それでは足りません。そのために、一年間休学する事にしました。
トークエンさんの手紙1ページ目
この手紙が皆様の所へ届いた頃には多分、私はクアンガイを離れているでしょう。
遠くまで行って仕事をしなければなりません。

より明るい将来の為に真面目に勉強をして働く事をお約束いたします。
最後にもう一度、静岡の皆様に心から感謝の気持ちをお伝えします。
私のように困っている大勢の子供達を助けて頂く事を願っています。
近いうちにまたお会いする事を願っています。
かしこ

(静岡在住 ヴィンさん訳 2009.12.22 ご協力ありがとうございました。)
花の挿絵が描かれた2ページ目
【下は、クエンさんの奨学金申請書です】
ベトナム社会主義共和国
国立・自由・幸福
申請書
静岡のボランティアグループへ、
私はNguyen Thi To Quyen(グエン・ティ・トー・クエン)です。
1991年生まれです。
住所:クアンガイ省トゥーギア郡ギアタン村字アンクー
現在、トゥーギア高校の3年生です。
彼女の成績表は、ここに物理的に載せられません。一番成績のいい科目はコンピューターでした。

母はHuynh Thi Lai(フイン・ティ・ライ) 枯葉剤被害者です。
クアンガイダイオキシン協会、静岡ボランティアグループの皆様に 勉強のために奨学金を申請いたします。
いい人になるように勉強に頑張ります。
ありがとうございます。
2009年10月26日
Nguyen Thi To Quyen
Nguyen Thi To QuyenはHuynh Thi Lai(
枯れ葉剤被害者)の子供であることを証明します。
検討をよろしくお願いします。
2009年10月27日
枯葉剤被害者協会
【北村註:トゥーギア郡は、省都クアンガイ市を取り囲む郡ですが、ギアタン村は市の北西にあります】
右下にグエン・ティ・トー・クエンの名前がみえます。
8月20日、VAVA(クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会)で贈呈式を終えて、真っ先に私が駆け寄ったのが、このトー・クエンさんでした。贈呈式中も、常に何かさびしさを湛えている様で気になり、激励の意味で家内と写真に収めたり、宮尾会長とも並んで写真を写しました。学費どころではなくて、結局は生活費に消えてしまったのですね。私たちは、また、一つ教訓を得ました。
Posted by Picasa
彼女の行き先は、すばりホーチミン市と思います。経済的に豊かになっている人が多く、夫婦共稼ぎで、子どもの面倒をみてもらいたいからでしょう。しかし、月給50万ドンは、食事つきの住み込みにしても、米ドルにして月30ドル弱(円ドル換算すれば、2700円です。良い雇い主にめぐり合い、こき使われないように祈りたいと思います。
何回か、ブログで書きましたが、ベトナムの一部役人から私に非難の声が寄せられているようです。1箇所に長い時間を費やす・・と。この贈呈式に使った時間は、たったの1時間半弱です。十分に話を聞く時間がないのです。それでも、私は抵抗を受けながらも、なんとか、時間を取ったつもりです。奨学生の話を私達が聞かなくても、べトナム側が生徒のことを十分知っているかというと、そうではありません。彼らにも、十分な時間がないからです。ならば、こういう機会にゆっくりと懇談の時間を取るべきだと思うのです。
とても、いい教訓を得ました。ベトナム側の基本姿勢は、常に短時間で、たくさんの援助を・・、なのです。それに反対ではありません。大賛成です。しかし、それは、出来る団体がやれば良いと思います。心にひっかかるものがあれば、じっくり聴く・・・出来うる限り、細かいことも吸い上げていくべきだ・・・トー・クエンさんのケースがそれだったと、今、私は猛省しています。それは一瞬の判断をおろそかにしたからだった。やはり、役人には安易に迎合すべきではない、のです。
トー・クエンさんには、何とか復学してほしいと思います。家庭の状況は、明日の勉強より、今日のご飯です。しかし、将来の安定した生活には、学問や資格は欠かせません。

2009-12-23

次世代に入り込んだ毒(下)

今回は、前回の続きで(下)です。
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一方、民間の財団や個人のボランティアは先を行っている。エージェント・オレンジ汚染地区を特定し、ダイオキシンレベルを測定する初期の努力は、1990年代にアメリカに拠点を置くフォード財団が行なった。
その後、技術協力はアメリカ環境保護局からの技術援助を受けて、フォード財団は、現在ダナン国際空港の一角の最大の汚染地域に、ダイオキシンが都市の給水に流れ込まないように濾過システムを設置し、その地域に人々が立ち入らないように壁を建設するなど、汚染区域を「覆った」。
もう一つアメリカ軍が放棄したアールオイ渓谷北村註:地図を持っている方は、トゥアティエン・フエ省を開けてください。フエから西に49号線が延びています。それが14号線とぶつかるところがすでにアールオイなんですが、アールオイという町は、それを右に曲がります。そのあたりから、許可証がなければ個人では入れません。この14号線は、すでに昔のホーチミンルートですが、今は結構拡幅してありますの旧空軍基地では、ベトナムの植物学者が、25,000ドルの寄付を集め、村民が池に入って魚釣りが出来ないように、汚染地域の周囲にサボテンのような茂みととげの木を植えることにしている。(ダイオキシンは、動物性脂肪に速く蓄積するので)。
これらは長期的解決策ではないが、ハットフィールド社の調査で、単純な柵でも立ち上げれば、付近住民の血液と母乳のダイオキシン濃度が劇的に下がったことが分かった。
ダナンの慈善団体は、米国の資金が地域の障害者の面倒をみるために提供されるとなると、その資金がどうやって使われるのか心配だと懸念を表した。議会が割り当てた600万ドルの一部は、ダナン周辺での障害をもった居住者と働く人道的グループに与えられた。
しかし、お金が機能しているという証拠をみつけることは困難だ。「Save the Children」には、障害者の就職を手伝うためとして40万ドルが与えられた。しかし、同団体が報道関係に話した唯一のケースは、大学卒業者に一つの仕事を見つけただけだった。
もう一人の女性は、ダナンのビン・ダン病院の一つの病棟に器具を設置し、内装を一新した。だが、その病棟はほとんど空なのだ。なぜなら、アメリカのリハビリセンターが実質的には医療機器を持っていないので、患者を受け入れるのは時期的にもむずかしい。その一方で、駐ハノイの米大使館は、健康改善アドバイザーに50万ドルも使っている。
エージェント・オレンジの影響で、例えば四肢が奇形だったり、無眼症など、奇形で産まれた子供たちの面倒をみている団体は、なぜかそのような金は見たこともない、どうしてだろうといぶかっている。
「寝たきりで、食事も自分でとれない多くの患者は、24時間の介護が必要である。子が年をとり、親は死んでいく時、では、誰がその子らの面倒を看るのか?」と、質問するのは、 枯れ葉剤被害者ダナン協会のグエン・ティ・ヒエン会長だ。彼女のグループは300人の子供たちの面倒を看ているのだが、地元の慈善団体は、アメリカの最近の金の配分のおかげで現金が潤沢だという確信をもっているようなので、彼女の団体への寄付は50%下がっていると言う。
「アメリカ人が使う100万ドルは、世話のためでなくて、主として会議と訓練のためだ。その金は、被害者の面倒を看るために使われなければならない」と、ヒエン会長は主張する。
下肢の手術前の消毒(ナムディン省)


しかし、誰が受益者になるかを決めることは、悪夢だ。個人でダイオキシン濃度を測定するのは、一人1,000ドルものコストがかかる。— ヴェトナム人には、そんな余裕はないという価格だ。ヴェトナム側は全人口の先天性欠損症を枯葉剤になすりつけるようなので、アメリカの交渉担当官と科学者はイライラが募っている。

外交官は、彼らが広範囲にわたる曝露と健康障害の主張を支持しないかもしれないので、ヴェトナムは認められた科学的研究法を使用する気はないと不満を表明して、数年前、会談を打ち切ったことがある。彼らは、ヴェトナム側がもっと自助努力をすべきだと不平を述べた事がある。ベトナム人が汚染地区の周辺に塀を建設するのを止める者など誰もはいないと、あるアメリカ外交官は指摘する。(北村註:上のオレンジ色の文章を指している)そして、ベトナム側はこの問題をより多くの援助と同情のために利用しているとほのめかしている。

手術を待つ少年(ナムディン省・アガペ病院)

しかし、ベトナムの人々は、そして、ベトナム政府も(もちろん政府はより静かだが)、もっとしなくてはならないのは、それももっとはるかに多くのことをしなければならないのは、アメリカであると主張する。
ある人は、アメリカ政府は、戦闘中行方不明になった兵士の残骸を捜すのに、毎年5000万ドルを使っているが、それと比較すればエージェント・オレンジ浄化費用には、ほんのわずかしか使っていないと指摘する。
長引いている戦争問題に取り組んでいるベトナム参戦兵士アメリカ協会のタオ・グリフィスス代表は、各々の遺産が同じように痛みを伴っていると指摘する。「アメリカ人にとってMIA問題は、ベトナム人にとってのエージェント・オレンジ問題と同等の重要性を持っている」と、彼女は言う。そして、この問題が解決されるまで、戦争の遺産は両国を悩まし続けるのだ。(この項目終わり)Posted by Picasa

2009-12-22

次世代に入り込んだ毒(上)

上の写真は、ホーチミン市のトゥーズー病院に保存されている奇形胎児。 ある若き女医さんが、研究のためと、後世のためになると、せっせと集めたものです。その収集の大変さと保管の苦労について、彼女はほとんど封印したままです。ほんとうは、もっと数が多かったのです。なぜ?という純粋な医師の心で、足を運んで集めたものなのです。同病院の医者は、戦争中のエージェント・オレンジの使用が、高い奇形の発生率を生んだと指摘しています。

今回は、12月19日付けのタイム誌の記事を引用します。完全ではないですが、いろいろの考えの違いを浮き彫りにしています。

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エージェント・オレンジの毒 ヴェトナムの新世代をも脅かす(上)

アメリカが放棄したダナン空軍基地の孤立した一区画は、かつてアメリカの空軍兵士と兵器で埋まっていたところだ。オレンジ色のストライプが付けられた巨大なドラムス缶が保存されていたのが、そこである。そして、ドラム缶の中に詰められていた除草剤は調合されて、待機中の飛行機に積まれた。外へはねたものは、土中にしみ込み、実際給水系統にまで入り込んだ。30年後に、この旧米空軍基地を訪れた珍客には、ゴム長と防護服が与えられている。敵(北村註:北の軍隊、解放戦線部隊を指す)の軍隊から天蓋のジャングルを剥ぎ取るために撒布されたエージェント・オレンジは、猛毒のまま残留しており、この一区画はベトナムで最も汚染された不動産と考えられている。最近の研究では、終戦後30年たってさえ、発癌性ダイオキシンは、安全基準の300~400倍高いことを示しているのだ。

何年も会議を重ねた末、調印をし、マスコミ向けのポーズを取って、アメリカはエージェント・オレンジの暗黒の遺産を継続して管理する姿勢の一環として、12月16日にヴェトナムで、もう一つの式典を開き、もう一つの覚書に署名した。それでも、不満はある。 —もし 何かあるとすれば — それは最も汚染されている土地を浄化は、まだ何もなされていないということだ。2007年以来、アメリカ議会はヴェトナムでのエージェント・オレンジ対策費として、合計600万ドルを割り当てた。その金額は、問題の表面を掘り始めたり、国中の何トンという有毒な土壌の除去作業を始めるためだけでなく、その資金がどのように費やされているかという疑問がある。そして、いくつかの団体も、お金は、新世代のダイオキシン曝露防止対策を実行するよりも、むしろ、そもそも問題を調査して、コンサルタントを雇用するためのものであると認識しており、不満を募らせている。

「あの地域に住んでいる人には、依然として危険がある」と言うのは、バンクーバーに本社を置くハットフィールド・コンサルタント社のトーマス・ボアヴァン社長だ。同社は、1994年以降ヴェトナムのエージェント・オレンジ汚染の確認と測定を行ってきた環境調査会社だ。良い知らせは、たとえば、南部ヴェトナム領土の10%にもダイオキシンが撒布されたとしても、ほんの一握りの重度の汚染地区―そのすべては枯れ葉剤を調合し貯蔵していたアメリカ軍の軍事施設である―だけが人体に危険となっているだけだ、ということを、ハットフィールド社の研究が 示しているということだ。悪い知らせ? 「もしそれらがカナダやアメリカにあったなら、彼らは即時の除去作業を要求するだろう」と、ボアヴァン社長は言った。

アメリカは援助の支払いを故意に長引かせているという不満に答えて(北村註:この件は以前のブログでも報告した)、駐ヴェトナムのマイケル・ミカラク米大使は、ハノイで調印式の後で次のように語った。「ごく最近ダナン空軍基地の環境アセスメントを実行するために割り当てられた170万ドルは、アメリカとベトナムの法律を遵守して使用され、汚染地区の浄化に対する必要な一歩である。我々は、多くの有望な技術を調査中である。正しい方向で仕事をするためには、注意深い研究が必要である。我々は、ダイオキシンが土壌の中にあるということは知っている。しかし、それを取り除くために、どんな方法を使用すべきか?作業員に どこを掘れと指示するのか? それは、過程の中の次の段階だ」

しかし、アメリカを批判する人たちは、潜在的に高くつく訴訟を避けるために、人々の死を待っているのだ、などと言って、アメリカが厳しい待機戦術をしていると思っている。現在2つの戦争に携わっている国にとって、戦時損害賠償に対する包括的な責任を認めることは、高価な先例を作りかねない。「彼らは、問題が何であるか、そして、それがどこに横たわっているか、分かっている。なぜ、彼らはいま環境影響評価を必要としているか?彼らは、死ぬほどそれについて勉強しているのだ」と、チャック・サーシー(VVMFヴェトナム退役軍人記念財団アメリカ代表)は言う。

科学者は、1960年代以降ダイオキシンについて警報を出していた。TCDD(エージェント・オレンジの中のダイオキシンのこと)がガンと先天性欠損症を引き起こすとわかったあと、米環境保護局(EPA)は、1979年に除草剤使用の緊急禁止令を出した。エージェント・オレンジの最大手メーカーであったダウとモンサントは、結局、それが1961年から1971年まで戦時中の枯れ葉剤として使用された間、エージェント・オレンジに曝露した米兵に、損害賠償として数百万を拠出した。アメリカ政府は、ヴェトナムで従軍した元兵士に、障害手当てとして、毎年、いまだ数10億ドルも払っている。 —それらの支払いには、ダイオキシン関連のガンからの苦しみと先天性欠損症に苦しむ多くの二世が含まれている。そして、この10月に、復員軍人省は、白血病、パーキンソン病、稀有の心臓病をエージェント・オレンジ関連の健康障害リストに加えた(北村註:以前のブログに掲載済み)。それでも、米政府当局者は、枯れ葉剤に曝露した何百万ものベトナム人とその子どもの間に、枯れ葉剤が健康障害を引き起こしたという決定的証拠はないと主張している。(つづく)Posted by Picasa

2009-12-21

米越 調印 一歩前進

アメリカとベトナムが、ダイオキシン問題で一歩前進しましたので、これを先にご報告しましょう。この記事は、16日付けのVOVニュースからです。
オレンジ剤/ダイオキシンに取り組むヴェトナムに 米国 援助の約束 

在ヴェトナム米国大使館とベトナム資源環境省は、ダイオキシンに関連した環境の健康・改善計画の了解覚書に署名した。
合意は12月16日にハノイで署名された(写真)が、環境にやさしくて、国際的に認められた手順に従って、ダイオキシンを抑え込む最も効果的解決方法を模索することで両国が相互的な責務を果たす一里塚となる。
2001年以降、米国とベトナム政府は、ともにエージェント・オレンジ/ダイオキシンの問題に取り組んできた。
2007と2009年には、アメリカ議会は、ヴェトナムにおけるダイオキシン緩和をめざして、合計600万米ドルを割り当てた。
金額は、ダナンに障害者に対して、健康、教育と社会福祉事業を提供することに協力取り決めで、200万米ドルから成る。それは、アメリカが身体の不自由なベトナム人支援のために提供した4600万米ドルを超える金額の一部となるものだ。
2009年9月には、アメリカは、ヴェトナム戦争後、ダナン空港に残したダイオキシン処理事業を起こす援助として190万ドルを支出した。(終わり)Posted by Picasa

2009-12-20

枯れ葉剤被害の現状 次回予告

皆様 お元気ですか?
今年も、枯れ葉剤被害と枯れ葉剤被害者の関心を寄せてくださってありがとうございました。

今年の最後になりますが、シカゴトリビューン紙が、枯れ葉剤被害について、連続5回の報道を行いました。その報道をご紹介して、枯れ葉剤の現状を考えてみたいと思うのです。

準備が出来次第、当サイトでご報告しますが、結構準備に時間がかかりそうで、年内の終結は難しいと判断しました
。来年早々まで続きそうです。

豪州のシドニー周辺は、数日前まで、90箇所近くで山火事が起きていました。
ここ数日の低温化(20度~25度)で、山火事は減りましたが、気温が下がっても、火勢に手のつけられないところはあるものです。

年末をどうか、無事故で、快適に過ごしてください。

北村 元 在シドニー

2009-11-17

ニューヨーク・タイムズの記事から

今回は、相前後しますが、ベトナム人被害者に触れていないと指摘された10月12日付けのニューヨーク・タイムズのジェームズ・ダオ記者の記事を訳してみました。
Door Opens to Health Claims Tied to Agent Orange
エージェント・オレンジ関連疾病に門戸を開く・・という見出しです。

今週(註:とっくに過ぎた話ですが)提案される新規則の下で、復員軍人省はパーキンソン病、虚血性心疾患と有毛細胞性白血病の3疾病を、ベトナムで広範に使用された有毒枯れ葉剤、エージェント・オレンジに起因したと想定される疾病リストに加えることになった。

この新方針で、これらの病気がベトナム従軍中の直接の結果だったと主張する何千もの復員軍人にとってはかなり安堵となる。そして、それにより、彼らが復員軍人省から毎月の障害者診療と医療検診治療をスムーズに受けられる道を開くものだ。
新方針はベトナム戦争中にヴェトナムに派遣された復員軍人、1970年にアメリカ軍がエージェント・オレンジ使用中止した後ベトナムに派遣された復員軍人を含めて、約210万人の適用される。そして、復員軍人省はエージェント・オレンジが海軍兵士に与えた影響も調査する計画だが、この新方針は、深海船の船員には適用されない。
この変更は、病気になったり、障害を起こした旧兵士の軍人手当申請の支障を減らすために、アメリカ軍元参謀長であり、ベトナム退役軍人であったエリック・シンセキ復員軍人省長官の努力に負うところは大きい。復員軍人省は、障害申請後の審査に時間がかかりすぎるとし、議会や旧軍人団体から厳しい批判を受けていた。
2型糖尿病のグエン・チュン・フォンさん

「長官就任以来、私は我々がなぜ、エージェント・オレンジがヴェトナムで最後に使われて40年も経っているのに、戦場に従軍した我々の軍人に健康障害を決めかねているのか、私はしばしば尋ものだ。多数の健康問題を抱えている復員軍人は、ちょうど良い潮時の決定を受ける必要がある」と、シンセキ長官は声明で述べた。

復員軍人省は、ホジキン病、前立腺ガンと2型糖尿病を含む13の疾病をすでにヴェトナムでエージェント・オレンジに曝露した結果の関連病と推定し、認めている。
そのリストに載っていない疾病に関しては、復員軍人は従軍と病気との直接的な関連証拠の提出を求められており、しばしば証拠提出は、申請受理の拒否と長期の裁判につながっている。

復員軍人省は、この新方針によって、およそ20万人の復員軍人が温駅を受けることになると推定している。しかし、復員軍人省は、新方針が承認を受け、最終文書として発表されるまでは数カ月がかかりそうで、新方針によって医療費がどのくらいかかるか費用の算定は出来ないと言っている。

シンセキ長官の決定は、復員軍人省に、パーキンソン病、虚血性心臓病と高血圧を、エージェント・オレンジ関連の疾病リストに加えるよう働きかけてきたアメリカ・ベトナム復員兵協会のような団体の勝利である。

しかし、新しい方針は、また、連邦政府が肉体的、精神的な問題が広がりつつある年老いた復員軍人の補償や看護にどこまで責任をとらなければならないかという議論を促しそうでもある。


3つの疾病の中で最も一般的な虚血性心疾患は、心臓への血液の流れを制限し、心筋の不整脈と悪化を引き起こす。(北村註:よく聞かれる「心筋梗塞」や「狭心症」をまとめて「虚血性心疾患」という。「虚血」とは「血がない状態」を意味する。つまり心臓に十分血がいきわたっていない状態が「虚血性心疾患」だ。動脈硬化で冠動脈の内側が狭くなったり血管のけいれんが原因で、血液が十分に心臓の筋肉(心筋)にいきわたらなくなったとき、心臓は酸欠(虚血)状態となり、胸痛などの症状としてあらわれる。)

パーキンソン病は、ドーパミン(脳内ホルモンの一つで、中枢神経系に存在する神経伝達物質。アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆体でもある。運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる)を分泌する細胞の喪失と関係している。患者は、振るえ、姿勢の硬直化、バランスが崩れる、運動を始めることが出来ないなどの問題が起きてくる。
有毛様細胞白血病はよりまれな疾病だが、成長の遅いガンで、骨髄が感染症と戦う健康な白血球、赤血球と血小板に群がる細胞、リンパ球をあまりに多くの生産してしまうもの。

エージェント・オレンジ(貯蔵ドラム缶に色分けされた色の帯から名づけられたもの)は、ジャングルの天蓋を剥ぎ取り、収穫を破壊するために、ヴェトナムで使用された最も一般的な除草剤だった。それには、最も有毒のダイオキシンを含んでおり、それが、その後一部のガンと関連してきた。
シンセキ長官の決定は、この7月に出された医学研究所の報告書の影響を受けたと、側近は言う。同研究所の報告書では、ベトナム退役軍人で除草剤への露出と、パーキンソン病と虚血性心疾患の発症率の高さとの関連が、「限定されたか、きわどい証拠」を発見したとしている。そして、同報告書は、除草剤と毛様細胞白血病の間の関係についても、「十分な証拠」(より強いカテゴリー)を見つけたとしている。

被害者2世のキム・ダインさん(クアンガイ省で)
同研究所が指名した14人の委員によって執筆された報告書は、科学的文献に基づてかかれたものだ。同研究所は、議会によってヴェトナムで使われた除草剤の健康的な影響を監視し、2年おきに最新版を発表するよ、議会から求められている。
その報告書では、委員はベトナム退役軍人については疫学的データが不足していると警告している。その結果、 その調査結果は、除草剤とパーキンソン病、除草剤と虚血性心疾患について「確たる結論」を出していないと、委員会は述べた。復員軍人がどちらの病気を発症する可能性を推定することができなかったと、委員会は述べている。

それらの警告を出したにもかかわらず、医学研究所報告は、復員軍人擁護団体からは、従来の方針転換を正当化するに十分な証拠を提供したものと評価された。復員軍人へのエージェント・オレンジ政策を規定している法律のもとでは、復員軍人省は、科学的な証拠だけに基づく決定だけで、費用に関する手当ての決定を下すことはできない。シンセキ長官の側近は、医学研究所の報告書がその証拠を提供したと語っている。

一部の医師や研究者は、エージェント・オレンジの手当ての拡大は、ベトナム戦争退役軍人の研究の不足から生じた貧弱、あるいは確定的でない科学に基づいたもの主張している。それら懐疑論者は、前立腺ガンまたは2型糖尿病のような病気は、まさにエージェント・オレンジへの暴露と同じように、老化、ライフスタイルの変化、または遺伝子的疾病素質の結果であると主張している。(了)Posted by Picasa

2009-11-13

目の前の犯罪に目をつぶること

今日は、フィラデルフィアを拠点とするデイヴ・リンドーフ記者がパブリック・レコード紙(10月15日付け)に書いた記事を訳しました。一部意訳してあります。非常に重要な視点・指摘が含まれています。私も勉強になりました。核兵器と同様に、人類最強のダイオキシンを含んだ枯れ葉剤、エージェント・オレンジは、奪命者である魔の働きをもっています。日本に実際撒布されていたら、今ののほほんとした平和など存在はしなかったでしょう。原爆が落とされた上に、枯れ葉剤が撒布されていたら、どうなっていたでしょうか。アメリカ軍部の戦争法律論で守られた感じの日本ですが、次の格好の目的地がベトナムだったのでしょうか。そして、その時、法律論で反対を唱える人はアメリカ軍部にいなかったのでしょうか。
そして、この記事に対して、先刻ご紹介した英越友好協会レン・アルディス事務局長の意見が載せられていますが、それは、後日掲載することにします。

『ヴェトナムのエージェント・オレンジ:目の前の犯罪を無視すること』 これが記事の見出しになっており、記事は以下です。
10月13日に、ニューヨークタイムズ紙は、『エージェント・オレンジ関連の疾病にさらに門戸を開く』と題した新しいニュースを掲載した。そして、それはインドシナ戦争(ベトナム戦争のこと)に従軍した多くのアメリカ復員軍人にとってよい知らせであることは確実だった。それは、アメリカ国防総省が致命的なダイオキシン入りの除草剤/枯葉剤を南ベトナムの広範囲の領土に撒布するのをやめて38年後に、すでに認められた13症状に、さらにパーキンソン病、虚血性心臓病、有毛細胞白血病という恐怖の3疾病も枯れ葉剤が原因だから追加してほしいという復員軍人の長い間の要求をアメリカ政府は認めたと、ニューヨーク・タイムズ紙は報告している。
新しい政策の下で、復員軍人省はまもなく、エージェント・オレンジへの暴露で発症した可能性のある210万人のヴェトナム戦争復員軍人に無料で治療を始めることになる。

これは、復員兵に直接の被害を引き起こし、しばしば第2世代第3世代にも被害を及ぼしてきたアメリカの政府の責任を国防総省と復員軍人省に認めさせるというベトナム戦争復員兵が10年20年にわたり長く苦闘してきたなかで、遅ればせながらの前進である。人に知られる最も有毒物質の1つであるダイオキシンは、多くの重い全身性疾患、自己免疫疾患、ガンと先天性欠損症を引き起こすことは、つとに知られている。このことは、爆弾、砲弾、銃弾に劣化ウランの使用が一般化しており、戦場に於ける有毒物の使用によって生ずる他の疾病への国防総省と政府の取り組みへの警告ともなっている。そしてそれは軍隊と一般人に対する健康被害への懸念不足、軍隊への情報非公開と最終的な被害者への病状手当ての否定などが、国防総省、政府の特徴となっている。)
タイ・ティ・ガーさん16歳

軍事問題担当のジェームズ・ダオ記者は、このまったく惨めな物語を通して政府が果たしてきた妨害者としての役割に言及したのだが、タイムズ記事の中で没になったのは、ベトナムにははるかに多いエージェント・オレンジの犠牲者の存在していることについて触れた部分だった。実際、有毒化学物質が、ベトナム人の頭に、そして大地にと落とされたわけだし、または、アメリカがしたことに対するいかなる責任でも認めることに対して米国政府はかたくなに拒絶してきたことをきじにしてあったのだった。

記事によると、復員軍人省は、エージェント・オレンジ関連疾患を持つ人は、20万人にも達する恐れがあると推測する。しかし、ベトナム人被害者の裁判によると、アメリカ復員軍人やその子ども達と同じ症状に苦しんでいるベトナム人は少なくとも300万人、あるいはおそらく480万人もの被害者がいるというが、この主張は根拠がないと、一連邦地裁判事は一蹴した。

ベトナム南部では、現在80万人ものベトナム人が。自身、またはその両親、あるいは祖父母のいずれかのエージェント・オレンジ曝露によって、慢性の健康障害問題で苦しんでいると推定されている。大部分のこれらの被害者のほとんどの人は、一部は発達遅滞がみられ、他には、歩行不能、手が使えなかったりしており、恒常的に世話を必要としている。

ヴェトナム戦争の元従軍兵を中心とした組織である『平和を求める復員軍人』は、アメリカが健康管理、教育、職業教育、恒常的な介護、在宅療養、ベトナムのダイオキシンの汚染地区を浄化する機材のための資金を提供する呼びかけた。この呼びかけを、議会とホワイトハウスは一貫して無視した。試験では、旧南ベトナムにあった元アメリカ軍3基地の周辺のダイオキシン・レベルは安全とされるレベルの3~400倍もあることが判明している。アメリカは、ベトナム軍がアメリカ軍基地に接近するために使っていらジャングルは枯らすために、基地周辺の何マイルにも多量のエージェント・オレンジを遺棄した。しかし、アメリカ軍の撤退時には、浄化作業は行われなかった。

元軍医や従軍後医師になった元兵士を含むアメリカ軍の復員軍人のある組織が、”ベトナム友好村事業アメリカ社”である。この事業が、エージェント・オレンジの被害者の剤の犠牲者を支援するために、ベトナムでの社会を確立するために資金を集める。

ガーさんは歌が上手だ

太平洋戦争突入の数年後に日本で一般市民を目標にしてアメリカが2つの原爆を投下したことを考えると、この行為は、感傷的な挑戦のように見えるかもしれない。しかし、第二次世界大戦に戻って、太平洋戦争中の最も凄惨な島潰し作戦の最中に、ペンタゴンのある法務官は、太平洋の日本諸島の日本人に対して除草剤を使用許可を求める軍の要請は、ハーグ議定書(現在のジュネーブ協定の前身)の下で違法であると裁定した。

法務官は、日本の軍への糧食を絶つために日本列島で一般人の糧食まで破壊する試みは、戦争犯罪であると採決した。日本軍はシベリアで軍の番犬を殺すためにストリキニーネを用いて戦時国際法をすでに破っていたので、それが違法であっても、アメリカは進軍する自由があると主張して、米国は進軍し、いずれにしろ除草剤を使用した。戦争のルールの下では、一方が規則を破れば、他方はもはやそれに束縛されない。

しかし、ベトコンも北ベトナム軍も、アメリカ軍と南ベトナム軍に対して有毒物質を一度も使用したことはなかった。そして、ヴェトナム戦争では、国防総省は、140万エーカー(ベトナムの総陸地面積の12%、旧南ベトナムのほぼ25%の領土)以上に強度の有毒物質を撒布することが戦争犯罪になるかどうかは、一度も考えなかった。

さらに言えば、国防総省は、大規模な枯れ葉剤作戦を開始する前に、エージェント・オレンジが致命的なダイオキシンが含まれていることを示す研究があることを承知していた。しかし、それらの研究をすっかり隠蔽していた。ダウケミカルとモンサントなどメーカーである化学会社の研究を隠蔽した。そして、毎日その物質を扱う軍隊や、あるいは濃密に撒布された地域で戦闘するために派遣された軍隊にさえ、警告したことは一度もなかった。
一国を丸裸にするためにアメリカ軍がエージェント・オレンジを犯罪的に使用したことに起因するヴェトナムで進行中の医学的災害は、ノーベル平和賞を授賞することになったオバマ大統領にとっては、格好の問題になるだろう。リチャード・ニクソン大統領は最終的に戦争終了後の和平会談で、ヴェトナムに数10億ドルの復興支援を提供する約束したが、ニクソンは大統領はすぐ約束を反故にした。オバマ大統領は、最終的には壊された約束を再生することで、自身の平和攻勢を開始することができるかもしれない。戦後、そのような復興援助は、1ドルも(ベトナムに)供与されたことがない。

訪日経験があるガーさん 日本の歌も
ダオ記者は言った。「新たな3つの疾病をエージェント・オレンジ関連と認定する軍人復員省の決定について、ベトナムのダイオキシン被害者への重要性に言及しなかった。なぜなら、”私の主眼は復員軍人だったから”、そして、もう一つは、この記事を800文字でまとめなければならなかったからだ」と。そのことは真実かもしれないが、ベトナム人(被害者)に1行触れる価値があったことは確かだ。しかし、遡ってタイムズ紙が、ダオ記者ではなく、ジェイニ―・ローバー記者名で、パーキンソン病、虚血性心疾患と白血病はエージェント・オレンジ関連疾患であるとする全米医学研究所の専門家会合での所見の記事を載せた7月25日にも、ベトナム人犠牲者には触れずじまいだった。軍人復員省の最近の決定は、それを基にしているものなのだ。この場合、それが新しい医学的発見についてであり、復員軍人の治療に関する政策決定ではないので、この過ちは単にジャーナリスト的に許しがたいものであった。
この点で、ニューヨークタイムズ紙がこの話題に関してジャーナリストとしての評判を救済できる唯一の方法は、ダオ記者、ローバー記者、あるいは他の記者に、アメリカが使用したエージェント・オレンジのヴェトナム人への影響について少しでも記事を書かせることにある。彼らは、『平和を求める復員軍人』または『ヴェトナム友好村事業アメリカ社』の復員軍人に電話をしてきじをかくことが出来たはずだ。
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オバマ大統領の今回の訪日で、結局広島、長崎の訪問は実現せず、任期中のいつかへと期待をつなぐ結果になった。
「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」の声に浴びせられるような、侵略した報いとの“因果応報論”は、ベトナム戦争にはない。ベトナムはアメリカを侵略していない。ベトナム戦争を終わらせるためだったとの“枯れ葉剤必要悪論”も、ベトナム戦争にはない。
ベトナムの多くの被害者の願いは、枯れ葉剤撒布の責任追及より、正義を認めてほしいという点に絞られて来ているようにも思う。だが、この厚い壁を乗り越えるには、猛毒ダイオキシンの使用を、生命次元から断罪する思想が不可欠である。
「世界には二つの力しかない、すなわち剣と精神とである」「ついには、剣は常に精神によって打ち破られる」との言葉を発したのはナポレオンであった。 
いま苦しさにあえいでいるベトナムの人々が存命のうちに、正義を認める道は、オバマ大統領の登場で微かではあるが、現実の期待となってきた。すべての原点は、人間にある。この大統領の時に・・という時期を好機に出来ないものか。(この項終わり)Posted by Picasa

2009-11-09

枯れ葉剤被害の遺産を抱える米 越

ハットフィールド社(3) エージェント・オレンジの遺産を抱える米 越
最終回の3回目は、ダナン空港周辺のダイオキシンレベルの高さに触れながら、どういう問題があるのかを、AFPニュースの報道を訳しながら、報告しましょう。
【ダナン】マイカイは満足げにジャガイモとメロンを栽培している。それも、高度に汚染されていると専門家が指摘する旧米軍基地ダナン空港を取り囲むように立つ古いレンガ塀にへばりつくようなすぐそばで、だ。
米軍が潜在的に発癌性ダイオキシンを含むエージェント・オレンジと他の除草剤の戦時撒布を中止して40年近く経とうとしている。アメリカとベトナム両国の当局は、協力して、ダナン空港で予備の浄化作戦を行っている。
しかし、全面的な汚染除去作業はまだ始まっていないが、それも何年かかるかわからない。
下の写真は現ダナン空港です。中央は、戦闘機の格納庫です。


予備の洗浄作業が続く間、カイさんのいう野菜に限って言えば、限られた危険しかないと、外国人専門家とベトナム人専門家は指摘する。

しかし、空軍基地の近くの住民はより一般的なダイオキシンの危険にさらされていると、内外の専門家は主張する。内外の専門家は、どのくらい多くの人がこの汚染から危険にさらされているかについて正確に言えないが、カナダのハットフィールド社の調査では、旧空軍基地の北部と東側の近くの住民のダイオキシン・レベルが高くなっていることが分かった。

「我々は、国際的にも、この物質が原因であるということで、意見が一致している」と、ハノイ駐在国連機関のダイオキシン問題顧問コース・ニーフジェス氏は言っている。

カイさん(76)は、心配には無頓着だ。
「ここには、汚染問題などないよ。私は、まだ生きてるもん」と、長くここに住むカイさんは言う。

土壌を採取する科学者(ハットフィールド社撮影)

ベトナム戦争中、アメリカ軍は、ダナンを初め他の基地で、エージェント・オレンジを保管していた。それらの基地で、落葉作戦任務のために飛行する軍用機に積まれたのだ。

「枯れ葉剤が撒布されたジャングル域には、今日高レベルのダイオキシンは存在しない」と言うのは、ヴェトナムで長年ダイオキシン汚染調査をしてきたハットフィールド・コンサルタント社のトーマス・ボイヴィン氏(カナダの環境調査会社社長)だ。

しかし、米越当局は、ダナン空港の旧アメリカ軍基地の部分、サイゴンに近いビエンホア空港、そしてフーカット空港を重大な汚染地と特定した。それらでは、化学物質の漏洩、航空機の洗浄、枯れ葉剤の飛行機への積載などが、汚染に大きく結びついている。

現在ダナン空港では、ダイオキシン濃度は国際的に容認されたレベルの300-400倍高いと、ボイヴィン社長は明らかにした。

ほぼ2年前、ベトナム当局は、アメリカの支援を受けて、かつてエージェント・オレンジを配合し、積載した場所にコンクリートをかぶせた。そして、ダナン空軍基地内の排水設備と、湖の沈殿物のフィルター施設を改善した。

空港北部で食用の野菜をとる住民(ハットフィールド社撮影)

ベトナム当局も、住民に対して、旧アメリカ軍基地の湖にいる魚や他の食物を摂取することを禁じた。

これらの当面の対策は、汚染の拡大を防止したと、米越両国の当局者は言う。

被害地はベトナム人民軍の管理下に置かれている所であり、ベトナム当局が観光地として力を入れたいヴェトナムの4位の大都市ダナンの空港ターミナル・ビルとは離れている。

しかし、「更なる対策を講じない限り、これら重度汚染地域に残された化学物質は、水の流れ、野生生物、大気だけでなく、土壌の粒子を通して拡散し続けるだろう」と、ニーフジェス氏は、9月の米越合同諮問委員会で話した。

ダイオキシンは、魚または鳥を通して食物連鎖で広がっていくのだ。


他の支援国もベトナムを援助しているが、ヴェトナムの要請で、アメリカはダナン地域にその援助を集中させている。

米国の当局は、「複雑で政治的に微妙な問題があり、米越間だけでなく、アメリカ政府内でもコンセンサスを必要とした」とAFPに語った。

「われわれはこのプロジェクトに取り組むために、間違いなく、出来るだけ迅速に作業してきた」と、ベトナム政府の高級幹部が、米国の資金が迅速に支払われていないと不満を述べた後、マイケル・ミカラク駐ハノイ大使は反論した。

ダナン空港南側から北へアプローチする飛行機から撮影
ダナン地域における環境アセスメントと除去予備事業として、入札は受けられ、契約はまもなく発表される、とミカラク大使は言った。6月には、両国は、”バイオレメディエーション”(ダイオキシンを破壊する生物学的有機体の使用)の試験実施を始めている。(註:9月10日のブログを『汚染浄化の進展遅い 苛立つベトナム』ご覧頂くことをお勧めします)

エージェント・オレンジの汚染問題を担当しているベトナム33委員会事務所長ライ・ミン・ヒエン氏は、こう語る。

「バイオテクノロジーか他の方法か、いずれかで汚染除去をやるにしても、その前に浄化作業には、汚染土壌を埋め立て地の方へ動かす必要がある。旧3基地すべての汚染除去には、およそ6000万ドルかもっとかかることになる」 ヒエン氏は、AFPとのインタビューで、こう話し、アメリカからさらなる資金提供を要求した。

「われわれは、アメリカにもっと努力してもらいたい」と、ヒエン氏は言った。

ミカラク大使は、汚染除去費用が最終的にどのくらいかかるかを言うには、まだ早すぎると反論した。

二国間会議のレ・ケ・ソン共同議長は、大使の考えに同意し、「例えば、ビエン・ホア空港の汚染の範囲は、当初考えらていたより大きく、新たな研究を必要とする」と言った。

ベトナム戦争は1975年に終結したが、アメリカとヴェトナムが国交正常化を果たしたのが、1995年だった。それから12年後に、ダイオキシン被害緩和と医療活動のための300万ドルの拠出をアメリカが承認し、アメリカの方針が汚染除去の支援へ変換を遂げたのだ、と複数のアメリカ当局者は語る。

オバマ大統領は、今年、その援助を二倍の600万ドルまでにする法案に署名した。
ヴェトナムは多数の出生奇形の原因はダイオキシンだとしている。
しかし、アメリカはエージェント・オレンジとヴェトナム人障害者や奇形との関連を確立する国際的に認められた科学的研究はないと主張して、未だに平行線をたどる。

ホアン・ティ・テーさん(71)は、ダナン空港近くに住む未亡人だ。彼女は「600万ドルについては何も知らないが、障害をもった自分の子供たちのためにアメリカが資金提供して欲しい」と言った。

彼女は、口を開けたまま、空ろな目をして座っている息子のチャン・ドゥック・ギアさん(35)の壊れた車椅子を、まるで守るように片手を置いたままだった。彼の姉チャン・ティ・ティー・ガさん(31)は、首の周りに汗をにじませて、歩行器にしがみついていた。

子ども達は、生まれた頃は正常だったという。医者は、テーさんに、子供たちは、エージェント・オレンジの被害者だと告げた。

「エージェント・オレンジが貯蔵されていたか、撒布された場所の近くで住んでいたことがあるなら、枯れ葉剤の毒素の被害を受けているかもしれないと、私は言われた。戦争中は、飛行機が飛び立っていった音を覚えている。その飛行機がエージェント・オレンジを運んでいたのか知らない」と、テーさんは言った。(終わり)Posted by Picasa